第七十五話「EMPIRE OF THE DEAD」
よくある妄想の話をしよう。ゾンビが街にあふれたとして君は一体どういう行動をとるだろう?
まず大まかなプランとして自宅やその場にいた場所での籠城、もしくは新天地や安全な場所を求めて歩き続けるという選択がある。
残念ながらそれが現実として起こってしまった俺は前者を選択した。
安全が遠くにあって危険がすぐそばにあることよりも、危険と安全の両方がすぐそばにある方が色々と負担は少ない。言ってしまえば俺が引きこもっている間にすべてのごたごたが解消されていることを祈っていた。さらに言えばすぐそばにある危険からは目を背けていた。途中まで考えもしなかった。
そうして出した一つの選択が正しいと誰にも言い切れはしないし、間違っていると断言もできない。答えはすべて結果とその結果をどう受け取るかによって決まる。
……ああ、何が言いたいのかわからなくなってきた。
もう一度広い路地を避け、入り組んだ住宅街を進む秋津さんや石井君の背中を追いながら考える。
ああ、そうだ。
彼らの姿を見て自分の疑問がもういちど浮かび上がってくれた。
彼らの姿を見れば誰だってこう思うはずだ。
「なぜ彼らはこの危険な地で彷徨い続けるのだろうか」
秋津さんたちが危険を冒してまで探し出したい人たちがいることは重々承知だ。俺も彼を助けたい。
けど、そのやりかたが余りにもノープランで、こう言ってはなんだけど愚かすぎる。
秋津さんたちが向かっている方向は方角的に街の中心部だ。地方都市でそれなりに高いビルも立ち並んでいる。周りを囲む田舎の地域とは人口の差も大きい。建物も人間もずっと賑やかだ。
人のいたところにゾンビがいるという事実は俺みたいな引きこもりならともかくとして、経験のある秋津さんならとうに分かりきったことだろう。
「あの……この先に、雨宮君たちが本当にいるんです?彼らも、逃げるにしたって市街地は避けるんじゃないですか?」
耐えきれずとうとうふつふつと沸き上がり煮え立つ疑問を投げかける。
「……お前にはわからないだろうな。今ここで何が起こってるのか。……当たり前だ。俺にもわからねぇ」
秋津さんは顔を少しだけ振り返らせてから独り言のようにつぶやいた。
丁字路に差し掛かると角から半身だけ出し、その先の様子を秋津さんや成塚さんが窺う。秋津さんが刀でその向こうにいる二体のゾンビを指し、何か合図を送ると二人はその場から静かに小走りで駆け抜けてそれぞれのゾンビを断首する。こなれた、というよりも鮮やかと言った方が良いのだろうか。
無駄な動きにしか思えない捜索とはうって変わって、ゾンビを仕留めるのに彼らの動きに一切の無駄は無いように見える。戸惑いも躊躇も容赦もそこには存在しない。
「……成塚、どう思う?」
「……さぁ、私にも分からない」
「これは俺たちみたいなやつが他にもいるってことですかね……?」
「断言はできねぇな。お前たちの時とは違って規模がでかい。そのうえこれが意図的だと思えるほど奴らの動きは揃ってねぇ」
とうとう俺を差し置いて石井君も俺には感じ取ることのできない何かを感じ取ったのか秋津さんたちの会話に加わる。
「……あの、何かあったんですか」
秋津さんは俺を睨んでからしぶしぶ話し始める。きっと彼の目つきが悪いだけで睨まれてはいなかったのだろう。
「……お前さっき言ったよな。市街地は避けるって。それはどうしてだ?」
「……そりゃ市街地はゾンビで溢れてるはずなので」
「二週間近く前の俺の場合、状況はもっとひどかった。石井や……花田たちのプランで今俺たちがいるこの街に連中が誘導されたもんでな」
バツの悪そうな石井君に秋津さんは「別にもう気にしてねぇ」と声をかけて続ける。
「おかげで今やこの街は連中が巣食う地帯になっている。……そのはずだった。そうなっていると思ったからこそ市街地は避けた。だが、いざとなって雨宮を捜索するために町に出たらこれだ」
