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終末世界の歩き方。  作者: 上野羽美
引きこもり:日野陽平
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第六十六話「引きこもりと白狼」

『とりあえず息はしているみたいだ。……まったく、誰かさんの意志と弾薬を無駄にするところだったわ』


『まぁまぁ。……こんな世界だ。救いの手が無いのならこれも一つの道ですよ。何より間に合って良かった』


『……少尉、目ぇ覚ましたみたいっすよ。生憎日本語を話せるのはあんただけだ。あとは任せましたぜ』


『……ああ、分かった准尉』


 目を覚ますと白い光が玄関のドアから射しこんでいて、俺の周りを何人か背の高い人たちが囲んでいた。思わず飛び起きてしりもちをついたまま後ろに下がると、別の人の足に当たった。固い膝が背骨に当たると女性の声が耳の後ろで聞こえた。


「おおっと……大丈夫?あたしたちはゾンビじゃないから安心して」


 力強い声で喋るのは髪も肌も真っ白な外国人の女性だった。彼女の口から話された日本語はとても流暢でそれが違和感すら覚えさせる。


「な……なんで……ここが……」


「それについては後でゆっくり説明するから、とりあえず今はあなたをあたしたちの基地に搬送するわ。素人のあたしが見たって明らかに栄養失調状態よ」


 真っ白な女性は隣に立つ男二人に顔をむけると、外に出て無線で何かを話し始めた。どうやら話しているのは英語らしい。

 大柄な黒人とハリウッド俳優みたいな美形の白人が力なく座る俺の肩を持つ。


「あっ、せっ、せんきゅー」


 とっさに口から出たのは何とも日本語英語な一言だった。白人の男は子供みたいに笑ってから「You're welcome.」とはにかんでみせた。

 

 肩を持たれながらゆっくりと歩く。部屋の中だとそんなに苦労しなかったのに、陽の光を浴びると途端に体が重くなったような気がする。引きこもりの特殊能力だ。別に血を吸ったりはしない。


 マンションの通路は苦手な人が見たら卒倒してしまうようなありさまだった。通路の脇には一メートル間隔で死体が横たわり、壁のいたるところで真っ黒な血がこびりついていた。


「二人が肩を持ってる。あたしは目をつぶって歩くことをおすすめするわ」


 ブーツに当たる死体を蹴って帰りの道を切り拓く真っ白な女性。もっと早く言ってほしかった。二人の肩から強引に腕を引き抜いて、通路脇の溝に残り少ない胃の中身をぶちまける。


「まぁ、しょうがないわね……」


 吐き散らした後で残る口の中の酸っぱさを唾液に集めて飲み込んで再び立ち上がる。ぼろ布みたいな俺の肩を二人は持ち上げて、俺が目をつぶったのを確認するとゆっくりと慎重に階段を降りてくれた。





「何か食べられそう?」


「……水だけでいいです」


 少し前の俺ならジープに乗ることを心の底から喜んでいたのだろう。手に握ったペットボトルの中でぴちゃぴちゃと残り半分くらいの水が躍っているのは分かっていたけれど、自分が今何に乗っかっていて、この人たちは何者で、これからどうなってしまうのだとかそういうことはどうでもよかった。


「まだ名前を聞いてなかったけど……自分の名前は覚えてる?」


 ハンドルを握ってバックミラーを覗きながら真っ白な女性が尋ねる。決して温和な目つきではなかったが綺麗な緑と青のオッドアイには一瞬目を奪われた。


「……日野……陽平です。……あぁ、外国じゃ性と名、逆なんでしたっけ。陽平、日野です」


「大丈夫そのくらい分かってるから。あたしはアイラ・マディソン。階級は少尉。……一応この小隊の隊長をやってるけど、別に陽平は一般市民だからわざわざ階級で呼んでくれても構わない」


「あぁ……分かりました。それじゃ……」


 アイラ・マディソン少尉の呼び方を考えていると、黒人の隊員が俺の肩を叩いて少尉を指さしてからにやにやと白い歯を見せながら「ホワイトウルフ」と言った。


「……白い狼……?」


 真っ白な彼女は眉間にしわを寄せてため息をついた。


「……はぁ……。そいつはチャーリー軍曹だ。ちなみにあたしの隣にいるトム・ハーディがオーウェン准尉。白狼に関しては……そんな気にしないでくれ。あたしの国があたしをそう呼んでるだけだから」


