第四十七話「SCHOOL OF ZOMBIE !」
廊下に反響しているうめき声が外のものか中のものなのか、私には分からない。どちらにせよ、事実としてこの中にいるであろう生存者と私たちは感染してしまった子供たちに囲まれている。
固い靴底が廊下を擦る音がいくつも聞こえる中で、私はなるべく自分の心臓の鼓動に意識を向けた。
「バリはどうします?」
「……窓枠を超えるには奴らは背が足りない。これまでの例を見るに手足を使ってよじ登る事はできないみたいだし、どちらかといえばバリケードよりは迅速な行動の方が大事ね」
そう言うと少尉は小隊の前へと出ていき、こちらに振り返った。
「……構えておいて」
少尉の背後でガチャガチャと態勢を整える小隊。フラッシュライトで照らされた前方を私も十分に注意しする。
『誰かいませんか!救助しに来ました!いたら合図をお願いします!』
少尉が流暢な日本語で呼びかける。私は日本語がさっぱりだけれど「誰かいますか」みたいなことを言っているのはニュアンスで分かる。
少尉が二度三度呼びかけると遠くの方から高い声が聞こえた。おそらく子供か女性の声。私たちは顔を見合わせて声が聞こえたことを無言で確認しあう。
「……上だ」
それと同時にあちこちから物音が聞こえた。私たち以外の足音、何かが倒れる音。見合わせた小隊の顔が苦くなる。
照らされた前方、二十メートル先で小さな影がゆっくりと廊下を歩いているのが見えた。
「……まぁ、ですよね」
准尉が即座にライフルを構え少尉の顔を見る。少尉が小さく頷くとタタタンと乾いた銃声が鳴った。性別さえ分からないほどの視界と距離の中、小さな影が壁に叩きつけられピクリとも動かなくなったのが見えた。子供を撃ち抜く姿までは撮れないカメラマンもここぞとばかりに影を撮影する。
「さすがハゲタカの目」
軍曹が准尉をからかう。いつもなら振り返って頭をはたきながら言い返す准尉だけど、ライフルを構えたままで振り向くことすらしなかった。
「……ああクソ。分かっちゃいるが子供を撃つってのは一生慣れねぇな……。こいつがスナイパーライフルだったらスコープ覗いた瞬間に戦意喪失しそうだぜ」
さて、と手汗をズボンでパンパンと叩きながらようやく准尉が振り向く。
「俺の見立てじゃまだまだこの中にいる奴らが続々と出てくるだろう。次はお前らの番だ。心の準備はいいか?」
視界も悪く、死角も多いこの場所は前進するのでさえ一苦労だった。通常感染者に対して発砲するという行為は音によるリスクを伴うので大抵は控えられるものだけど、今回は例外だ。
目の前に居る感染者がたった一体でも銃撃して取りこぼしがいないかを確認する。教室から、ロッカーなどの陰から、まるでお化け屋敷の演出みたいに彼らは突然現れる。
「生存者の位置は?」
「救難信号は出せるけれど、外には出られない。おそらく屋上の一角ね」
「……なるほどねぇ。んで、屋上への入り口は?」
「この校舎の反対」
「オーケイ。オーケイ。ああこの畜生クソッたれめ」
廊下を蹴り上げる軍曹。キュッと耳を労しそうな音が響き、あとは廊下に傷がついたくらいで状況は何も変わらない。
「……階段を登るだけってなら話は早かったんですけどね」
「ああ、そうだ子猫ちゃんの言う通りだ。どうして神様ってのは遠回りさせるのが好きなんだ?自分は一週間で世界を作るくらいせっかちなのにな」
そう言って軍曹は真っ白い天井に向かって中指を突き立てる。かなりご立腹のようだ。
「おい軍曹、野暮なことはするんじゃねぇよ。中指突き立ててねぇでこういう時くらい祈っとけ」
教室の陰からゆらりと影が姿を現し、再び准尉が狙って撃つ。慣れないと言う割にその手際は良かった。
「もしくは……神様よりも手前を信じるかだな」
この人もまた、私と同じようにこの世界と戦っているのだろう。すべてがひっくり返った終末の世界で自分の行動を無理やりに肯定しながら、それを否定しようとする自分を殺しながら。
再び現れた感染者の頭へ照準を合わせ、私も引き金を引く。
「ごめん」
被弾した勢いで子供は廊下の奥へと吹き飛ばされ、真っ赤な消火栓へとぶつかった。ぐわんと大きな金属音が周囲に響く。
「そうだ子猫ちゃん、それでいい」
准尉が私の肩に手を置いた。少しだけびっくりしたけど、人の体温が感じられたおかげか少しだけ心が安らぐ。
「でも、大丈夫か?」
「……私もやっぱり慣れないですけど、でも今は先に進みたいです。手遅れになる前に生きてる人を助けたいですから」
