第四十三話「Doubt」
ここに滞在する時間は少ないと聞いていた。なにしろこうしている間にも私たちの助けを待っている人が次々と数を減らしていくのだ。大雑把な計算でしかないそうだけど、全世界合わせて一分間で二万人の命が奪われているらしい。
山道を上り下りする時間さえ、私たちには無駄でしかなかった。
今朝、昨晩に行われた会議の内容が小隊長から下士官に伝えられた。
現地の基地を拠点に無線などの救難信号を拾い上げ、生存者の救助に向かう。できるだけ多くの人命を救助することを第一に、それから噛まれることのないように。この二点が強く強調された。当たり前の事ではあるけれど、なぜか不信感が胸をよぎった。
今朝の少尉は声の調子が少しだけ低く、周りを圧倒するような鋭い目つきをしていた。まさか昨日の会話の所為ではないかとおどおどしていた私だけど、そんな私には「おはようキティ」なんて声をかけてくれたので少しだけ気持ちが安らいだ。
少尉はモーテンセン大尉の隣でマスコミの取材を受けている。メリーランドの白狼の名は私たち軍属を超えて各地に知れ渡っているようだ。声高々に取材をする女性とは対照的に淡々とインタビューに答えている。
「……おい、キティ。お前も少尉が気になるのか?」
「……えっ、あぁ!そっその、確かに気になるといえば気になりますけど、決してそのような意味合いは無く、純粋に部下としてお慕いしてるわけでございまして!」
後ろから突然声をかけられ、しどろもどろに答える私に眉をひそめたのはオーウェン准尉だった。
「なに言ってんだお前。あれだろ?今朝の少尉の様子が気になってんだろ?俺もだよ。今日は特におっかねぇな」
「……おっかないって……。でも確かに昨日の少尉とは様子が違いますよね」
「それがさ、他の小隊から聞いたんだけどさ」
口元に手をあてて静かに話し始める准尉。
「……どうやら今朝の会議で大尉とやりあったみたいなんだ」
「えぇっ!?」
思わず出してしまった大声に何人かの視線を浴びた。
「馬鹿……!でけぇ声出すんじゃねぇよ……!」
准尉と二人して少尉の方を向いた。幸いインタビューを受けるのに集中されていたようで、私たちの方には目もくれなかった。
「でも……また、なんで大尉と」
「聞けばもともと大尉とは反りが合わなかったらしい。実は俺たちの小隊に転属が決まった時から結構不機嫌みたいだったらしいぜ。歳も近くて実力も上なのに白狼であるがゆえに小隊長として奴の下につくのが嫌だったらしいが……」
「そんな……」
別に私が嫌われているわけではないのだけど、私が所属する小隊を嫌々ながらまとめているという事実がとてもショックだった。
「ついに今朝の会議でその不満が爆発だ。白狼の本領発揮ってところだな。すっげぇ剣幕だったらしいぜ。まぁ、なにがきっかけになったのかまでは聞いてないけどな」
「……大丈夫ですかね」
「あぁ、お前は大丈夫だろ。俺たちと話す時と少尉の態度が全然違うしな」
「いや、そういうわけじゃなくて……」
大尉とのこともそうだけど、少尉は他にももっといろいろなものを抱え込んでいるのだろう。それが何かは分からないけど、決して弱い姿を見せない白狼が私に見せた憂いの表情が頭から離れなかった。
「……少尉の力になれればなって」
准尉は私を不思議そうな顔で見つめてから「まぁ、頑張れよ」と残してテントへ戻っていった。
相変わらず遠くの少尉は真冬の飢えた狼のような冷たい眼差しでインタビューに答えている。そんな少尉を私も相変わらず遠くからじっと見つめていた。
各々が準備を済ませ、基地へと向かう命令が伝えられると各自が次々とトラックに乗り込む。まさか昨日の今日で帰ることになるなんて思っていなかったけど、実際の感染者たちを相手に訓練を行うだけでも、倫理ギリギリの内容ゆえにとても山奥でしかできないものだった。だからといって実際に相手をせずに現地に乗り込めば救助活動もままならなかっただろう。
仕方ないか、とため息をついてから行きよりも少しだけ軽くなった荷物を背負って、少尉たちよりも早くトラックへと乗り込んだ。
少し経ってから准尉や軍曹たちが乗り込み、もう少し経ったあとで少尉がやってきた。相変わらずその隣には取材班がいて、行きよりも少しだけ窮屈に思えた。
「あぁ、あなた今回編成された中隊の中でマディソン少尉以外の唯一の女性ですよね。インタビューよろしいですか?」
トラックの荷台の端に座る私へとマイクが向けられる。少尉は私を一瞥して軽く首を縦に振った。
「え、えーと、ケイト・バーキン、階級は伍長です」
「同じ女性としてマディソン少尉の事はどう思われてますか?」
私の頭の中には羨望の言葉が色々と並べられていたけど、どれも少尉の前で言うには少し恥ずかしいもので言葉に詰まっていた。
「……同じ女性として、えーと、少尉はとても優しくて、上官として尊敬出来て、ああと、そんな感じです」
「おおう、子猫ちゃんどんだけ緊張してんだ」
「ひゃあっ」
