第三十九話「とある引きこもりの籠城日誌・2」
『八日目』
まさかの大逆転劇……になるはずだった。
親父は趣味でアマチュア無線をやっていて、俺も半ば強制的に色々と覚えさせられた。一人暮らしじゃ絶対使わないのに用意された荷物の中に入っていたのを思い出したのだ。
言わずもがな、無線機だ。
さっそく助けを呼ぶために交信を図ったけど、応答したのはみんなネットの中と大して変わりない面々だった。強いて言えば引きこもりや無職の他に、古き良き秋葉原を知るおっさんが出たくらいだ。
みんな俺みたいな状況で、助けを待っていると言っていた。
本当に助けなんて来るのだろうか。
神様が授けてくれたようにさえ思えた無線機は結局神様じゃなくて親父が無理やり鞄に詰め込んだ何の変哲もない無線機だった。
あと特別に言うべきことがあるのなら
思ってたより食料の減りが早いです。
『九日目』
無線機の人たちも何人か出ていくと言って聞かない。いわく、もう食料がない、色々と限界に達しているとかそんなことばっかり。
俺だって食料がないし、色々と限界なんだ。
だから、頼む。どうかそのまま引きこもっててくれ。
何度もそう言って、みんなにそう言って、今日はネットと無線機の相手含めて八人が家から出ていきました。消息は分かりません。
きっとみんな死んじゃったに違いないんです。
『十日目』
外でたまに大きな音が鳴る。だいたい百六十センチとかそれくらいの長さで、だいたい五十〜七十キログラムくらいの固かったり柔らかかったりするものがだいたい五〜七メートルくらいの高さから落下するようなそんな音。
パァン!!って意外と乾いた音を出したり、停めてあった車の上に落ちてものすごい衝撃音を奏でたりする。
それが生物であれ、無生物であれ、生き物であれ、死に物であれ、耳障りなことに違いはなかった。
音がするたびに周りは共鳴するかのように騒がしくなる。ガタガタ、バタバタ。音は廊下の外からも聞こえてくる。時は今ドアの前にいるんだってくらい近い場所から、ガタガタ、バタバタ。
うるっせぇんだよ!!!!!何時だと思ってんだよ!!!昼だろうが夜中だろうが見境なく物音たてやがってよ!!!!!
そう叫びたかったけど、枕に向かって小さな声で言うに留めておいた。
『十一日目』
電気が止まりました。
『十二日目』
死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたいって書いたところで相変わらず俺は正常なのであった。
いっそ本当に狂ってしまえればどれだけ楽なんだろうって思います。
最近、と言ってもここ数日誰とも話をしていない。
無線機には誰も応答せず、誰からも連絡は来ず、真っ暗な部屋でカーテン閉めきって、箪笥を窓の前に移動させて完全に外の光を遮断して、それでも未だにドアは鍵をかけただけで、だからきっとゾンビ以外の誰かがノックしてくれて、そんな日を夢見ているのに誰とも口を聞いていない。誰の心情も情報も俺の元に届かない。
くだらないことでいい。誰かと話がしたい。
世間はもうゾンビパニックから二週間経っているそうだ。
たった二週間しか経っていないのにとうとう俺はこの世で一人きりになってしまったのだろうか。
特筆すべきことはと言えば、箪笥を動かした代償でとうとう気づかれてしまいました。お前は借金の取り立てかよってくらいノックされてます。できれば考えたくないことだから触れるだけにしておくね。
『十三日目』
明け方、酷い雨が降った。俺にとっては好都合だった。
連日耳に入る物音で正直気が滅入っていた。狂ってしまえばいいのにと何度も考えたけど、気が狂うにはまだまだ足りないらしい。
毎晩眠ることもできなかった俺にとって、物音をかき消す雨はこれ以上ないくらいの安眠音楽だった。だから一日中寝ていた。このまま死んじゃってたらいいなって思った。時刻は日付変わって午前三時。まだ生きてました。
『十四日目』
今日久々に連絡が入った。明朝、起きたはいいけど天井を見つめるくらいしかなかった俺の枕の上で、無線機が喋った。
幻聴だ、って。とうとう俺も幻聴を聞いてしまうほど来るところまで来たかって、そう思っていた。しっかりと人の声で明確に喋る……というか嘆いていた声が俺の耳に入った。
急いで無線機に応答した彼は、まだあどけなさを声に残していたのでちょっと先輩口調で喋ってみた。
相変わらずこの引きこもりもゾンビに囲まれて、籠城で、助けてほしいと言っていた。
彼に対して何もできない俺が憎くて悔しくて、それでも、それ以上に嬉しかったのは久々に人と会話できたからかもしれない。いつもより言葉がするする出てきた。
あと、彼には女の子がいた。妹か、姉か、もしくは彼女か、はたまた彼に助けられた面識のない少女か。どうでもいいけどなんで俺にも一緒に籠城する女の子がいなかったのだろうと嘆きたくなった。
小さくて綺麗だった彼女の声は今でも鼓膜の奥で響いている。
最後の方で彼に「外に出るつもりはないのか?」と聞かれた。
潔く死ぬよと特に考えもせず告げた一言が俺の心の一番深いところでいつまでもいつまでも重くのしかかっている。
潔く死ねるのか?本当に?
まだこれだけ人に縋って生きていたいのにかっこつけて潔く死ぬなんて言いきってよかったのか?
彼はまたみんなと同じように、二人で家から出ると言って通信を終えた。
目の前の無線機から放たれたその声が酷く遠くから聞こえたように思った。
『十五日目』
暗闇から窓を覗くと、星が光り輝いていた。
街中から地表の明かりが消えて、頭上の明かりだけが地球に残されたのだ。
既に食べるものは底をついて、体を動かすことさえ億劫になってしまった自分にとってこの夜空はあまりにも残酷だった。
だって、こんなに外の明かりが綺麗なら思わず出たくなるじゃないか。
冷たい空気を全身で浴びて、深呼吸して、夜空を見上げて、誰もいないどこか遠いところへ行きたくなるじゃないか。
現実の俺は床にへたり込んでむせび泣くだけ。
もういい。
もういいからさっさと殺してくれ。
『十六日目』
おそらく俺が最後に会話したことになるであろう最後の引きこもりが今日自分の家を発ちました。
成功したら連絡をくれと言っておいたけど、おそらく来ないだろう。
とうに枯れ果てたはずの涙がまだボロボロと頬を濡らす。
俺はまだ生きてるのに、なんでみんな先に逝っちゃうんだよ。
一人にしないでくれよ。
もう、一人は嫌なんだよ。
『十七日目』
まだ死んでない。なんでだろうか。
もういいって、あれほど言ったじゃん。
『十八日目』
『十九日目』
『二十日目』
(ここまで日付は最初に書いておこうと思って、初日にバーッて書いています。たぶんここまではなんとか生きてて、なんらかのアクション起こしてて、できれば安全な場所までいれたらいいなって思います。もしも何もなくて二十一日目以降もこの部屋で生き続けていたら、その時はまた一日ずつ日付と日誌を書き込んでいこうかな。ところで二十日後の俺、まだ生きてる?)




