第四十五話「killing me」
「あぁ……クソなんだってんだ一体!!一体何がどうなってやがる!!」
入り口のシャッターを閉めた真っ暗な部屋にサムの声が響き渡る。化け物と化した追っ手は振り払うことができたものの、市内は既に化け物で埋め尽くされ、逃げ場はなくなった。
小さいビルの地下に設けられた狭くて埃臭い地下駐車場が自分たちの墓場になるのかと流れる塩辛い汗を舐め、灰色の天井を見上げて小さな小石を踏みつけながら冷たいアスファルトの上に座った。
「バーニィに何があったの……?」
喉から絞り出すように小さい声で話すのはチームの中で一番年下のジョーイだ。失礼だとは分かっているけど、よくここまで生きてると思う。
「んなこと知るかよ!!昏睡状態になって息吹き返したと思ったら急にバーニィの野郎……!!」
「……バーニィは噛まれていた。足首だ。今のサムみたいに喚き散らしてた。ああクソ痛ぇ。痛ぇって」
「それって……」
ジョーイは震える子犬みたいに目を丸くしながらこちらを見ていた。
「……これが冗談でも冗談じゃなくてもなんも笑えないけど、ゾンビの映画と何一つ変わらないってことじゃない?違うのはバーニィが死んだってことくらい」
「死んでねぇよ!!あいつは生き返った!!生き返って……ああクソ!!」
サムは普段から口が悪く声がでかい人物だった。それでも今はいちいち何かに怒鳴り散らしているようで明らかに普段とは違っていた。
「……大丈夫あんた?頭おかしくなるにはまだ早いんじゃない?」
「黙ってろ!!これが……こいつが大丈夫なもんかよ!!!」
サムが激痛に喘ぎながら腕の袖を捲ると、噛まれたというよりも抉られたような傷跡が姿を現した。
「……サム!!一体どこでこれを!?」
「バーニィだよ!!!急に噛みついたんだ!!!息吹き返して起き上がって!!腕に!!咀嚼してた!!まるでハンバーガーでも食ってるみたいにな!!」
腕から垂れ流れる血は異常なほどに粘質で赤黒く、とても人の血液には思えなかった。
「……感染している」
自分がこぼした一言にジョーイとサムが同時にこちらを向いた。
「……冗談じゃねぇぞ!!俺は感染してねぇ!!まだ生きてる!!こうやって喋ってる!!なぁそうだろジョーイ!!!」
必死の形相で回答を求められるジョーイはサムから目をそらしてこちらに目を向けている。まるで自分にその回答を求めるように。
「……感染のスピードには個人差がある。けど、確実に言えるのは……」
お前は感染していて近いうちに死ぬ。そんなこと言えるわけはなかった。途中までどうにか言葉を紡ごうとした愚かな自分を心の中で責める。
「……死ぬのか?死んで生き返って……化け物の仲間入りか?」
「そうだとは言い切れない……。まだウイルスの詳細も知らない。噛まれたら絶対に感染するとはまだ誰にも言いきれないんだ。とりあえず安静にしていろサム。……ジョーイ、応急処置の用意は?」
「簡単なモノくらいしか……」
ジョーイの荷物には本当に簡単なキットしかなかった。それでもこの際包帯さえあればいい。今はサムの出血をどうにかするほかなかった。
ジープを運転する少尉の目は未だに遠い目をしているような、そんな気がした。
曇り空を割って死地に差し込む日の光がやけに眩しい。この日本の地でもむこうと同じように青空が広がりそうな天気だ。
後続にはジープが四台、アリのように私たちの後ろに続く。
片側二車線の道路には車が乗り捨てられ、その間に障害物のごとく感染者たちが突っ立っている。私が運転しているわけではないのだけれど左車線を走る感覚はなんとなく慣れない。
「……あの目だ」
ライフルを構えて五十メートル先に立つ感染者に照準を合わせている准尉が吐き捨てる。
「あいつらには思考能力が無いはずなのに、必ずと言っていいほど俺の目を見てくる。照準を奴らに合わせるたびに奴らと目が合う。なんで俺の目を見るんだ?腹だろうが足だろうが奴らはどこでも噛みついて来るんだろ?じゃあなんであいつらはいちいち目を見るんだ?」
「んなこと知らないですよ」
軍曹は准尉にそうは言ってみたけど、同じくライフルを構えて車上から感染者を狙うと「うえっ」とすぐにライフルを下ろしてしまった。
「……本当に目があったよ」
「だろ?」
