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終末世界の歩き方。  作者: 上野羽美
DEAD ZONE
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第八十五話「蜘蛛の糸・4」

 この世界が根本の言うように地獄だとして蜘蛛の糸は誰の元に降りてくるのだろうか。地獄がやってくる前に善行を積んだもの?この地獄の中で善行を成そうとするもの?


 答えはこの世界が地獄になる前に誰もが知っていた。


 蜘蛛の糸など存在はしない。


 地獄に落ちた者は、決して救われない。



 


 目の前には顔色の悪い柏木が力なく鉈を握り立っている。私には彼はどうすればいいのか分からないように見える。矢木や根本の言うように私を危険人物だとみなしてグループから追放するか、このまま私とともに行動を再開するのか判断に迷っているようだ。


「よく考えてくれ。いや、考えなくてもいい。簡単なことだ。目の前の仲間を仲間だと受け入れるだけだ」


 私は親切にも彼にとって一番最善な選択肢を提案する。


「あの二人には疑問符しか湧かない。なぜ殺す必要がある?なぜ、追放する必要がある?私は何もしていない」


「な……仲間を殺した……」


 柏木は精いっぱいの力を振り絞ったように言うと、膝から崩れ落ちてその場に嘔吐する。


「どうした?具合が悪いのか?少し休むといい」


「よ、よ、寄るな……」


 ハンカチを差し出そうと歩みだす私に、彼は自分の吐瀉物をズボンに塗りたくりながら後方へと下がっていく。


「どうした?とりあえずはこれで顔を拭くといい。余計に気分が悪くなるぞ」


「寄るな!!!」


 彼はまだ口の中に残る吐瀉物の残滓を飛ばして言い放つ。


「あんたは感染した!!そのうえ人殺しだ!!寄るな!!」


 まるで不器用に単語を並べて柏木は私に鉈を向ける。


「落ち着いてくれ。感染した?何の話だ?人殺し?違う。然るべき処置をとったまでだ。地獄の瘴気に当てられて彼らは豹変してしまった。仕方がない。こんな世界になってしまった」


「何言ってるんだ……?ふざけてるのか?」


「ふざけてはいない。次は君が答える番だ。君は私をどうする?」


「どうするって……」


 彼は私の表情をちらちらと窺いながら答えを見つけ出そうとしているようにも思えた。少なくとも私はそう思っていた。

 けれど残念なことに柏木は手に持っていた鉈を踏み込んだ足とともに突き出し、私の厚手のコートを引き裂く。もう少し距離が近ければ私の横腹を切り裂いていた。


「……そうか」


 殺意を抱いた彼に襲われかけながらも、私は冷たい空気を抱き込んだ風を耳元で感じている。虚無感が厚い雲のように胸を覆う。


「君もそうなのか」


 私の期待を裏切り、希望を打ち砕き、仲間である私を、君も打ち倒そうというのか。


 私は無駄な挙動なく正確に彼の顎を下から打ち抜く。硬質な音と少量の血が宙に浮いて、欠けた歯が彼の口内から勢いよく飛び出した。衝撃で落とした彼が落とした鉈を拾い、口元を抑えてうずくまる彼を蹴り飛ばして仰向けにさせたあとで彼のみぞおちに向けて鉈を突き刺し、それを九十度捻る。彼の絶命はあっという間だったが私は衝動的に何回も彼の胸をめった刺しにしていく。

 裏切りは許されるべきではない。それはもう地獄と化してしまったこの地上ですらだ。

 

 人は助け合うべきだ。それを強く感じていた。なのに彼は、彼らは負傷した私をあろうことか殺そうとした。


「信じられない」


 彼の傷口を突き刺し引き抜くと肉片がボロボロと零れだしていく。


「こんな酷いことがあってたまるか」


 柏木から溢れだす血に私は涙すら浮かべている。裏切りにあったという事実。非情な世界の上に立っているという事実。

 たまらなく悲しかった。涙がこぼれるのも当然だった。胸の内は熱く猛り、やがて冷たい静寂へと変わる。


「ああ……ああ……!」


 嗚咽をあげる私の視界に入ったのは、息子を連れて駆けだす親子の後ろ姿と、矢木や柏木と同じく青ざめて動くことのない目黒だった。

 今にも倒れそうな目黒の手には、私を窮地から救った血濡れのスコップが握られている。そのスコップにほんの一握りの希望を再び見出す。


 君は愚図かもしれない。そしてこの世界は地獄かもしれない。


 だが君はそんな地獄の中で私を救ってくれた。蜘蛛の糸はきっと君に垂れてくるだろう。


 そして私がきっとその蜘蛛の糸だ。落ちぬようにしっかり捕まり、正しい道を選んではくれまいか。


「君は……救われたいと思うか」


 体全部で凍り付いたような彼は顔の半分を涙と鼻水で濡らしながらぎこちなく首を縦に振った。



 

