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終末世界の歩き方。  作者: 上野羽美
DEAD ZONE
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第八十二話「蜘蛛の糸」

私にとって何よりも恐ろしかったのはこのまま独りで死んでいく事だった。


  子供もできないままに妻と別れ、それから十数年が経つ。アパートに越して数年、決して安くはない家賃を払い、決して高くはない給料で毎日をやり過ごし、休みの日は二時間ほど車を走らせて湖に釣り糸を垂らしに行っている。

 せめてこの過ぎゆく時間を少しでも有効に使いたかったが、ビニールチェアに座り、風になびく水面を見ていると、結局は途方に暮れてしまうだけだった。


 そんな私にとって人を食い殺す感染病の出現は一つの転機だった。


 パニックの初期、守るものも何もない私はいつもと変わらぬ風体で自室にこもっていた。最善を取っての行為ではないのでこの場合、やむなく、という表現が正しいのだろう。

 

 すべてがどうでも良かった私には生き残る術すら探す気にはなれず、毎日流れていく時間の中で毎日流れていく液晶の中の書き込みを呆然と見つめているしかなかった。

 

 絶望、悲哀、狂乱、混沌。多くの人の感情が流れていく掲示板はこの悲惨な状況の中での良い現実逃避であったし、もうしばらく人と会話を交わさない私にとっての現実になっていた。

 

 その中でふと目に留まったスレッドがあった。

 掲示板の中で行われる救助活動のやり取り。生存者同士で集まり、助けを呼ぶ書き込みがあればそこに向かい安全な場所へと連れて行くというものだった。


 そうして救助の成功後に上げられた写真に、私は歓喜した。写真に映るやつれ顔に、友情よりも深いものを見出した彼らの姿に憧れた。


 転機だ。私は強く思った。これから先の私を変えるには彼らとともに生きていくしかないのだと思った。ともに救助活動に臨もうとキーボードを叩くその指は軽快なリズムを刻み希望に満ちていた。


 そうして私の家に、彼らがやってくる。どこにでもいそうな自分と同じくらいの中年男性。歳こそ聞かなかったが誰もかれも四十代よりも上としか思えなかった。一人くらい若いのがいても十分だろうに。

 

 人は若さを取り戻すことができない。化粧をし、若い体を目指そうと筋肉をつけたところで結局は若さを取り戻すことはできず、単に加齢を誤魔化しているに過ぎないのだ。若さは老いた私にとっての憧れだ。写真の彼らも大体が若者と呼べる年代だった。羨望の対象が傍にいてくれるだけでも違ったろう。私はため息をつく。


 目黒という男はその中でも一番若々しい男だった。それでも「中学生くらいの子供がいる」と言ってもおかしくないくらいの風貌だ。中肉中背で顔には小さな皺が浮き出ていて、色素の濃い真っ黒な髪の毛は耳や眉までかかるほど伸びている。

 百七十二センチの私よりも少し大きい彼は仲間の中でも一番最初に私の家に来て、感染者と似た、力ない立ち姿で玄関に立ち、弱弱しい声で「よろしくお願いします」と言った。


 彼のような人間を前の職場でも見かけたことがある。確か、名前は弘田といった。壁に当たったら死んでしまうのではないか、というくらい不必要にいつも縮こまり、その割には自分本位の動きで周囲の足を引っ張るような愚図だ。

 私は自分の名前と「よろしく」と愛想無く返事を返して部屋に戻る。案の定彼は五分ほど玄関先で突っ立っている。仕事でもないのに、命令されなければ動けない性質(たち)なのだろう。


 二番目に来たのは柏木と矢木という二人組だった。十センチ近い身長差と名前の語呂の良さで二人の名前を覚えるのに時間はかからなかったが、どっちがどっちの名前なのか、私は最後まで間違え続けた。

 実は私の近くに住んでいたという二人は最初のうちこそよそよそしかったが、時間が経つにつれ私は彼らと旧友のように語り合うことができた。きっと年齢も近かったのだろう。彼らこそ私の求めていた人材だ。心からそう思っていた。


 冷蔵庫にしまっていた発泡酒が半分ほど開けられたころ、最後の一人である根本がやってきた。

 よりにもよって、こんな時にインターホンで呼び出しをする彼に一言言ってやろうかとも思ったが、ドアを開けた私は言葉を失った。

 白いノースリーブを半分ほど真っ黒な血で染め、丸めた頭を脂汗で濡らす彼の右手には釘を打ち込んだ血染めのバットが握られている。固まって瞬時にどうにかしてこの暴漢を追い返そうと考える私に彼は言った。


「俺はすぐにもぶっ倒れそうなんだ。何か言いたい気持ちは分かるが入れるか入れないかはさっさと決めてくれ」


 私は何も言わずにドアをそのまま大きく開き、彼を迎え入れた。彼がいなければきっと救助活動はままならないだろう。


 そうして私の部屋に四人が集まってくる。狭い部屋に並べられた大きめのソファに座り、手持ちのスマートフォンで年甲斐もなく笑顔で写真を撮る。私たちの上げた写真に掲示板は沸き、期待が高まっていく。


 デスクトップに並んだ文字を目で追う彼らは全員が満足げで、きっと全員が自分を誇らしく思っていたのだろう。


 


