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終末世界の歩き方。  作者: 上野羽美
高校演劇部部長:雨宮陸3
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第六十四話「若者のすべて(後編)」

 明りのない夜道を歩く。

 ほとほと疲れ果てた俺たちが進む道は、最初にショッピングモールからマンションへと向かった道だった。今日歩いた道ほど単純ではないけれど、一度歩いたことのある道だからなんとなくは道順を覚えている。


 食屍鬼の影のようなものは暗闇の向こうに見えて、武器のない俺たちはかつてないほど臆病に、もとい慎重に歩いていた。屋内に入ってしまうのも一つの手だが、朝目が覚めて囲まれている可能性は否定できない。少なくともショッピングモールからもう少し離れるべきだ。


 中島さんは炎と食屍鬼の中から出てきた俺の姿を見てひとしきり謝った後は、今の今まで口を閉ざしたままだ。俺はかけようと思っていた言葉を失って、遠く離れた食屍鬼に目を凝らしながらゆっくりと自分の足が思うままに進むことしかできなかった。


 その足取りは食屍鬼そのものだった。



 火災現場と化した事故現場から一キロも離れてはいない。夜を穿つほど高く昇る煙と炎を背中に歩いていくと、きっと気のせいではあるのだろうけど少しだけ背中があったまるような気さえする。

 時々ほかの車に引火したのか空を裂く爆発音がする。そのダイナミックな光景を普段ならじっくりと見ているのかもしれないが今はそんな余裕は無かった。あれほど恐れていた闇の中へゆっくりと進む。


「……成塚さんたちは待ってくれているかしら」


 最上がぽつんと呟く。


「……さぁ。置手紙くらいはした方が良かったよな」


「私たちを探してるかもしれないですよね」


「……かもな。特に秋津さんなら」


 詩音ちゃんのこともある。こっぴどく怒られるかもしれない。というか怒られるだろう。……この歳でヤクザに怒られるとは思ってもみなかった。


「……似てるッスもんね。先パイに」


「それどういう意味で言ってる?」


「後先考えずに突っ走るところとか」


「一応考えてるつもりなんだけどな」


 ただ、今回の事は藤宮の言う通りかもしれない。何度も自分の行動を疑うほどに、自分自身を制御できていなかった。


「……あの、……その、今回の事は……私が全部悪いです。全部私が話します」


 中島さんがばつの悪そうに話す。俺たちはみんな言葉を返せずにゆっくりと歩き続ける。

 彼女の抱えているものはあまりにも重すぎて、彼女に対して何かを言えるような領域に俺たちはいなかった。


「……それで終わりッスか」


 踏み込んだのは藤宮の一言だった。


「……分かってます。それで綺麗に、何事もなかったことになるなんて思っては……」


「分かってないっスよ。中島さんは。分かってないっス……何にも……分かってないっスよ」


 その言葉に、その否定に怒りは感じられなかった。ただ震えていた。


「……それでどうするつもりなんスか。罪を償うって言ってまた消えるんスか」


「おい、藤宮……」


「先パイには何も言う権利はないっス」


 断固として俺の発言を許さないらしい。右手を挙げてストップの命令を出す。


 中島さんは口をしばらくむすんでいた。俺は藤宮が何を言いたいのかもわからずにただ棒立ちで二人を見守る。冷たい風に足の指の感覚がだんだんと消えていく。


「……でも……じゃあ、どうすればいいの?私にはもうああする以外に道はなかった。……周りを見てよ。もうとっくに全部終わってるの!あなたたちは傍に仲間がいるからそうじゃないかもしれない!でも、私は……」


 言いかけた言葉を唇の裏にしまい込んで中島さんは涙を拭う。数分の沈黙の後藤宮は静かに話し始めた。


「……どっかの誰かは中島さんの事をずっと心配してたッス。こうなること、たぶんずっと分かってたんスよ。でも、馬鹿だから……それを許せなかった。それで馬鹿だからここまで来た。私には全然わからなかったッス。なんでそこまでこだわる必要があるんだって。なんでそうすることを望んでる人にそれをさせてあげないのかって」


 立ち聞きするどっかの馬鹿はポケットの中で拳を握りしめて冷たい風に耐えていた。どっかの馬鹿はもう自分が何も言う必要がないことに気づいていた。


「……ここに来るまでたくさんの食屍鬼を、たくさんの人間だった人たちを見てきたッス。それから逃げるために、戦うために、私はどっかの馬鹿だとか、由利ちゃんだとか、最上先輩とかと顔を見合わせて話をしたッス。……中島さんをどうやって助けてあげればいいか話し合ったッス。……それで分かったんス。食屍鬼と私たちで一番大きく違うのは生きてるだとか、死んでるだとか、人を食べるだとかそういうことじゃない。……名前があることと名前がないことが一番の違いなんだって」


 詩音ちゃんをおぶった最上が隣に立つ。俺を一瞥すると何かを言いたげに目配せをしてから向かい合う二人の方へと再び顔を向けた。


「この世界じゃ死んじゃったら有象無象なんスよ。死んだあとはお墓も建てられない。名前も残らない。その人がどんな人だったのか、誰と、どんな思い出があったのかも分からないんス。どっかの馬鹿がなんでここまで中島さんのことにこだわるのか、どっかの馬鹿がバールを一本持って食屍鬼の海に飛び込んだ時、ようやく分かったんス」


