第四十話「白狼と子猫」
私は彼女に憧れていた。
彼女のようになりたかった。
軍のトラックに揺られながら、澄み渡る青い空の下、荒れた山道を走る。
今日は日の当たりが強く、午前中から額に汗を浮かべるくらいに気温が高かった。トラックの荷台の深い緑色の日よけが余計に温度をあげているんじゃないかなんて思う。
汗を拭おうと開いた手のひらには、大量の手汗がじっとりと浮かんでいた。膝で拭ってから額に手を当てる。隣に座る彼女は汗一つ流さずににじっと膝の上に置いた手元を見ている。
彼女は暑さとは無縁なのだろうか。そう思わせるのは彼女が真冬の雪景色みたいな真っ白な外見をしているからかもしれない。外の光に照らされた彼女の体の周りを舞う埃がキラキラと輝く粉雪にも見える。そんな彼女に少しだけ目をやってから何事も無かったかのように再びトラックが巻き起こす砂煙とその向こうで揺れる陽炎を見つめた。
アメリカ人はゾンビが大好きだと言われてきた。国民の四割がゾンビの存在を信じ、CDC(疾病対策センター)がジョークのつもりでゾンビ対策をサイトに上げれば信じられないほどのアクセス数の伸びを見せた。
私はゾンビよりもトワイライトの方が断然興味があったけど、確かにゾンビは国民的カルチャーだった。ついこの間までは。
実際に最初の感染者が現れた時はみんな目を輝かせていたけど、一週間も経ってワシントン、フィラデルフィア、ニューヨークといった大都市が感染者で埋め尽くされれば遠方の人以外はゾンビにうんざりするかそのものになっていた。
いつかボーイフレンドに借りたゾンビの小説ではどの国もゾンビで埋め尽くされて、アメリカもほとんど死地になっていたけど、現実のこの国はそれほどヤワじゃなかった。前に上げた大都市は結局隔離地域として封鎖されてしまったけど、広い国土とライフル協会が作り上げた武装社会のおかげで大々的アウトブレイクには至らなかった。
州兵たちは隔離地域の見張りや、流れ出た感染者たちの捜索、及び掃討にあてがわれるか、或いはほかの国への派遣要員として着々と準備を進めていた。
そんなこんなでこの国はまだまだ立て直せる状況だけど、他の国はそうじゃない。主に中国やインドといった人口の密集するアジア諸国にとってゾンビアポカリプスほど痛いものは無い。なかでも日本は群を抜いて感染速度が早かった。
狭い国土、人口の密集する地域同士の距離、麻痺しやすい交通機関、個人的な感染者への対応が不可能なこと、国民性、エトセトラ・・私はよく分からないけど彼女がそう言っていたから、とにかく、以上の条件の元、一週間もたたないうちに国としての機能を失ってしまったのだ。
私たちはそんな日本への派遣要員として一個中隊ほどの人数で救助チームが編成され、残された人たちの救助へと向かうことになっている。今トラックが走っているのはカリフォルニアの山岳地帯だけど。
二十台ほどのトラックが列をなし、主に私と同じくらいの年齢の下士官が何日も揺すられた頭を荷台の縁にもたげながら僅かに吹く風を浴びていた。
相変わらず拭っても拭っても浮かび続ける汗は、暑さよりも隣で座った彼女のせいだと強く拍動する心臓が私に告げる。
真っ白な肌、真っ白な髪の毛、エメラルドグリーンとマリンブルーの左右で違う瞳を持った彼女は中隊の中で私以外の唯一の女性であり、私の属する第三小隊の指揮官でもあった。
メリーランドの白狼、アイラ・マディソン少尉。メリーランドの白狼なんて仰々しい二つ名が付いているけど、彼女の場合は田舎者で上官にすぐ吠え立てる白人という皮肉を込めて呼ばれている。
実際才能に恵まれた彼女ではあるけれど、上官の好き嫌いが激しく(そもそも彼女の好きな上官なんて存在するのだろうか)実力通りの階級には就けていないのが現状だ。
それでも私は彼女の誰に対しても曲がらない姿勢やその人柄に数年前から憧れていた。この人のようになりたいとずっと思っていた。
そんな彼女が私の隣に座っている。この事実に緊張するなと言う方が間違っていると思う。