ゴメス軍曹が私の背中を叩いた。思わず背筋がピンと張る。
「あはは……。バーキン伍長は子猫ちゃんって呼ばれてるんですか?」
「あっ、はい。少尉が付けてくれたんです。最初は見た目から付けられたんですけど、ケイトだからやっぱりキティだって。そういうユーモアもあって素敵だと思います」
「……じゃあバーキン伍長、今回の作戦の意気込みのようなものがありましたら聞かせてください」
「……ええと、できるだけ多くの人命を救助します。私の命に代えても……です」
「素晴らしい意気込みですね。ご協力ありがとうございます」
私の命に代えても助けを乞う人を助ける。本心から私はそう思っていた。だって、それが私たちの使命だから。そこに何一つ偽りなんてなかった。
そんな本心を少尉にも知ってもらいたくて、できる限りキビキビとインタビューに答えた。再び少尉の下へと戻るインタビュアーを目で追う。
その先にあったエメラルドグリーンとマリンブルーの瞳は私を捉えているだけで、少尉はきっと私以外の何かを見ていた。酷く悲しい目だった。
茜色の空に羊雲、風が髪を縫うように優しく吹き付ける。海の向こうでも同じ風景が広がっているはずなのに、地上はここよりも悲惨な状況なのだろう。本当は一刻も早くここから飛び立ってその命を救いたかった。
少尉は結局淡々とインタビューに答える以外は何も話さず、行きとは大違いの表情で基地へとたどり着いてしまった。どうやら准尉の言っていたことは正しかったらしい。日が暮れてからここを発つらしく、私は少しの間だけ外の空気を浴びるのと少尉と話がしたくて外に出ていた。
「……少尉!」
アスファルトの上を一人で歩く少尉に声をかける。
「……あぁ、キティ。出発の準備はもうできてるの?」
「はい。ちょっと外の空気を吸いたくて」
「建物の中はむさくるしい連中しかいないものね」
少しだけ口角を緩めた少尉。少なくとも私は一日ぶりに彼女の笑顔を見た気がする。
「……インタビューお疲れさまでした。すごいですね少尉は。放送されたら主役級の扱いかもしれないですね」
「実際そうみたいね。地獄と化した最前線へと向かう女性としてドキュメンタリー番組を組むらしいわよ。メリーランドの白狼って名前もずいぶん受けがいいみたいだし」
「なんか、映画の主人公みたいでかっこいいですね」
「……映画の……ね。本当に映画でやってればいいのよ、こういうのは。あたしたちは本当に人命救助に日本に向かうのよ?これは映画じゃない」
「……ごめんなさい。私、」
軽い気持ちで少尉に放ってしまった言葉に対して謝罪する。
「あぁ、別にあんたが悪いって言ってないから、謝らなくて大丈夫。……分かってるの。これは映画じゃない、人の命がかかってる。けど、意味は似たようなものだって」
「……それはどういう意味ですか……?」
少尉は私を見るでもなく、さっきみたいにどこか遠くを見つめながら静かに話し始めた。
「……あんた、あたしたちの中隊が本当に救助活動に行くなんて思ってる?」
「えっ……、えと、そうじゃないんですか?そのために日本に向かうって大尉もおっしゃってたんですけど」
「……名目上はね。その証拠に日本に向かわせる救助の人員が一個中隊だけって、よく考えたらおかしい話でしょ?確かに日本の国土は狭いけど一個中隊だけでなんとかなるほど狭い国じゃないわ」
「……じゃあどうして」
「……プロパガンダよ。我々の国はこの非常事態に陥っても立て直すことができるし、国として機能しなくなった他国にも救援ができる。我々の国はそうするだけの軍備がある。要するに一個中隊を派遣して何十人、或いは何人でもいいわ。それだけの人数を救えたらあたしたちの任務はおしまい。故郷でその様子が報道されて死地で人命を救助した英雄としてあたしたちは語り継がれることになるの。映画みたいに大統領の演説が途中で入ったり、星条旗を振る国民の姿が映し出されたりね」
「でも、それは違いますよ!私たちはそんなことのために日本へとむかうわけじゃないです!まだあそこで戦っているすべての人を救いたいから死地に向かうんじゃないですか!」
気が付けば私は少尉に対して大きな声で反論してしまっていた。
「……それで、その残っている人たちは何人?本当に何十人くらいしかいないのかもしれない。国としてあそこが機能していない以上、何が起こっているか、誰が、何人生き延びているかなんて誰にも把握できない。なら運よく助けることができた人たちだけを連れ帰って『彼らが最後の希望でした』って言えば任務を果たしたことになる。そうでしょう?」
「……少尉は、本当にそれを受け入れるんですか……?」
少尉は少しだけ黙ってから小さく頷いた。
「……あたしだって正しいとは言い切れない。でも……もうこれ以上部下を失いたくないから」
少尉は私に背を向けてまた歩き出した。いくら呼んでも振り返ることは無かった。
「……少尉……」
私は彼女に憧れていた。
彼女のようになりたかった。
ずっとそう思っていたかった。