「……少尉、大丈夫ですか?」
そんな二人の会話に耳も貸さずに運転を続ける少尉に声をかけた。基地では互いに腹を割って話せたように思えたし、少尉も自分の抱えてるものを下ろせたような気がしたけど、それでも少尉の目は目の前にあるもの以外の何かを見ていた。
「……少尉?」
なるべく感染者にぶつからないように丁寧にハンドルを捌いている少尉。完全にうわの空というわけではないようだ。
「……あぁ、何?伍長」
「いえ、ただ、少尉が少しだけうかないように見えたので」
少尉はそんな私を一瞥してから再び前を向いて「心配しなくても大丈夫」とだけ告げた。
「バーニィは……俺がスペアリブにでも見えたってのか?俺の目にはまだガキみたいな背格好の男と真っ白な女しか見えてねぇぞ」
数時間後、落ち着きを取り戻したサムが黙りこくったままの自分たちを見渡しながら呟いた。
「俺もそのうちお前らが食い物に見えてくるのかもな……。そうなったらどうする?殺すか?俺を」
冗談めいたようにサムが笑う。そこから数メートル離れたところにいるあたしは手に持った銃をじっと見つめたままで何も答えず、何も考えることも無かった。
「……俺は殺した。俺の腕に食らいついたあと、歯を血で濡らしたバーニィの口に銃口を突っ込んだ。散々一緒に苦難を乗り越えてきた仲間の頭めがけて引き金を引いたんだよ。意外と軽かったぜ。引き金も、あいつの命も」
「……違うよサム。あれはバーニィじゃない。君が撃ったのはバーニィの姿を借りたモンスターだよ。本当のバーニィはちゃんとバーニィのままで息を引き取った。僕の父もそうだった」
「……じゃあお前がモンスターになった俺を殺してくれるのか?」
ジョーイは結局黙りこくってしまった。あまりにも酷な質問だってことはサム自身にも分かっていたことだった。
サムはそれから、光の入らない真っ暗な駐車場ですすり泣いた。あたしもジョーイも何も声をかけることができなかった。
この闇よりも深く暗い絶望を目の前にサムは戦っている。手には何も持たず、迫りくる死と戦っている。
あたしはそれを十分に理解していて、弾の込められた拳銃を彼に渡すことができなかった。もしくは彼の頭へと撃ち込むこともできなかった。
それはジョーイも同じだった。だからといってあたしの弱さが許されるわけもない。ジョーイはきっとどうすればいいのかすら分かっていないのかもしれないのだから。分かっててそれをしないあたしとは大違いだから。
生存者の気配はない。広い国道、時刻は昼前。冷たい風にのって腐臭が私たちの鼻を刺激する。歩道に横たわる死体か、もしくは生ける屍から薄いピンク色の臓器が流れ落ちて、カラスに啄まれている。私はそれが目に入った瞬間に目をそらしたけど瞬間的な記憶が脳裏に焼き付いてしまった。しばらくは頭から離れそうにない。この先もっとひどい光景に見舞われるのだから大した問題ではないのだろうけど。
一時間もかからないうちに衛星写真の学校に車が到着した。といっても校門まではもう少しある。何があったのかは知らないけど数百メートル先からでも感染者たちの群れが校庭に集合しているのが分かった。
……衛星写真の通りだ。人の形をした人喰いアリ。衛星写真では分からなかったけど、その大半が背丈の低い子供たちだった。
「……この子たち、全員感染してるんですよね」
不揃いな足音が遠くにいても聞こえてくる。互いにぶつかり、倒れて、その上を歩く子供たちの足音が。か細い腕の折れる音が、小さな足のひしゃげる音が、比較的新しい遺体のはらわたをぶちぶちと食いちぎる音が私たちの耳に入ってくる。そんな音聞こえてくるはずがないのに。
「あぁ……だろうな」
「……俺には撃てねぇよ」
ゴメス軍曹が遠い目をしながら言う。私だって撃てない。いくらトニーを撃てたからってあまりにも状況が違いすぎる。
准尉も軍曹も私を一瞥したけど、頑なに首を横に振った。
「少尉、回ってくれ。なるべく奴らの少ない場所から校内に入ろう」
「…………」
少尉はハンドルに手を置いたまま、学校を見つめている。
「大丈夫か少尉?こんな時にうわの空は止めてほしいんだが」
「……大丈夫だ。しっかり聞いてる。とりあえず裏口から回ろう。あたしだって正面突破は御免だ。軍曹、後続に無線で伝えろ」
