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終末世界の歩き方。  作者: 上野羽美
引きこもり:日野陽平
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第六十七話「果たされた約束」

「……落ち着いた?」


「……はい」


 その答えとは違って胸中にはとても言葉にしたくないものが渦巻いていた。頭文字でも口から漏れようものなら悲鳴をあげ腰をひねりながら顔をほおずきのように赤く染めてバタバタと高級ソファの上を下品にも転げまわるに違いない。忘れてしまえ。ろ…………のことなど。


「他にも質問はあるんでしょう」


 白狼はからかいの態度を止めて静かに尋ねた。室内がしんしんと雪が降る森の中のように冷たい空気を纏って、俺の頭の中を白紙に戻す。


「……その言い方、なんか聞いてほしそうな言い方ですね」


「……ま、それもあるかも」


 俺は白狼の瞳を見て、ここに来るまでに彼女が言いあぐねていたことを思い出した。


「……なんで、いや、違うな……どうして俺の居場所が?ゾンビが群がってたから……とかじゃないですよね」


「それもある。そこに人がいると確信させてくれたのが部屋のドアを懸命に叩く感染者たちの姿。でもそれだけじゃない。……情報提供よ。どこかの誰かがあなたの事を、あなたのいる場所を知っていた」


 声量の少ない、けれどしっかりと耳の奥まで一音もこぼさずに届く白狼の声。こめかみから頬にかけて、静かな震えが走った。


「最後まで名乗りはしなかったけどね。……彼は自分の事をこう言っていた。『家を出た引きこもり』と」


 自分の目は、自分の膝で組まれていた手をじっと見つめていた。組んだ手は熱を帯びて震えている。あばら骨の内側はまるで空虚になって、吸い込んだ空気を体の内側で震わせている。


「最初は誰か……おそらくは本当に不特定多数のつもりね。まだ籠城や逃亡を続ける人たちに向けて外には出ない方が良いと言っていたわ。それを私たちが拾った。そして引きこもり君は私たちが救助チームだと分かると無茶なお願いをしてくれたわ」


 白髪を揺らしてから俺の目を見て白狼は続ける。


「自分たちはもう自由の身だから救助しなくてもいい。けど、この終末の世界で出会った、まだそこに生きているであろう友人だけは救ってほしい。それからあんたの住んでいた町の名前をあげて、その町にある五階建て以上のマンションにある五階の部屋をすべて調べてくれって。その中のどこかに必ず彼はいる。なんとしてでも助けてやってほしいと」


 それから白狼は数秒沈黙して顔をあげた。


「……心当たりはある?」


 曇る視界の中、俺は静かに首を縦に振った。


「……助けに来ると……彼は言ってました……。ゾンビに囲まれた家から脱出出来たら……俺を助けに来るって……」


 震える言葉を鼻をすすって続ける。


「……俺は断った。傍目から見て助けに来れる状況じゃないって諦めてたんです。……なのにあいつ、本当に助けに来てくれた……」


「……彼とは知り合いだった?」


「いえ、未だに、名前も顔すら知らない。俺が知ってるのは……そいつの声と、隣に女の子がいたってことだけです。そいつもきっと俺の事を声しか知らない。……そいつは、」


 息を飲みこんでしっかりと言葉を紡ぐ。


「そいつは確かに俺の事を友人と……?」


「……ええ。はっきり聞こえたわ。そうでなければ絶対に探してくれなんて言わないでしょ」



 いつか締め切ったドアが開いて、ゾンビでなく人が入ってきてくれたら。俺はあの部屋でそれを何度も望んでいた。

 それからすべてを諦めて、首に縄をかけたところでドアが開いて白狼たち、救助チームが俺を助けに来てくれた。

 

 でも、そのドアを開けたのは彼らじゃない。


 あの時の無線越しの彼が確かに俺の部屋のドアを開けてくれたのだ。

 俺がすべてを諦めてもなお、君は俺を助けることを諦めようとはしなかった。


 零れ落ちる涙を腕で拭って白狼に尋ねる。


「……彼は無事に脱出できたんですか?」


「……どういう理由があるのかは知らない。けど、彼は海に向かっていると言っていた。彼もあんたと同じ籠城者だったなら脱出できたということになるわね。とにかく彼はあんたを助けろって。ひたすらそれだけを言っていたわ」


「じゃあ今どこにいるとか……そういうことは一切分からないんですか……」


 白狼は憂いの表情を浮かべてゆっくりと首を縦に振った。


「……彼はまだ生きてる」


 熱く波打つ胸から一つの言葉が漏れた。


「今度は……俺の番だ」

 

 



 

 

 点滴を抜いてから、ふらつきながらも部屋を出た白狼の後ろを追いかける。照明のない廊下は鈍色に光り冷たい温度を孕んでいる。一定のリズムを刻みながら固い音を鳴らすブーツとパタパタと軽い音を鳴らすサンダルが空気を叩いていた。


「……一応言っておくと、付いてこいとは言ってないんだけど」


「……でも止めないんですね」


「……ただ外を散歩するだけだし、それに……」


 一定のリズムが一瞬だけ途切れる。


「あんたと同じ目をしてる人がいた。あたしにはその目を持っている人を止められない。……付いて来るならちょうどいいからそのまま外まで付いてきて」


 白狼はそのまま歩き出すと基地を離れ、隊員たちが休息をとっている深緑色のテントを抜けた。ここまでかなりの距離を歩いた気がする。もう春が近いとはいえ、少し前までは真冬だったこの時期に俺は大量の汗をかいている。


「思ったよりも根性あるじゃない」


 自分でもそう思った。何が突き動かしているのかは分からない。ただじっとしているのは嫌だった。俺もあいつと同じように前に進んでいたいのかもしれない。


 白狼が立ち止まったのは小さな花壇だった。色とりどりの、いくつもの種類の花が殺風景ともいえる基地の隅に咲き誇っている。立ち止まったままの白狼はこちらに目をくれることもなく、静かに目をつぶっていた。それは祈りの姿にも見えた。


 それが花壇でないことは白狼の傍に来て分かった。白狼の前にあるのはつい最近建てられた墓石で、植えられていたように見えた花々は墓に供えられた花束の集まりだった。

 白狼はゆっくりと目を開けてから振り返ることも無く俺に言う。


「……ケイト・バーキン。彼女の多くを語ろうとは思わないけど、無線の彼があなたを救ったように、彼女の意志があなたを救ってくれたってこと、彼女の名前とそのことだけ覚えておいて」


 俺は心の中でその名前を復唱して、安らかな眠りを、と祈りを捧げる。彼女がどういう人物で、何が起こったのか、どういう形で俺を救うことに繋がったのか。そのことについて深く考えようとは思わなかった。ただそれらすべてが事実である。それだけで彼女に祈りを捧げる十分な理由になりえた。


 漂っていた静謐な空気を割って白狼の胸ポケットにある無線から、オーウェン准尉の声が聞こえた。白狼は墓から数歩離れて無線に応答する。

 きっと新たな生存者が見つかったのだろう。しっかりと地面を踏みしめる白狼の足にしがみついてでも付いていこうと覚悟を決めた。


 白狼は通信を終えると無線をしまってから俺を見て言う。


「生存者のいる可能性がある住宅を衛星写真で発見したらしい。場所は……」


 白狼が口にした町の名前を聞いて思わず息を呑んだ。


 その町はあの引きこもりが住んでいた町だった。

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