第三十六話「NIGHT OF THE LIVING DEAD・4」
裏口へと全員で少しづつ歩み寄るこの時も、二階から次々と連中が飛び降り、解放された出入り口からバリケードを乗り越えて連中がフロアに集まる。
生きるために懐中電灯で照らす先には目を覆いたくなるような数の死がふらふらと、確実に向かってきていた。
飯田を亡くした彼女は過呼吸を起こし成塚に肩を持ってもらいながらずるずると進んでいく。
「嫌だ…。嫌だ……なんで……そんな……」
「しっかりしろ。辛いかもしれないが今は嘆いてる暇なんてない。前に進め」
「嫌だ……もう……」
涙も声も枯れた彼女の足元は歩くことを拒んでいる様だった。
「……もうこんなのは二度とごめんだったんだけどなぁ」
爺さんが彼女に目をやって嘆くように呟く。数日前にも爺さんがこうやって引き裂かれていく人たちをたくさん見てきたと聞いた。その爺さんも家族の消息が分からず、妻ともはぐれたままだと。彼女の苦しみは痛いくらいに分かるのだろう。
紳士服売り場が見えてくる。ショッピングモールの駐車場方面を正面とするなら裏口に一番近い店がここの紳士服売り場だ。連中の手が薄いことを祈るしかなかった。
先頭の赤い光が入り口を照らす。息を飲み、千葉たちの返答を待った。
連中の声がだんだんと近づいて来る。誰もが喉までこみ上げる悲鳴をグッと抑え、前方のドアを見据えていた。
「……駄目だ」
かぶりをふる千葉に絶望に打ちひしがれた声があがる。
「……嘘でしょ」
「もう出られないってこと……?」
「……千葉さん!どうにか突破できないですか?」
千葉は口角を上げ皮肉めいた笑みを見せると出入り口を再び赤いライトで照らした。
「……どうにか突破してみるか?何人噛まれるだろうな?」
ドアいっぱいに広がり血をなすりつける連中の姿が赤く染められて浮かび上がる。
誰かの嗚咽が耳に入り、とうとう自分たちが終わりの時を迎えるのだと全員が感じていた。
この世界が肌に馴染んで今までさほど気に留めなかった、いや、あえて考えなかったことが頭をよぎる。
この世界に蔓延する死のほとんどが「食べられた」ものであるということ。
思わずこぼれる乾いた笑いが空気を揺さぶった。
食われるって……なんだよ。
想像がつかなかった。今まで散々目にしてきた光景なのに、食べられる痛みがまるで頭で理解できなかった。自分の肌に力任せの歯がくいこみ、肉を引き裂き、むさぼられる苦痛が想像に及ばなかった。
ただ襲い来る絶対的な恐怖が模造刀を握る手を震えさせていた。
「もう……死にたい」
誰かが呟く。
それは諦めを意味するものではなかったのだろう。俺もひしひしとそれを感じていた。
死にたい。
せめて、人間として。
せめて、食われるなんて終わり方は避けたかった。
それは諦めではなく、抵抗だったのかもしれない。
「……パパ、ヤスヒロ、どうしたの……?こわいひとは?」
詩音が宗太の背中で目覚めたようだ。よく今まで眠っていられたと思うし、まだ眠っていてほしかったが詩音が目覚めてくれてよかった。危うく自分を見失いかけた。
「……まだいるんだ。でも、なんとかなるから。まだ寝てるか?」
「ううん。詩音も一緒に怖い人から逃げる」
その場にいた誰もが詩音の声を聞いて少しだけこの状況から抗う気になったのかもしれない。それでも示されない道と迫る死に成す術など無かった。
「……他に出入り口はないのかい?」
そんな救いのない場に爺さんのしゃがれた声が投げられる。
「もう、ここだけしかないですよ。なのに、この出入り口も」
「……若ぇの。もう少し落ち着いて考えてみろ。……といっても俺も今思い浮かんだんだけどなぁ」
絶望を語る石井に爺さんが笑って返す。
「俺たちはここのフロアガイドを見て出入り口を探してた。それがすべて塞がれてるとしても他に出入り口はいくつかあるだろう。客は使わない出入り口がな」
「……搬入口だ」
しばしの沈黙の後、口を開いたのは前島さんだった。