車は再びゆっくりと住宅街の狭い道へと走っていく。
全員の呼吸の音がしっかりと耳に入っている。ただの呼吸が騒音みたいに耳を労する。いずれ死ぬんだからみんな息を止めてしまえばいい。あたしは数十秒だけ呼吸を止めて、結局大きく息をついて、それからまたいつもみたいに息をした。
生きているのが苦痛だと思ったのは久々だ。サムの荒くなっていく息がさらにそれを加速させる。無力感が体を覆い指先一つ動かす力さえ奪っていく。あたしはなにもできない。サムを救うこともできない。だって体さえ動かせないんだから。
子供みたいな屁理屈をこねて、左手の指先が触れる銃に目をやる。
引き金を引けばあっさり終わらせられるのに。サムがバーニィにやってみせたように。でもそうはいかない。サムは軽かったと言っていたけど、指先も動かせないあたしにはきっと引くことすら叶わない。
何度も何度も銃を手に取ってサムを頭の中で撃ち殺した。イメージの中のあたしの表情は一切の感情を切り捨てたようだった。悲しみも怒りも哀れみもどれ一つ表情に浮かばない。頬にも眉にも目じりにも。
必要以上にあたしは悪人になろうとしているのかもしれない。たとえサム本人が眉間を撃ち抜くことを許してくれたとしても、あたしはその事実を一生背負って生きていく事になる。あたしはそれを責め続ける。あたしは最低の人間だって、永遠に後悔し続ける。
「……ぅぅ……ぁぁっ!!!」
荒い息に混じる喘ぎ声。ゆっくりと拍動を続けていた心臓が急にその速度を増していく。
「……サム……!?」
「……ぁぁ……っ!!」
悶えるサムにジョーイが近づき、体をゆする。サムはそれにも気づかない様子で天井を見上げてガタガタと足を痙攣させている。靴のかかとがアスファルトを打楽器みたいに叩いた。
「サム……!!サム!!しっかりしてよ!!」
まるで何かを掴もうとするかのように体を動かしていたサムの腕は大きな痙攣とともにだらりと力なくアスファルトの上に投げ出された。
「……サム……?」
その一部始終を映画の中のワンシーンみたいに思えていたあたしはようやく我に返ってジョーイの隣へと駆けつけた。
首元に手を当てるジョーイ。何度も何度も手汗を拭って首元に手を当てる。
ジョーイの額にも脂汗が光っていた。
「……嘘だろ?」
ジョーイの顔がすべてを物語っていた。
再び住宅街を感染者たちに気づかれないように遠回りをしつつ、道を縫うようにして走る。そのスピードは速くもなく遅くもない。感染者が立ちふさがるたび、私たちは身構えて少尉が躱す。
准尉が先ほど言った通り、通り過ぎる感染者たちは必ずと言っていいほど私たちを見ていた。
「……俺が感染者になったらさ、」
「縁起でもないことを言うなオーウェン」
「……いや、仮にですよ?俺はさっさと殺してほしいんですよ。別にあいつらはそんなこと考えられないって分かってるんです。でも……言い切れるわけじゃない。もし少しでも人間が残ってしまうんだったら、殺してくれって通りすがる人間の事見るだろうなって」
前方で私たちをじっと見つめる感染者に目をやる。真っ白な瞳の下で大きく口が開くとすぐにそれは後方へと追いやられてしまった。その目はまだ私たちをじっと見つめていた。
「准尉、あんまし感傷的になりすぎてもいけませんぜ。あくまでも奴らは俺たちを殺そうとしてくるんだ。どのみちきちんと殺してやらなきゃいけねぇ……ぐぁっ!」
鈍い音がして車が大きく揺れると、私たちは前へとつんのめる。ベキベキと何かが折れる音が下から聞こえた。
「……轢いたんすか」
少尉はハンドルを持った手に額を乗せて、ギュッと強く目をつむっていた。
「……少尉!?」
「……あぁ、大丈夫。ごめんなさい、ちょっと余所見をしていて」
「……運転代わりますよ」
准尉がドアを開けて道路に降りて運転席に座る少尉に手を差し伸べた。
後部座席の私の隣に少尉が座る。大して顔色は悪くないとは思うのだけれど。それでも私は少尉が抱えている何かが原因だと思って、何かの頼りになればと声をかけた。
「……私たちは大丈夫ですから」
涙は出なかった。ジョーイもあたしもただ呆然と動かなくなったサムを見つめていた。
死んだ……?なぜ?出血はそれほど酷くなかったはず。感染していたから?