「……そうか」
それから幾分と経たないうちに案の定、まばらではあるけれど音につられた感染者たちが続々と姿を現す。隊員たちは准尉を見習ってあくまで冷静に斉射する。それはまるで彼らを天国へと送り届けるかのような、いたわりを持った斉射に思えた。
彼らは化け物じゃない。
だからこそ、撃たなくちゃいけない。
視界に映った彼らが廊下へと伏し、手足さえ動かなくなったのを確認する。けれど過ぎ去った一瞬の脅威に誰も声をあげることはしなかった。
二階へと登り、反対側の校舎へと続く渡り廊下を抜けようとした時に私たちは愕然とした。
「……これは……これが屋上まで続いてるってことでいいのか?」
この前の訓練と同じくらいの感染者の数が狭い廊下を占領している。きっと廊下だけでなく、この校舎全体に広がっているのだろう。小さな上履きがぞろぞろと廊下を踏みつけて私たちを威圧するかのようだった。
「どうしますこれ?他のルートにしたところで結果は変わらなさそうですけど」
「もう自分で答えを言ってるって気づいてる准尉?」
「決めんのは俺じゃないっすからねぇ。部下を守れるかどうかは少尉の行動次第だ」
「……」
「……少尉?」
既に何体かは私たちの方へと近づいている。その距離はおそらく二十メートルもないだろう。けれど、むやみに撃てば前方にいる感染者全員がこちらへ向かってくる。撃てという命令が出るまでは私たちはライフルを構えることしかできなかった。
少尉はすぐに「撃て」と言うのだと思っていた。准尉の言う通り、ルートを変えたところで結局は校舎全体に蔓延っているので状況は大して変わらない。屋上にいる生存者を救うのならもう前に進むしかなかった。
けれど少尉は唇を固く結んだままで目の前をただ見据えている。
「おい、どうするか言ってくれマディソン少尉。餌になれって命令だけは勘弁願うぜ」
「……突破する」
結んだ口から出し絞るようにして少尉が告げる。引き金にかかったまま震えていた人差し指がようやく解放されて目の前に広がった感染者の海へと弾丸を浴びせた。
中央通路の大きな窓に真っ黒な血がべったりと塗りつけられる。クリーム色の廊下に脳みそが叩きつけられる。眩みそうになる目を必死で見開いて、あげそうになる悲鳴を必死で押し殺して、湧き出す感情を必死で押さえつけて引き金を引く小隊。
広がる感染者の海は音を聞きつけて次々と現れる感染者も混じり一向に引かない。
「今回は銃弾余ってんだろうな!?」
「あるにはあるけど無駄には撃つな!!」
「無駄に撃つなったって……これじゃキリないぜ」
感染者と私たちは拮抗状態だ。彼らは一定の距離で動きを止めるけれど、私たちもここから動くことができない。訓練で消耗する恐怖を味わった隊員たちは私を含めてそれを一番に気にしていた。
「あの……!!どうにか階段まで突破はできないでしょうか!!」
「階段まで突破ったって……ああ……分かったそういうことか畜生」
感染者は平面を歩くことは問題がないけれど、階段を登るには少し時間が必要になる。階段までどうにか登ることが出来ればある程度こちらにも余裕が生まれるのではないかと私は考えた。准尉もそれをすぐに理解したようだ。
「……どうします少尉。多少無茶だが進むならこれしかねぇと俺は思うんすけど」
「それは……キティが……?」
「……ああ。子猫ちゃんの発案だ」
少尉は私の顔を見て、それからまた少しだけ遠い目をしてから言った。
「……やろう。突破しよう。けど、あくまで慎重にお願い。噛まれたらそこでお終いってこと絶対に忘れないで」
ぬちゃり。ねちゃり。不快な音が鼓膜に障る。
粘ついたタールみたいな血液の上をゆっくりと歩く。柔らかく冷たい遺体の上を少しずつ前進していく。どうにか踏みつけないようにとすり足で進むと、ブーツの上に後頭部の欠けた少年の頭が乗っかった。見開いた真っ白な目は私を見ながらゆっくりとブーツの側面へと消えていく。ゴト……と床に頭の置かれる音がするとブーツの上には血で汚れたピンク色の物体が残った。
血液の音をかき消すかのように、再び何人かが発砲する。
立ち止まり、撃つ。慎重に遺体を乗り越える。立ち止まって撃つ。
非効率的な掃討作業が続く。廊下の奥に見える階段には三人の感染者が這っているのが見えた。どうにかあそこまではたどり着きたい。
逸る気持ちがブーツの底を上げる。下ろした先でメキ……と踏みつけた少女の肋骨が折れる音がした。
ごめん。