辺りをぐるりと見回す。しばらく暖かい日が続いていたのに今日は昇った朝日が雲に隠れると、そこから姿を現さなくなり、気温はここ最近の中で一番寒いとも言えた。夜が明けたのに、明けた気がしなかった、
道の真ん中に堂々と止まっている明らかに違法駐車のSUVのフロントガラスには霜が降り、フロントガラスには乾いた血が残っている。
何かが動く音は聞こえない。風の音も雑踏も。
「数が少ない……と言えば簡単な話だろうがそうじゃねぇ。いるべき場所にいねぇってのがどうも気に食わねぇ」
「……この近くに雨宮がいるかもしれないな」
花田君が険しい顔で呟く。言葉の調子に期待の影は無かった。
「……それも断言はできねぇんだよ。さっき言った通りだ。お前らの時とは様子が少し違う」
「でも……これが手がかりなら進むしかないですよ。なんにせよ、またここで何かが起こっている。雨宮が起こしているなら急いで探さなくちゃいけない。雨宮に起こっているなら尚の事ですよ」
「もしくは、」成塚さんが口を開く。「この国で何かが起こっているのかもしれないな」
「一応聞くがそれはどういうことだ?なんだってそんな大規模な話になる?」
「お前はさっき『いるべき場所にいない』と言ったな。考え方を変えただけだ。感染者たちは『いるべき場所に帰ろうとしている』私はそう考える」
「……どいつもこいつも言葉遊びが好きなようで。意味が分かるように簡潔に話してくれ」
「……仕方がない。私が馬鹿にでもわかるようもう少しかみ砕いて話してやろう」
ガンを飛ばす秋津さんを無視して成塚さんが続ける。
「感染者の行動を考えてみろ。……奴らは獲物を探して歩き続ける。彼らにテリトリーはない。そして獲物を探すと言っても狩りをするわけではない。あくまで彼らは歩き続けるだけだ。彼らは市街地に留まり続けると思うか?いいや、いずれどこかへ広がっていく。どこへでも広がっていく。……何が起こっているのか?私はこう考える。当たり前のことが起ころうとしている。元をたどればこれも超自然現象のうちの一つだろう。当たり前のことしか起こらないはずだ」
「……成塚さんそれってつまり」
不安を顔の中心に寄せ集めて石井君が尋ねる。成塚さんはためらうことなく今起こっている現実を、真実を言い放つ。
「もはやここは死地どころの話ではない。死者の国だ。地獄の窯の底と同じだ」
寝起きの腕を伸ばすと冷たく濡れた感触が拳と手首に広がって、かすかに漏れた明かりに照らされてそれが乾いていない血液だということを知る。疲弊の果てにもはや驚きは存在しない。ただ不快なだけだった。
「だいぶ感覚が麻痺してきたな……」
鉄の匂いと酸っぱい匂いが部屋には充満している。どう考えたってここで一夜を明かすべきじゃないって分かっているけれど、まぁそれは仕方ない。
隣には汚いシーツをかぶされて永遠の眠りについている顔も知らない誰かの遺体が横たわっている。顔を知らないのは、俺が彼と出会ったとき、彼の頭はただの肉塊と化していたからだ。シーツの下では割れた頭から眼球や歯がこぼれているに違いない。
「よく眠れたかな……?まぁ、無理な話だよね」
白髪交じりの気弱そうなおじさんの声が早朝に聞く第一声だった。まだいつかみたいに被った布団を部員に引っぺがされる方が良かった。
「熟睡とはいきませんでしたけどね……。それでも寝れた自分に感謝です。それよりも三上さん、本当にすいませんでした。うちの仲間に隣の部屋を使わせてもらって」
「いいんだよ。そんな、彼女たちは年頃だろうし、小さい女の子もいる。……それに一度向き合いたかったんだ、彼らと。少しの間だけでも仲間だったんだから」
彼は憂いて肩を回して体を起こす。俺も隣で横たわる死体に「少しでも眠らせてくれてありがとうございます」と胸の中で感謝を告げた。
部屋とおっさんと死体。異質すぎる空間からまた一日が始まる。
お久しぶりです雨宮です。部員やその他女子共々、なんとか無事に生きています。




