第五十六話「MEANWHILE...」
「……んで、本命は誰なんだよ」
「いや、本命も何もただの仲間なんですって」
「いや、今まではそうだったかもしれないけどさ。でもアレ、二週間近く同じ屋根の下だったわけでしょ?」
「だからってそういうのが芽生えるとは限らないでしょ」
「いーやー。芽生えますー。超芽生えますー。俺だったら全員とって食いますー」
「最低じゃないですか」
「まぁ、石井が最低の人間なのは重々承知なわけで……でも誰かしらいるでしょ?自分の中で一線を越えたいような人が。……そういえば藤宮さんと二人で飯食ってたよね」
「えぇ……あれカウントされますか」
「もちのろん」
刀を握り前島さんたちを救いに行った秋津さんの背中を見送って数十分後、詩音ちゃんを部員に任せてもよさそうな気がしてきたので自室で横になっていたら大学生たちの質問攻めにあっている。そういえば修学旅行ではこういう話題にはならなかった。
「で、どこまでいったの?手を握るくらいのことはしたんでしょ?」
「してないです」
「恐怖から解放されたときに抱きしめあったりとかは」
「ないです」
「じゃあ逆におんぶとかは」
「ぶっ」
「あってめえ」
あれは仕方がなかったんです!とか色々と誤解を解きながら、俺は頭の中で全く別の人物のことが気にかかっていた。
年齢は俺たちとさほど変わらなそうな生存者のうちの一人。
悲劇の夜に悲鳴をあげたのを最後に俺は彼女の声を聞いていない。口を閉ざしたままの彼女がふいにどこかへ行ってしまわないか、それが気がかりでしょうがなかった。
一応部員と同じ部屋になったので常に一緒にいるように言っておいてはいたのだが、なんだか心配になって深い色をした天井を見上げながら彼女の事をひたすら考えていた。
そしたらこれである。
嫉妬に駆られた石井さんに四の字固めを決められて床を叩きながらギブアップを宣言する。
「ははは……!弱いぞ雨宮。そんな力で彼女たちを守れるなんて思っていないだろうな」
「すいません。ちょっと部員の様子観てきますね」
「うわ、なんか一気に敗北者の気分」
風が酷く強い日だ。玄関の戸を開けて廊下に出ると改めてそれを強く実感する。獣の咆哮のように唸る風に巻き上げられた砂煙が宙を漂っているのを数十メートル先に確認した。
「春一番ってやつかね」
遮るものもそれほどない田舎の地で風は自由に飛び回る。カラスが煽られて上手く飛べないくらい、空を風が蹂躙していた。
俺たちはきっとあのカラスだ。吹き荒れる絶望の中でまともに歩けずにただ彷徨うだけ。あのカラスには帰る家があるのだろうけど。
うなりをあげた風の中、かすかに咳が聞こえたのでそちらへと振り返る。
数メートル先にあらわれた彼女は俺がここにいるとは思っていなかったらしく、俺の姿が視界に映ると足を止めて引き返そうとしていた。
「風邪ですか……?」
彼女を呼び止めるつもりで声をかける。
「……かもしれないですね。雨に打たれて風邪ひいちゃったみたいです」
小さな声だった。どうやら本当に風邪を引いたらしく鼻声になっていたが咳ばらいをして「でも大丈夫ですから」とだけ言って自分の部屋へと戻ろうとする。その足取りは以前にもましておぼつかなかった。
「あいつらは」
引き留めるように声をかける。
「ちゃんと面倒見てくれてますか?詩音ちゃんの」
「……ええ。気になるなら付いていきます?」
彼女に尋ねられて俺は首を縦に振る。なんとなく彼女を視界に入れたままにしておきたかった。
「あっ、中島さんどこ行ってたんスか!外は危ないから出たらダメって言ったじゃないッスか!」
「……ごめんなさい。ちょっと風を浴びたかっただけなの」