だけど、それでも行かなくちゃいけないから。
そうやって遺体を踏み越えて中央通路も後半に差し掛かったところで私たちは再び立ち尽くす。
「まぁ分かってはいたがどうするべきかねこれ」
校舎に入れば廊下は右に左に階段にきちんと分かれる。中央通路のように前方から来る敵だけを銃撃すればいいというわけではなくなっていた。
「でも、行くしかないですよ。固まって全方位に銃口を向けてどうにか全員で階段を登りましょう」
立ち止まればそれだけ状況は悪くなる。今はとにかく前を目指すのみだった。一層強くなる腐臭に吐き気を催しながら校舎へと一歩足を踏み入れた。
「ああ……」
百はくだらない視線が私へと突き刺さる。そこには悪意も殺意もない。けれど私は殺される。
まだ殺意を持って襲い掛かって来られる方がマシだ。
ライフルはリズムを刻んで鳴り響き、それに呼応するように食いちぎられた喉笛が震えて声にもならない声を発する。分厚い頭骨を叩き割り、彼らにとって唯一機能を必要としている脳を突き破り、彼らをようやく天へと送る。
それでも数は押し寄せて私たちの銃撃では間に合わない気さえしてきた。近づくアンデッドの群れ、下がる命中率。階段はすぐそこにあるのにものすごく遠いような気がしていた。
パラパラと落ちる薬莢に耳を傾けなんとか道を切り拓く。
すぐそこにまだ生きている人がいる。こんなのなんだってない。
私の中で情緒的な距離は少しずつ縮まっていた。決意が恐怖を打ち消して前に進む勇気をくれた。
「階段に上がれる人は上がってください!!簡易的だけど安全圏ですから!!」
私が叫ぶと切り拓いた感染者の海を一人二人と隊員が駆け抜けていった。這いずる少年の頭を撃ち抜き階段から蹴落とし、それでようやく歓喜の声をあげた。
誰もがその様子を見ていた。震えて固まった口角を上げて目の前の希望へと手を伸ばすかのように一人また一人と階段を駆け上る。カメラマンも完全に安全を確認したうえで登っていった。
「軍曹!前に出れますか!?」
「……レディーファーストと言いたいところだが、そうも言ってられる場合じゃないな。恩に着るぜ子猫ちゃん!!」
少女の腹部を蹴り飛ばして階段を駆け上がる軍曹。踊り場までたどり着くと、私に笑顔を向けてガッツポーズをした。
それからだんだんと感染者の手は薄くなり、小隊も半分以上が階段を登り切った。
「……ったくあいつら女に任せて先に行きやがって……まぁ、俺も伍長の腕前を信じてるから同じことをしたと思うけどな」
「意外と准尉は薄情なんですね」
「褒めてやったのになんだそれは」
二回の発砲の後、准尉も走り出して階段を駆け上がる。
「……キティ!あなたも早く!!」
階段を指し示す少尉。私は目の前まで迫っていた一人の少年の額を撃ち抜いてから階段へと向き直り、階段へと駆けた。
その時だった。
私はグンと何かに足を取られて広がる遺体の海に叩きつけられる。一瞬何が起こったのか分からずに反射的に腕で何かを掴もうとした。べったりと濡れた冷たい腕を掴むけれど、それが支えになるわけがなく再び肘から遺体の海にダイブした。
「ぐうっ……!」
掴まれた足が何かに切断されたかのように痛む。ぐずぐずと何か固いものが皮膚へとめり込み、私は何が起きているのかをようやく視認した。
額からドロドロと血を流す少年が私の腿に噛みついたまま絶命している。
「……嘘……」
「伍長!!!」
少尉が駆け寄って少年を引き剥がす。
「っ……があああああああっ!!!」
力いっぱい歯を食いしばってくれたおかげか私の腿は真っ赤な血を噴き出しながら肉ごともぎ取られた。傷口からは既に粘性の血がだらだらと薄ピンクの肉を汚染し始めている。
絶えず流れる黒い血液を覆うように包帯で腿を巻いてもらい、少尉の肩を借りて階段を登り始めた。
既に踊り場に集合している隊員たちがそれを援護しながら私の名前を叫んでいる。
まるで熱された鉄板を足に押し付けられたかのように痛む足を引きずって私はようやく踊り場に着いた。痛みと出血で視界はテレビの砂煙が覆いかぶさったように見えない。少尉の肩からずるりと床に伏すと冷たい床が随分と心地よかった。
やがて視界が元に戻ると不安げな表情で私を見つめる隊員たちと目が合う。
「伍長!!」
「子猫ちゃん!!」
額に浮かぶ脂汗を拭うと、少しだけ和らいでいた足の痛みが痛烈に蘇る。
包帯から染み出る真っ黒な血を見ながら私は思った。
ああ、そうか。
私は感染してしまったのか。




