第七話「一対一(タイマン)」
事の始まりを観たのはニュースから流れる映像だった。
新宿での暴動から都内で相次ぐ暴行事件へと報道内容が変わり、時間が経つにつれて集団テロに変わり、日付の変わるころニュースは突然砂嵐になった。
近年都内でも品質のいいヤクが出回り、ラリった連中が無差別に通行人を殺していく事件も相次いでいた。俺はヤクの売買に手を出したことはないが、関わりが無いとは言い切れずニュースでそうしたヤク中の報道を見るたびに拳を固めていた。
今回もそんなヤク中の仕業かと思っていたがそういうわけでもないらしい。カルト教団の集団心理操作によるテロともニュースでは報じていたが、範囲が勢いよく広がる暴行事件の前では納得のいく説明には至らなかった。
「ゾンビだったりしてな」
昨日俺の部屋で飲んでいた氏原が冗談交じりに言っていたのを思い出す。
雨雲が広がっているのにいつまでも雨の降らない空の下。事務所を出て隣町まで歩いてきた。
通りの向こうで何体かの人影がゆらゆらと目的も無く歩いているのが見えた。あれは……連中の仲間か。
連中の仲間かどうかを判断するのは今のところ動きが不審か、不審でないかというくらいだった。
例えば首を食いちぎられていたり、なにかの拍子で足が折れたりしているのにも関わらず歩き続けていく連中はすぐにでもわかる。問題は目に見えるほど不審でない連中だ。
映画なんかじゃゾンビはもれなく全員血だらけで、汚いぼろ布を纏っているが現実は違う。ほとんどが普通の格好をしていて損傷もそれほどなく、一見すればただの通行人に見えた。
あれから数時間、俺はあてもなく彷徨っている。最初は放心状態で歩いていたが徐々に街の様子が分かって意識が次第に戻っていくと何をすべきかすら分からなくなってきた。
人もいない、たまに見えるのは連中の仲間だけ。ところどころで火の手はあがっているが消防車も野次馬もいない。
世界が俺一人だけになったらということを考えたことはある。
そこらのショッピングモールで咎められることのない強盗を繰り返して悦に浸る。高そうな車を猛スピードで乗り回して日本全国を旅してまわる。
そういった夢がかなう絶好の機会だったが、そんなことよりもまず誰かに会いたかった。
通りに立ち尽くす連中の仲間を見つけた。俺は隠れる気にもなれず、木刀を握りしめて正面から向かう。
俺と同じくらいの年齢で眼鏡をかけた身の細い男。堅気に手を出したことは今までなかったが、軽く脅しをかければすぐにでも逃げていきそうな奴だった。
眼鏡越しに男がこちらを睨む。
「……おう、なにガン付けてんだコラ」
返事をしないのは昨日の連中を見て分かりきっていたことだったが一応けん制してみる。
男はカチカチと歯を合わせてゆっくりと歩み寄りはじめた。
「……寄ってくるんじゃねぇ、こいつで歯ぁ折られてぇのか?」
唸り声をあげて近づく。それも分かっていた。ただ知りたかった。連中が本当に不死身なのかどうかを。
「シィッッ!!」
バックステップで勢いを付けた後、男のみぞおちめがけて木刀を突き出す。
男はよろめいて外れかけていた眼鏡を地面に落としたが体勢を立て直すと、眼鏡を踏みながらまたこちらへと向かってきた。
「くそっ、やっぱダメか」
今度は木刀で男の体を薙ぎ払い、次々と体に打ち込んでいく。途中肋骨辺りから骨の折れた音が聞こえた。
それでもまるで意に介さずカチカチと歯を合わせることをやめない。
「……くそってめぇマジで殺すぞ」
とはいったものの殴る以外にできることはなく、ただひたすらに殴打するだけだった。この道についてからすでに十年。木刀で人を殴るのは初めてではなかったが、ここまで殴打したことはない。だいたい一発、多くても三発打ち込めばへばるもんだった。
それでも立ち上がる眼鏡のヒョロガリ。大したタマだと称賛したくなったがこいつの場合気概とかそういう問題でないことくらい分かっている。
もともと首を食いちぎられているので見た目は酷かったが、俺が叩きのめしたことにより内出血が所々で起こっていてなおさら酷い見た目になっていた。
「どうすりゃいいんだよ……」
打つ手をなくした俺に不死身の男が掴みかかる。後ろに飛び退けてそれを回避し再び奴に向き直る。
「……もうこれしかねぇのか」
木刀を握りしめた手は震えていた。
俺がまだヤクザではなく不良だったころは随分と荒いマネもしてきた。これでも昔とくらべたら随分落ち着いた方だ。
その頃ですらそれをやったことはない。それは喧嘩ではなく殺人になる。
木刀をバットのように構えて相手の頭へとフルスイングする。
今まで聞いたことのない硬質な音と粘質の何かを叩いたような音が周囲に反響した。
黒い血液がアスファルトに飛沫する。頭を割られた男はようやく動くことをやめてその場に倒れた。
自分の荒い息が聞こえる。俺は今この瞬間、初めて殺人を犯したことを自覚した。
周囲からうめき声が再び聞こえ始めたので、急いでその場を後にする。
飛び散った脳漿が宙を舞う一瞬の光景が目から焼き付いて離れることはなかった。