 私たちの最初の救助活動は実に単純なものだった。


 夜中、隣の部屋から物音が聞こえてきたと早くも目黒は青ざめて就寝していた私たちを揺り起こした。隣の住民については私もよく知っていたので根本に住人の事を伝える。

 父親と子供の二人暮らし。父親は私と同い年で息子は高校生。今のところ隣の部屋から不審な物音は聞こえてこなかった。


 外に出た根本と私は玄関の前に立ち、私がドアをノックする。根本は私の隣でバットを構えもしもの場合に備えていた。

 ノックと呼びかけから数秒して生存者である父親が奥から出てくる。ひとまずの安堵もほどほどに私はいつもと同じく世間話をするように、彼も仲間に誘った。


「ここにいるより、私と、私たちと一緒にいる方が安全だ」


 彼はすぐに頷いて息子とともに私の部屋にやってきた。自分の部屋を窮屈だと思ったのは初めての経験だった。




「それでこれからの計画なんだが」


 話を切り出したのは根本だった。終わらぬ歓談を終わらせるのは彼の一言だろうと思っていた私の予想は的中した。


「まだここにいたほうがいい」


 彼は静かに言う。


「何かあったんですか……?」根本の含んだ言い方はその質問を待っている様だった。柏木は私よりも先に口を開き聞き返す。


「ここに来る途中、ゾンビ共の群れを見た。群れって言っても牧場の羊みたいなもんじゃない。以前テレビで見かけたような、カニの大群だとか、イナゴの大群だとかそんな規模の群れだ」


「……そんな……!」


 私たちが呆気に取られている中、目黒だけが情けない声をあげる。私は話の内容よりも目黒の存在に気が滅入っている。


「ただここからは随分遠い位置での話だ。様子を見て、自分たちが安全を確保できそうなら本格的に動いて行こう。だからそれまでルールを決めたいと思う」


 さっそくリーダーシップを取る根本。それはまぁ仕方ないのかもしれない。ベランダに干されている汚れたノースリーブが彼の実績を物語っているのだから。


「この中でゾンビに出会ったことがある人は……?」


 根本の質問に訪れてきた三人が手をあげる。アパートの住人である私と親子は手を膝の上に置いたままだった。私も親子もゾンビの姿を画面の向こう側にしか見ていないのだ。


「……そうか。知っての通り奴らは人間を食い殺すことでその数を増していく。ここが重要だ。いきなりキツイ話になるが最優先に決めなくてはならない。この中の誰かが奴らに噛まれた場合の対処を決めよう」


 根本の言葉に全員が息を呑む。


「悪いが噛まれたらもうおしまいだ。死んだも同然だ。遅かれ早かれ奴らの仲間になって俺らの仲間をまた一人と貪ることになる。そうなってしまったらすぐに俺たちから離れろ。もちろん俺も例外じゃない。噛まれたらその場から離れる。そしてあとは好きに死に場所を選んでくれ。俺はそうした方が良いと思う」


「……映画とかじゃ仲間を殺してるけど……」


「殺せるのか?」


 おどおどと小さく手をあげた目黒に根本はすごむ。


「できないことはいうもんじゃない。少なくとも俺は無理だ。確かにそうすれば奴らが増えるのを一体でも止めることができる。最善の策かもしれない。だが、それを容易くやってみせるような奴とはできれば一緒に居たくはない。君たちもそうだろ?」


 柏木と矢木、私は頷く。目黒はバツの悪そうに自分の膝とにらめっこを始める。


「だから悪いがそうなってしまったら俺たちとは別行動を取ってくれ。もちろんある程度の食糧と武器は渡す。欲しいものがあったらできる範囲で調達する。それが手向けだ。それでいいな?」


 なるほど誰が損をするでもない、人道的なやりかただ。それを拒むような人間がここから出ないことを願うばかりだが。

 私は口をへの字に曲げながらうつむく目黒を一瞥する。


 一同が賛成すると、根本が放った一言によって作られた重い雰囲気だけがその場に残る。話が話だ。これも仕方ない。私は話を切り替えるつもりで気になっていたことを根本に尋ねる。


「あなたは自衛官とか、そういう職務についているのかな?少なくとも私にはそう見える」


 根本は一瞬驚いたような顔をしてそれからぐしゃりと顔を崩して笑った。


「自衛官?あっはっはとんでもない!俺は坊主だよ。隣町の端っこにある寺で住職をやってる」


「住職……!?」


 意外な彼の職業に全員が目を丸くしていた。ノースリーブに深い青のジーンズ、手には血濡れの釘バット、住職らしいところと言えば彼の頭くらいだろうか。


「ゾンビの相手はしたんだろう?仏相手にバットを振る住職ってのもなんだか漫画みたいでおもしろいじゃないか」


「ああ、」根本は宙を仰いでから続ける「あいつらは仏なんかじゃねぇ。例えるなら鬼さ。地獄の餓鬼だ。それが人の体を借りてるにすぎない。ラジオじゃ感染病の一種だと言っていたが、それも解明できてないみたいじゃねぇか。ともするならこれは天が俺たちに下した罰だ。全員を生きたまま地獄送りにしたんだ。そっちのほうがもっともらしい」


「なぜそう思う?」


「……さぁ。ただ坊主の俺でさえ思っているんだ。誰だって思ってる。人間は愚かな生き物で、いずれ罰せられる運命にあるってな。だからこそ、俺は罪をこの活動で洗い流したい。こんな地獄の中でも人道的な支援ができるってことを示してやりたいんだ」


 根本は笑ってジーンズにしまい込んだ潰れた煙草の箱から一本取りだすとベランダへと歩いて行った。


 どこか空気はいい意味で張り詰めていて、彼の言葉に心を突き動かされたことを知る。


 彼とならこの地獄も抜け出せる。私の胸は期待に満ちていた。

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