第六話「任侠・オブ・ザ・デッド」
「くそっ!!!なんだってこいつら動けんだよ!!!!!」
折れた足を引きずりながら目の前に迫る相手は、消火器を顔面にぶつけてもなお全く気にも留めない様子だ。
駅の近くの比較的小さなマンション。ここに住んでる奴のたいていが顔見知りだった。幸の薄そうな家族、裕福なのにこんなチンケなマンションに住む老夫婦、親の金で部屋を借りてふらふら遊んでいる茶髪の学生、それと仕事仲間たち。
そんな知り合いたちがマンションの通路を幅いっぱいに広がり血相を変えてこちらにゆっくりと近づいて来ていた。
萩尾、相沢、根本、氏原。俺の仕事仲間たちは全員この知り合いたちと取っ組み合いになり、噛みつかれ豹変し、次々と逃げる住人に噛みついていった。
四階から事務所のある二階まで階段で降りてきた。奴らは階段を降りることすらできないくらいもたもたした足取りだったが、ほぼ全員が階段を転げながら降りてきた。
手足が折れ曲がりながらも速度はそのままに足を引きずりながら近づいてきている。足早に事務所へと向かいインターホンすら押さずにドアを強く叩く。
「組長!!!俺です!!秋津です!!!連絡受けてここまでやってきました!!!開けてください!!!」
事務所のドアが小さく開く。
「……秋津か。早く中に入れ」
組長の手には拳銃が握られていた。
「……ほかの連中はどうした」
事務所のソファに座りガラスのテーブルを見つめたまま組長が尋ねる。メガネの向こうの両目は光を失っているようだった。
「……駄目でした……。萩尾と根本は連中に殴りかかったところを……。他の奴らも必死で応戦しましたが……結局このザマです……」
「……そうか」
「……俺は……襲われるあいつらに……なにもしてやれなかった……!連中をぶん殴るだけ……それも、それさえも無駄だった……!!」
「……いいんだ。秋津、よくここまで来た」
組長は震える俺の肩に手を置いた。ごつごつとしたでかい手だった。
「……連中はボロボロにはなったがここまでやってきてる……。すぐにでも事務所の前で群がりはじめます……。なのに……組長は……なんだって俺を呼んだんですか」
組長は何も言わず、ただ事務所のドアを見据えていた。そのドアを奴らが激しくノックする。
「……やっぱり連れてきちまった……!組長……こうなることあんたにだって分かってたはずだ!!なのになんで……!!」
組長は無言で煙草に火をつけて深く吸い込んだ。煙をじっくり味わうよう肺の中で巡らせてから吐き出す。
「秋津……。お前には今まで組の幹部として色々と世話になった。俺が拳銃でお前が弾丸。俺が引き金を引くたびにお前は何も言わずにただ標的へとまっすぐ飛んで行ったよな」
「……ならまた引き金を引いてくださいよ。組長が言うなら俺は今まで通り組のためにドアの向こうの連中に突っ込んで」
「もう駄目なんだよ。わけわからん連中のおかげで組はぶっ潰れたようなもんだ。残るは俺とお前だけ。この壊れちまった世の中で2人でシノギをやっていけるか?もうこの組はここでおしまいだ」
「……そんなこと」
「だがな」
組長は俺の肩をがっしりと両手でつかむと彫りの深い目尻の皺を開いてまっすぐな目で俺に語り掛ける。
「この組が終わってもこの国の義理と人情はいつまでも残り続ける。俺はそう思いたい」
組長は立てかけられた木刀を俺に手渡すと、顔にしわを寄せながら笑った。
「受け取れ秋津。悪いが拳銃は渡せねぇ。どうせ残り数発も無い。俺が道を開ける。だから、なんとしてでもお前はここから出るんだ。この国の義理と人情を……お前が背負っていけ」
「組長!俺には……!!」
「バン!!」
右手の親指と人差し指で銃の形を作り、俺の目の前に向ける。
「引き金引いたぞ」
組長は俺に優しく笑った後で振り返り、悠々とドアへ歩み始めた。
「……組長……!!……組長……!!待ってくれ!」
泣きながらその背中に呼び掛けるが、全く振り返ろうともしない。ろくでなしだった実の父親よりもずっと大きい背中を焼き付ける。
事務所のドアを思いっきり開け連中を突き飛ばした後、拳銃を二発撃ち込んだ。
俺はもう走るしかなかった。それが放たれた弾丸の定めだ。組長の思いを曲げるわけにはいかない。
組長がその身に群がる連中を壁にたたきつける。
「秋津!!!早く行け!!」
わずかに空いた通路、飛びかかる住人を木刀で払って抜ける。
「組長……!!組長!!!」
連中に飲まれていく組長を背にマンションの通路を駆け抜ける。
行く手を遮る連中を木刀で薙ぎ払い、ただひたすらに走り続けた。
おかしな事件が起こりはじめてからたった一日で世界はこんなにも変わってしまった。たった一日で仕事も仲間も、世話になった人も失ってしまった。
曇天の下、木刀を手に持って立ち尽くす。
「組長……俺はどうしたら……」
放たれた弾丸は標的を見つけられず宙を彷徨っているままだった。