シルクの糸のような彼女の髪から甘い香りが風に乗って鼻を通り抜ける。さっきから汗が止まらないけど、私は汗臭かったりしないのかなぁとか余計な心配事が頭を掠めてその身を縮こませた。
「……あんた、大丈夫?さっきからすごい汗だし具合悪そうだけど」
私を気遣うマディソン少尉の声はそれほど大きい声ではなかったのにも関わらずしっかりと発声されているようで、なんというか芯を持っている声だなぁと感嘆する。
「……おーい。だいじょぶか?」
目の前で手を振り私の意識を確認する少尉。
「……あぁっ!?はい!大丈夫です!!はい!すごい元気です!!」
すっかり聞き惚れてしまい答えを返すのを忘れてしまった。急いで返答に応じたけどなんだかしどろもどろで少尉の目を見れなくなる。
「ぉぉう。それだけ元気なら大丈夫みたいね。あんた中隊の中で私以外の唯一の女の子でしょ?どんなゴリラ女かと思ったら思ってたのよりちっちゃくてひ弱そうで可愛かったからちょっと心配だったのよね」
「は、はぁ……」
褒められてるのか、そうじゃないのかよく分からない……。
「あたしのことは知ってるでしょ?……っていうか知らなかったらぶっ飛ばすけど。あたしはあんたのこと知らないからさ、名前を教えてよ子猫ちゃん」
本当は名前を知っていてほしかったけど、いつも遠くから眺めてただけなので仕方が無いのかもしれない。
「ケ、ケイト……ケイト・バーキン伍長であります!マディソン少尉の事をいつも影ながら慕っておりました!!」
「お、なかなかいい返事じゃん。まずは合格って感じね。ん、で、ケイトか……あ、やっぱ子猫ちゃんじゃない!なんかあたしってすごくない!?外見で名前まで分かっちゃうんだもん!」
「……子猫……ですか……」
私の目の前で子供みたいに喜ぶ姿は思っていた彼女の姿の斜め上くらいの明るさだった。目を丸くしながらここぞとばかりに愛らしい少尉を堪能する。別にそういう意味じゃないです。
「なーに一人で喚いてんだアルビノ。子猫ちゃんが引いてるぞ」
前方に座るアフリカ系アメリカ人のチャーリー・ゴメス軍曹が白い歯を見せながら私を指さした。
「おい、チャーリー。次にあたしのことアルビノって呼んでみな。その可愛いお尻を蹴り上げてやる」
「けっ、おい見たかよ子猫ちゃん。マディソン少尉ってのはこういうガツガツした女だからな。とって食われちまわないように気をつけな」
「あぁ……いえ、私はそんなこと」
「チャーリー、余計なことを吹き込まないでくれる?……大事にとっておいてあとで美味しく食べる予定だったのに」
がお。と両手を前に上げて私の前で狼の真似をする少尉。あまりの可愛らしさに噴き出しかけたけどなんとかこらえきれた。
「……しかしなんだってこんな山奥に来てるんだ?キャンプなんてしてる場合じゃないだろ」
「中隊長曰く『山奥でしかできない極秘訓練』みたいよ」
「……極秘訓練……で、でも少尉、さっきトラックにマスコミ関係者みたいな方たちも乗り込んでましたけど」
トラックの列の後ろの方に大きなカメラを持った迷彩服じゃない人たちが乗っていたのを思い出す。
「……あらら、もう気づいちゃったのねぇ。まぁいいわ。その辺はあとで教えてあげる。訓練の内容については私は本当に知らないし、これが終わり次第現地へと発つそうだからそんな大したことはしないんじゃないの?」
「だといいけどな」
「大丈夫よ。私の敬愛するモーテンセン大尉の率いる中隊だから。それにしても暑いわね……」
少尉にも敬愛する上官がいたのかと驚く。もしかしたら皮肉で言っているのかもしれないけど。
髪をかきあげる少尉の額はわずかに汗が浮かんでいて、それがさらに少尉と私の距離を縮めたように思った。少尉も近くでちゃんとみれば私とそう変わりのない女の子なのかもしれない。
極秘訓練の場所はたぶんもうすぐ近くなんだろうけど、ようやく言葉を交わせた憧れの少尉が私の隣にいる時間をもう少しだけ伸ばせたらとこの長い上り坂に思いを馳せた。