「称号みたいなものなんですか……!?」


「……あんたなに急に元気になってんの。……あと、称号なんて立派なもんじゃないわ。あだ名よあだ名。上官に吠えたてる悪名高き真っ白な女ってこと」


「でも、かっこいいし、あなたにぴったりだ」


 白狼はため息をつくと、助手席に座ったオーウェン准尉に向けて頬を緩ませながら英語で何かを呟いた。


『どっかで見たことある目をしてる』


 



 反対車線が車で溢れた大きな国道を一時間と少し走ると何度か前を通ったことのある米軍基地に辿り着いた。広大な敷地を囲むフェンスの前には頭を撃ち抜かれた何十体のゾンビが横たわっている。


「あまり口に出して言いたくはないけど、ベッドはまだたくさん空きがある。着いたら好きなとこで休んでね」


「どうして言いたくないんですか?」


「それだけまだあたしたちは任務を成し遂げられてないってこと。あなただってあたしたちだけで探したわけじゃない。もう、奇跡に等しかったことなの」


 運転席から白狼が降りて、後部座席のドアを開いて俺の手を握る。


「軍曹の言う通り、あの状況だから自殺も一つの道だったのかもしれない。……けど、忘れないで。あたしたちの事じゃなくて、あなたを生かしてくれた人の事を」


 その手は透き通るくらいに真っ白で、けれどしっかりと俺の手を握っていた。俺を真剣に見つめる綺麗なオッドアイも、そのまなざしは力強かった。

 白狼は俺を下ろしてからチャーリー軍曹に俺を任せて基地の奥で並んだ深緑色のテントの中へと入っていった。



 

 昔から体は強い方じゃなかった。「体力に自信はあるか?」と聞かれたならばはっきりと「ノー」と答えるだろう。それでも点滴の経験は無くて、大げさにも体内に注入されている液体によって生かされているのかもしれないと考えるとさらに自分の体が弱くなったような気がした。


「体調はどう?」


「ゾンビに囲まれていないならそれだけで十分です」


「そ。なら良かった」

 

 基地についてから一時間と少しして白狼が俺の部屋に戻って来た。俺にあてがわれた、というよりも自分で選んだ部屋は応接間のようなところだった。このパニックで基地全体が荷物だらけになっていて唯一何もないと言える部屋はここだけだった。選んだ理由はきっと他人の荷物に囲まれるのが嫌だったのかもしれない。

 窓越しに差す淡い光に照らされた黒い高級そうなソファとガラステーブル。大きなブランケットが俺の膝の上にかかっているだけ。もう少し自分の領域が欲しいけどあの部屋には戻れないし、戻りたくなかった。

 

 白狼は「良かったら飲んで」とコーヒーを大量の砂糖とミルクが入ったバスケットと一緒に差し出した。


「聞きたいことがあるんでしょ?」


 白狼がコーヒーを半分ほど飲んで組んだ手を膝の上に置いて尋ねる。


「だいたい整理はつきましたけどね。マディソン少尉たちは、救助チームでしょう?」


「そう。アメリカはこの国ほど酷いことにはなっていない。一部の人口密集都市以外は。それで各国の支援にあたっている」


「そしたら俺はこのままアメリカに?」


「……そうなるでしょうね。難民キャンプも用意している」


 白狼は他にも何かを言いかけたが口をつぐんでしまった。


「……そこで新しい生活が送れるかどうか……でしょ?」


 俺は口をつぐんだ少尉の続きを話す。


「……確かに自信はない。俺は社会不適合者ってやつですし。ちゃんとした社会ですら生きていくことができなかった。でも、こんなこというのもなんですけど、こんな世界になってから初めて人と心から触れ合いたいって思ったんです。その機会さえ日に日に失われていく事が怖くて仕方なかった」


「……日誌に書いてあったわね」


「えっ」


 ドンと心臓が強く叩かれて、ほとばしるように汗が噴き出た。


「……読んだんですか」


「心配しないで。最初のページは破り捨てておいたから」


「うがああああああ!!!!!」


 奇声をあげながら腰をひねってソファの上に突っ伏す。額に当たるソファが冷たくて心地よかったけれどすぐに汗に浸食された。


「あー……読んじゃ困るやつだったかしら。でもそういう日誌って置いてあったら読みたくなるでしょ?テレビゲームとかでもいちいち気になっちゃうタイプなのよねぇ」


「ああ……ああ……ああ……!!」


「とりあえずコーヒー飲めば?」


 十九日目。きょうひさしぶりにこーひーをぶらっくでのみました。とてもとてもにがかったです。

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