「もー。心配かけるッスねー。どっかの誰かみたいになっちゃうッスよ」
「どっかの誰かって、もしかしてこの人の事?」
彼女が俺の前から一歩だけずれて俺を指す。藤宮は苦笑いする。
「……男は入っちゃいけないんスけど」
「……許可が下りたんでな」
靴を脱いで廊下へと上がる。この部屋の住人の詳細は知るところではないが少なくとも女性が住んでいたのは玄関を見て明白だった。ショッピングモールで手に入れた部員たちの新品の靴の他にヒールが二つほど隅に置かれていて、乱暴に開け放たれた形跡のある下駄箱には明るい色をしたスニーカーが並べられていた。
部屋に漂う香りもまさに女性の家といった感じの甘い香りがしていて、廊下を堂々と突き進むことにためらいを覚えたが構わず他の部員たちがいる部屋へと進む。
すれ違いざまに藤宮に「ちゃんと見てろって言っただろ」と目線で語る。意味をくみ取ったのか藤宮は少しだけ苦い顔をした。
「……誰?」
奥の扉を開けて一番最初に目に入った詩音ちゃんがきょとんとしながら呟く。
「あれ、見覚えすらないかな?」
確かに直接話したことはないかもしれない。話すとしてもほとんど秋津さんと成塚さんの二人だけだったし、幼い彼女には顔の区別なんてつかないのかもしれない。
「うぷぷ。影薄いんスねぇ先パイ」
「由利おねぇちゃん。この人誰?」
服の裾を掴んで有沢ではなく藤宮に尋ねる詩音ちゃん。
「あのー、さっきから言ってるんスけどねぇ……私が結衣おねえちゃんで、こっちが由利お姉ちゃんッスよ」
「お前も名前覚えてもらってねぇんじゃねぇか」
「しゃらっぷッスよ!!」
相変わらずの部員たちを見て少しだけ安心する。それと同時に俺は隅にたたずむ中島さんと部屋のまんなかで藤宮と有沢を交互に見つめる詩音ちゃんを意識せずにはいられなかった。
俺は彼女たちをよく知らない。
ショッピングモールにいた人たちの中の一人。二人とも大切な人を失っている。それは俺も部員たちも同じだったけれど、目の前で大切な人と引き裂かれた彼女たちが何を思っているのかなんてできれば考えたくはなかった。
「雨宮、話があるんだけど」
俺の目線に気づいた最上は俺を部屋の外まで連れだすと「中島さんの事なんだけど」と話を切り出した。察しがいいと言うかなんというか。
「彼女が気になる?……いえ、別にそういう意味じゃなくて」
「分かってるよ。言わなくても。気にはなってる。ずっと、あのショッピングモールを離れてからな」
羽織った上着の袖の中に手を引っ込めてそれをポケットの中に突っ込む。冷たい風が当たるのは顔だけになった。
「……どうしたらいいか分からないの。それこそなんて声をかけたらいいのか、そもそも声をかけていいものなのか」
「……声くらいはかけてやるべきだろうな」
他にももっと最上にいう事はあったのだろうがそれ以上は何も浮かばずに黙って白い息を目で追った。
中島さんは、残された人だ。親しい人は誰もいなくなってしまった。俺たちや、秋津さんたち、石井さんたちのように信頼できる人はいない。だからこそ俺たちが手を差し伸べてあげるべき、そんなことは重々承知だったがその瞳にひとかけらの希望すら映っていない彼女をどうしてあげるべきかは全く分からなかった。
仲良くなろうとすればするほど「大切な人のいる俺たち」と「大切な人のいなくなった彼女」の溝は深くなっていく。
必死で明るく接することはまるで激流の中で小枝がこれ以上流れていかないように食い止める、川から突き出た石の気分なのだろう。あまりに心もとなく、先は見えている。
「……俺も居ていいかな」
「もちろん。そっちの方が助かるわ」
何もしないよりは、何もできない方がマシだった。