あたしはそのあとに起こることを頭で理解していながら受け入れようとはしなかった。すべきことから目を背けていた。
「サム……?」
ジョーイが横たわったサムに声をかけた。あたしは亡霊みたいにゆらゆらと駐車場を彷徨いながらその姿を見やる。
「ジョーイ、もういい。もういいから少しサムから離れて」
「いや、だって今サムが」
「いいから!少し離れてって!!!」
私の声に面を食らうジョーイ。
「……分かるでしょ?いずれサムもバーニィと同じように化け物へと転化する。だからそこを離れなさい」
次の瞬間、ふと、何かがアスファルトをこすった音がした。
「……少尉……!サムが今動い……」
「ジョーイ!!!」
あたしが駆けつけてサムだったものからジョーイを引き剥がそうとする前に、ジョーイの首筋から鮮血が噴き出していた。
口からボコボコと血の泡をカエルみたいに吐いて断末魔をあげることすら許されないジョーイをにちゃりにちゃりと咀嚼するサム。ドロドロの黒い血液がその顎から静かに垂れている。
「あぁ……!!!」
サムは瞳孔の開いた目で私を視認するとアスファルトに手を付いて、ジョーイの血液をなすりつけながらゆっくりとこちらへ這いずってくる。
喉の奥から無理やり生成される無機質な声が暗闇の駐車場に響く。
「来ないで!!」
あたしは銃をサムに構えて、わざと少し離れた位置へと発砲する。銃弾はサムの前方わずか四十センチ手前に被弾し、アスファルトを削った。
それにも全く怯まないサムは口をパカパカと開きながら前へ前へと手を送りながら確実にこちらへ向かってきていた。その中で糸を引く真っ黒な血液が漏れる明かりに反射する。
再び発砲したがサムの右肩を撃ち抜いただけで、構わずこちらへ向かってくることに何も変わりは無かった。少しだけ右腕の動きが鈍くなったくらいだろうか。
服のこすれあう音がその奥から聞こえると、あたしはジョーイが立ち上がったのを確認した。
声をかけるまでもなく、サムと同様転化したのだとすぐに察した。
徐々に追い詰められていくあたしの背後でガタガタと金属質の音がする。震える右手で背後の壁を触ると、それが入って来たシャッターだということに気づく。
急いでかがんで力任せにシャッターを持ち上げる。ズルズルと衣服と血液をアスファルトにこすらせながら向かってくる音がしっかりと耳に届いていた。
『モンスターになった俺を殺してくれるのか?』
サムの声が頭の中で反響する。
「できない……あたしには……」
ガタガタと音を立てながら持ち上がるシャッターから光が漏れ始める。
「そうなってしまったとしても……あたしの部下だから……!!」
足首に痛いくらいの力が加わってサムが掴んでいることに気づく。撃ち抜いた右肩を持ち上げて両方の腕で掴み、口を開けて足首に噛みつこうとしていた。
あたしはそれを振り払おうとシャッターを抱えたままサムの口を堅いブーツの底で何度も蹴る。折れる歯の感触や粘り気のある血がかかとにまとわりつくのをブーツ越しに感じていた。
サムが怯んだ隙にあたしはシャッターを持ち上げて急いで外へと抜け出す。
大きな音を立てて地面へと叩きつけられたシャッターの間からサムの中指と薬指が飛び散った。
あたしの背後でガタガタと揺れるシャッターに振り返って手を付き、声にもならない声でひたすら謝り続けた。
「ごめんなさい」
謝っても許されないことだって分かっていた。許しを請うべきではなかった。
あたしのエゴのせいで彼らはずっとここでシャッターを叩き続けるのだ。
「裏口にもそこそこいるけど……なんとかなりそうですかね」
「こればっかりは数で押し通すしかないだろうな。軍曹、無線を寄越せ」
裏口から数十メートルのところで私たちのジープは止まる。目視できる範囲でに十体ほど。だいたい小隊と同じくらいの人数だ。
私の足は震えていた。それが恐怖によるものかどうかは分からないけど、なんとなく違うような気がする。
頭の隅にはテレビを観ていたトニーの後ろ姿が浮かんでいる。振り返ったトニーは泣きながら私に駆けてきて、腕の中で私の名前を必死で叫んでいる。
今度こそ、手遅れになっていてほしくない。
決意が私の胸の中で滾っていた。
「……小隊に告ぐ。これから我々は裏口から校内へと乗り込む。そこそこの感染者の数があるが発砲は控え、銃剣で対処しろ。まずはそれからだ。……そして、大尉からの言葉を覚えているか?できるだけ多くの人命を救助しろ。そして噛まれるな。……はっきりいってくそくらえだ。救える者を確実に救うために、絶対に噛まれるな。あたしの小隊から感染者を出す気はない。無理はするな。以上だ」
少尉の力強い声に私は少しだけ救われた。どれだけこの人が部下の事を大事にしているかが私にはよく分かる。だからこそ私は安心して命を張ることができる。
「……もう誰も死なせるものか」
小さく呟く白狼の手は震えていた。
その原因はきっと私の知るところではないのだろう。