 

 私と目黒は親子のあとを追う。そこに理由があるとするのなら、彼らもまた私の希望であり、蜘蛛の糸である私が救済すべき存在だからだ。アパートを出てから長い時間がかかったように思っていたが実際のところそんなことはなく、すべて数十分の間に起こったことだった。


 彼らは来た道を戻っていった。私たちもそれに続く。


「顔色が悪い様だが、少し休むか?」


「……いえ、大丈夫です」


「あんなことがあってはそうなってしまうのも無理はない」


 私は先ほどまでの狂乱を思い出す。


「……私は仲間が欲しかった。生きることすら困難になってしまったことは承知の上だ。だから君たちの……君のような仲間が欲しかった。助け合いたかった。なのに彼らはそれを拒んだ。裏切り、牙を向けた。仲間であるはずの私に」


「それはあなたが噛まれたからですよ」


 目黒は押し殺したように、私の目はおろか、姿さえも視界に入れずに呟く。けれどそれが嫌味には聞こえなかった。恐怖に押しつぶされながらようやく口に出たものと私は理解する。だがその言葉の意味は理解ができないでいた。


「どう考えたって、それが殺す理由にはならない」


「根本さんも言っていた。噛まれたら誰かを殺す化け物になる。そうなる前に突き放すなりなんなりしたかったんだと思います」


「……君もそうか?私を突き放したり、殺したいと思うのか?」


「いえ……僕は彼らのように死にたくはない」


「死ぬのが怖いのか?」


「ええ。本当なら外には出たくなかった」


「……私は死ぬことなど怖くはない。ただ、裏切られるのが怖いだけだ」


 

 一人でいることから逃れようと、必死で手を伸ばし掴んだその手が私の手を離すことを心の底から恐怖している。そして私はその行為を許せないとも思う。殺されて当然のことを、彼らは悠々とやってみせる。それはこの世界がこうなってしまう前から思い返せばそうだったのかもしれない。


「君は、私に恐怖しているか?」


「……目の前で無造作に人が三人もあなたに殺された。……理由が何であれ、僕はあなたを恐れること、当然だって、それくらいは分かってもらえますよね?……それに、あなたは感染した。さっきも言った通りいつあなたが転化するかもわからない」


 私には死んだはずの矢木の声が耳の奥で聞こえている。


「僕は死ぬのが怖い。ならあなたが怖くて当然だ」


「済まないとは思う。だが後戻りはできないよな」


 目黒はうつむいたままで涙をこぼしながら小さく首を縦に振った。


 彼のいう事とはつまり、私は私で居る限り伸ばした手を掴まれることはないということだ。


 地獄の餓鬼に噛みつかれた。たったそれだけの理由で。


 見知ったアパートが目に入るころ、私は私が徐々に死んでいくのを感じていた。ヘドロのように灰色にまみれ、ぐずぐずと自我が溶けていく。腕を噛まれたときのあの感覚が蘇るようだった。


 噛まれたのは、私ではない。腕に残る傷と痛みは私のあずかり知らぬところで起きた悲惨な事件なのだ。


 私にはもう仲間という存在を受け入れることはできない。その淡いつながりを信じることはできない。地獄から這い上がるにはその繋がりはあまりにも心もとないのだ。

 

 ではどうすれば?

 私の頭には救済されるべき存在が浮かんでいる。地獄の底から私の手を掴み引き上げてくれる存在が浮かんでいる。


 アパートに戻った目黒を後ろからバールで殴りつけ、顔の判別さえ不可能になるほどに殴りつけた後で私は小さく彼の名を呟く。


「圭一……」


 守るべき存在、愛しい我が子。


 救われることのなかった目黒の姿を見降ろして、私は愛する息子と私自身を救いに再び玄関のドアを開けた。

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