第四十六話「闇の中へ」
校舎の一階の窓にはバリケードとしてロッカーや板が打ち付けられていた。別の入り口を探すか、窓を破壊して中に入るしかない。私がここに籠城するならすべての侵入口を封鎖すると思うので後者を選ぶべきだろう。
裏口の白い門を抜けた先では、先に突入した隊員が小さな感染者たちと対峙して、額に向けて銃剣を刺突していた。
沸き上がる感情と金切声をあげる倫理観をどうにかして殺そうと顔を強張らせる隊員たちの頬に真っ黒な血が飛沫する。
小隊の後ろの方にいたカメラマンはその姿は撮影せず、重たそうな機材を抱えたままうつむいていた。プロパガンダのための記録に子供を刺突する姿は求められていないのだろう。いくら国民が「そういうこともあり得る」と理解していたところで非難が飛び交うのは免れない。
「ハンマーはあるか!?」
少尉が後続に叫ぶと隊員の一人が大きなスレッジハンマーを抱えてやってきた。「これを」と少尉の手からハンマーは体躯の大きな軍曹へと手渡される。
「あぁ、やっぱぶっ壊すしかないのか……」
青ざめた軍曹は木の板が打ち付けられた窓を向いて、私たちへと首だけ振り返る。
「子猫ちゃん、背中は頼むぞ……」
「……なんで名指しなんですか」
窓を割るというリスクは説明するまでもない。私たちは音を立てて唾液を飲み込んで自分たちの周囲を警戒する。
「少尉、最悪の状況を考えて発砲の許可をくれませんかね……?」
「……必要最低限に留めろ。狙って撃って殺せ」
「了解。後ろの方は肝に銘じてあるさ」
あの時草むらにへばっていた准尉が苦笑いを浮かべた。
「ビビって弾倉空にすんのはやめてくださいよ」
「お前に言われたかねぇんだよ」
校舎の陰からゆらりと小さな影が出てくると張り詰めた空気が小隊の周囲を満たす。
「……やるぞ」
軍曹が告げると全員がライフルを構えた。黒い鉄の筒が音を立ててそれぞれの焦点へと持ち上げられる。
「ぁぁああっ!!!」
窓ガラスの割れた音が周囲に響き渡ると、グラウンドからまばらに聞こえていた足音が一斉に揃い、こちらへ向かってくるのが聞こえた。
「突入できるか!?」
「まだだ、分厚いベニヤが何枚も打ち付けられてる!!もう少し待ってください!!」
「クソッ……過剰防衛ってやつじゃねぇのかそれ」
ザリザリとグラウンドの砂を巻き上げ、アスファルトの小石を踏みつけ、グラウンドにいた無数のアリ達が私たちを喰らいに来るのだ。目に見えている小さな影に狙いを定めながら、引き金に掛けている震えた指が思わずそれを引いてしまわないように指を伸ばす。
ガンガンとベニヤを叩く軍曹の息は切れている。
どうにか早くバリケードを壊して中に入れないものかと私は必死で願った。
時間は必要のないくらいゆっくりと流れる。募る焦燥の中でやけに大きく聞こえる心臓の鼓動に耳を傾けながら「私は大丈夫だ」と限界の最中でなんとか自分を保つ。
「確実に狙えるという位置までは撃つなよ」
少尉の言葉通りに限界まで相手を引き付け、最初の一人が引き金を引いた時、感染した児童たちの先頭にいた百二十センチ程度の女児と私たちとの距離はたった五メートルのところまで来ていた。
一斉に激しい銃声が響き渡る。最初の銃弾が児童の頬を穿ち、右奥の乳歯を弾き飛ばすと、二つ目の銃弾がその鼻っぷしを打ち砕いた。
小隊の斉射による脳への命中率は四割程度。十メートル以内の標的でもこの命中率。情緒的な距離はその二倍にも三倍にも及ぶ。
「ごめんね」
濁流のように流れ込む倫理観に無理やり蓋をして私も引き金を引いた。
綺麗な白と黄緑のストライプのTシャツを真っ黒な血で汚した少年の眼窩へと銃弾が被弾したのを私は目に焼き付ける。
自分の過ちを深々とじぶんになすりつけるように、目に焼き付けて、それから頭の中で凄惨な彼の遺体をイメージする。零れ出るはらわたを過剰なまでに編集する。
それで私は前へと進む。
いくつもの救えるはずだった命を踏みつけながら。
「……よし!!中に入れるぞ!!」
ベニヤ板がメキメキと音を立てて崩れ落ちて、それから軍曹が叫ぶ。
窓枠に手を付いた軍曹はフラッシュライトで中を照らすと、小さく悲鳴をあげた。
「……おい、これ……!」
斉射を止めて立ち上がり軍曹へと駆け寄ると、その向こうでここの教師らしき中年男性が口内に突き刺さったベニヤ板の大きな破片に噛みついているのが見えた。破片は両頬を突き破り、真っ黒な血を破れた頬からベニヤの表面へと流している。
少尉はピストルを腰から抜いて教師の額を撃ち抜いた。
「中は一体どうなってんだよ……」
准尉が大きく息をついてこぼした。
「……誰も生き残ってないとか言うんじゃないですよね」
軍曹がこめかみに汗をにじませて少尉の顔を見た。
「衛星写真はたった数日前のものだった。まだ生きている可能性は捨てきれない」
「でも……現にこの国がこんなになるまでまだ二週間も経ってない。たった数日で何が起こったか……例えばこのおっさんはたった数日前までは生きていた。そういうことも考えるべきじゃないっすか」
「……オーウェン准尉!」
「なんだ伍長。お前に決定権はないぞ。決めるのは我らが白狼だ」
ここまで来たのに引き返すというのはどうだろうか。准尉の言う事も分からなくはないけど、もし生存者がまだいるのならこのまま取り残していくなんて絶対にできない。
「でもせめて、確認していくぐらいは……!」
「少尉が決めることだ」
私も少尉の顔を覗いた。少尉はオッドアイをできるだけ大きく開いて小隊を見回している。
「何でもいいから早くしてくださいよ……!もうそろそろ限界だ!」
ぐるりと小隊を見てから最後にピリオドをつけるかのように私を見て、それから全員に聞こえるくらいの声で放った。
「突入するぞ」
たぶんその時、私の目は一瞬だけ輝いたのだろう。私の決意が少尉と一致したことがとても嬉しかった。
「……それは」
そんな私の前に准尉は立ちはだかって少尉を問いただす。
「カメラが回ってるからじゃないっすよね」
「そんなことのためにあんたたちを死なせることはしないって言ったでしょう」
「……別に他意はなかった、ただ言ってみただけっす」
「……分かってる。……分かってるから」
少尉は准尉に告げると、足早に中へと入っていく隊員たちをフラッシュライトで照らしながら一人一人の顔を見つめた。
続いて私も薄暗い校舎へと入っていく。冷たい空気が頬から耳へとゆっくり流れると、外にいた時とは別の意味で背筋に悪寒が走った。
ピッツバーグの時の銃声と硝煙の匂いが頭の中で響く。
どうか、今度は彼や彼女のままで私たちの腕の中に飛び込んできてほしい。
そう強く願わずにはいられなかった。