 いったん言葉を飲み込んでから声に出す。藤宮の口から出たそれは酷くまっすぐな言葉だった。


「想ってた人がそんなに大切だったなら……その人の記憶まで死に追いやることないじゃないッスか!もう彼はいないのかもしれない……でも彼の事を覚えてる中島さんはまだ生きてるんスよ……!自分の人生投げ捨てて彼を忘れるくらいなら、自分の人生の全部を懸けて彼を生かしてあげるべきッスよ!どっかの馬鹿はただそれだけのために命をかけたんス!それだけを伝えたくってここまで来たんスよ!」


 すべて彼女の言う通りだった。噛みしめた奥歯が鳴るのはきっと寒さのせいではなかった。


「だから、大好きだった人のために、どっかの馬鹿に対して少しでも悪かったって気持ちがあるのなら、いくら失ったことが辛くったって生きて戦ってくださいッス。……それだけ、それだけッスから」


 言葉尻の弱くなった藤宮は近くに立っていた有沢に抱きしめられるとしばらく顔をあげなかった。







 白銀の月明りに照らされた金色の波を夜風が凪いだ。ざわめき揺れる黄色の菜の花が春の香りを巻き上げる。風は冷たく、けれど穏やかに頭上を見上げる俺たちに吹き付ける。


「……っっ……寒いッスね」


 隣に立つ藤宮が大きく伸びをした後で袖の中に両手をしまい込んだ。白い息が夜空に消えていく。

 

 俺たちの目の前、それでも遥か彼方、気の遠くなるような距離にある星たちがこの地上から無数に輝いて見えている。夜が始まってしばらく経つというのに、頭上を満たすこの光景に全く気付けずにいた。俺たちは目を奪われたままでしばらくの間呆然と突っ立っている。

 

 詩音ちゃんは最上の肩から身を乗り出して、星に囲まれた月をじっと見ていた。瞬きもしない代わりに唇は小さく動いている。何を言っているのかは聞こえないし、およそ声が出ているようにも思えなかった。


「……地上の明かりが消えたからこんなにも星が多く見えるんだろうな」


「……ッスかね。今じゃきっと東京でも同じ空が見えるんじゃないッスか」


「それはどうだろう。空気の淀み具合とかも関係あるしな」


「……それに東京じゃきっと見上げる人も残ってないっスよ」


「かもな」


 きっとそうなのかもしれない。だからこそ俺は心から願ってしまう。


「まだこの星空を見上げてる人がいればいいんだけどな」


「いるんだとしたらどっかで誰かが同じこと思ってるッスよ。私も同じッスから」


 深く息をついてから耳を澄ます。何の種類かも分からないが虫の小さな声が草むらから聞こえてきている。その瞬間、久々に小さな生き物の命の存在さえ思うことができた。


「……先パイ」


「ん?」


「……好きッス」


 ………………。夜空を見上げたまましばらく硬直する。頭には返答をどうするだとか、最上たちに聞かれていないのかとかそういうことよりもなぜか今日読んだ漫画の内容が浮かんでいた。


 後夜祭、キャンプファイヤー、花火にかき消された後輩の告白。


 こじつけかもしれないけど、どうしても今日の一連の事件と関連付けせずにはいられなかった。


 それでもこれは漫画じゃない。明かりが点いていれば星は見えない。花火の音の代わりになりそうだった爆発音はとうの昔に無くなって、藤宮の言葉はしっかりと聞き取れてしまった。アニメの主人公のように「ん?今何つった?」と馬鹿な返事をするほど馬鹿な男ではない。たった数十分前にめちゃくちゃ馬鹿呼ばわりされたけれど。


 沈黙が流れる。

 最上たちは聞いていたのかそうじゃないのか夜空を見上げたまま首を動かさない。


「……返事はその、考えとか、いろいろ落ち着いた後で十分ッスから」


 何も言えないままで突っ立っている俺に藤宮は大人な対応をする。なんて情けない。目の前から星の数が減っていったようにも思えた。





 疲れかそれ以外の何かか、土手を発ち無数の星空の下を無言で歩き続ける。

 今度こそ、誰も、何も、話を切り出すことは無かった。


 距離感が気になる藤宮は俺から一番遠いところでアスファルトを見つめたまま歩いている。俺はその距離が何を言っているのか頭の中で必死で考えて、考えて、考えることをやめた。

 ああ、そうか。胸を駆け巡る言いようのないもやもや、これが青春というものか。夏の大三角形を構成する星を指さして説明したり、午前二時に踏切まで望遠鏡を担いでいくあれか。なんて色々な意味で心苦しいものだろうか。


「……雨宮」


 隣を歩く最上が止まって俺の肩を叩く。


「……はい、何か?」


「足音がする」


 からかわれるのだろうかとビクビクしていた俺はすぐさま歩きを止めて耳を澄ます。夜道は星と月の明かりがあれどまだまだ目が効くほど明るくはない。


「……姿が見えたら音を立てずに逃げるぞ」


 前方から聞こえた足音の方へと発煙筒をコロコロと転がす。地面を明るく照らし出した半径五メートルにいくつもの足が姿を現した。


「……くそっ、なんでこっちの方向から来るんだよ」


 指示通りにパタパタと後方に下がる。頭の中では別ルートを探そうと思っていたのに別の事が浮かんでいる。


「マンションはもう少し先だ。たった一日前はこのあたりに食屍鬼の影は無かったのに」


「……もしかして、他の地域にいたのを誘導しちゃったんじゃない……!?」


「……いや、そんなことは……」


「あれは?」


 最上が背後で高く上がる煙を指さした。


「……非常にマズい状況ってやつだな」


 春はそう長いものじゃない。あっという間に終末世界の現実へと立たされた。


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