「車を止めた近くに搬入口があったのを覚えています!!スーパーの裏だから…。」
「・・・・・少し戻ることになるな」
成塚が前島さんに被せて言う。一瞬だけ沸きあがった空気が落胆へと押し戻される。
「でも、行くしかねぇだろ……」
示された希望の道のりは困難が待ち構えている。それでも前に進むことを選択するしかなかった。
前方に再び連中を懐中電灯で照らしだす。今度は隔てるものがなにもない。ドアも、バリケードも、何もない。
連中は既にスーパーに続く通路に差し掛かり、俺らの元へと向かってきていた。その数五十体以上。まだまだ奥から流れ込んでくる。
覚悟を決めるしかなかった。模造刀の鞘に手を掛け、守るべき人たちの前へと赴く。
「秋津さん……!」
武器を抱えた大学生たちと陸がこちらへ駆けてきた。
「俺たちも戦います!」
「……大丈夫だ。別に全部倒そうってわけじゃねぇ。ある程度食い止めたらお前らんところに戻ってくる。それまで他の人たちを守ってやってくれ」
「そんな……俺たちだって……!!」
「いいからここは任せろ!早くみんなを連れていけ!」
「秋津さん!!そんな……無茶ですよ!!」
宗太も前に出て俺に叫んだ。
「……大丈夫だ。死にゃあしねぇよ。詩音の前だ。ちゃんと戻ってくる」
宗太の手を引く詩音の頭を撫でた。
「……ヤスヒロ……大丈夫?」
「……ああ。まだ自分のことにケジメをつけ終わってねぇ。また詩音とこに戻ってくるから。分かるだろ?」
「うん。自分の事は……最後まで自分でする」
「そうだ。パパの傍にいてやれ。それが詩音がつけるケジメだ。いいな。ヤスヒロとの約束だ」
詩音の前でしゃがんで指切りげんまんをする。らしくないが、これでいい。
「成塚」
立ち上がって相変わらず澄ました顔の成塚を呼ぶ。
「何だ」
「もしもの時は頼んだぞ」
「……それはできない約束だな。別にお前がこんなところで死ぬタマだとは思っていない。お前の身柄はまだ私が拘束しているのだ。戻ってこなければどうなるか分かっているのだろうな」
「……お前は銭形か」
なんだか拍子抜けしてしまったが、再び前を向いて模造刀を抜く。
「千葉たちは列の後方を頼む。搬入口までよろしく頼んだぞ。俺が戻ってくるまで誰も死なせるんじゃねぇ」
「……分かったよ秋津さん」
前方に詰め寄り、連中を前に呼吸を整える。
まだまだ距離はあるのに、連中の息が鼻にかかるようだった。顎をカタカタと鳴らし最初の一体が間合いに入ってくる。
「行け!!」
指示を出した後、俺の名を呼ぶ声と歩き始めた列の足音を耳に入れる。
連中の腕がこちらに掴みかかるように伸びてきたその時、目の前に突如人影が現れ、間合いに入った連中をなぎ倒した。
素早い足さばきで横に移動すると、奴らの脳天へと木刀を振り下ろす。
「……っ何やってんだ!!」
誰かがこちらを照らす明りの中に立っていたのは爺さんだった。
「……兄ちゃん。列に戻れ。あんたを死なせるわけにはいかねぇ」
再び鋭い足さばきで交代すると、切りかかるように連中の首を木刀で折り曲げる。
「あんたには詩音ちゃんもそのお父さんも、守るべき人がたくさんいる。黙ってあんたを死なせて彼らと引き裂かれていくのを見ているのは、これ以上御免だ。ここでこいつらを食い止めるのはこの老いぼれの仕事だ」
「……違う!あんたにだってまだ守るべき人はいるだろうが!!行方不明の息子だってまだきっと生きてる!!はぐれた奥さんはどうなんだよ!!」
暗がりの中、一瞬遠くの光に照らされた爺さんは悲しい目をしていたのが分かった。
「……はぐれた妻は、この向こうで待ってる。ようやく会いに行く覚悟が決まったんだ」
踏み込んで連中の眼孔を木刀で貫く。漆黒の暗闇を真っ黒な血が舞った。
「行けよ。ここで死ぬためにその刀を渡したんじゃないぞ。あんたが大事なもんを守れるようにそいつを渡したんだ」
「……俺は」
「あんたには些細なことかもしれないが義理がある。こんな老いぼれに話しかけてくれて、少しでも息子や孫がいた時のことを思い出させてくれた。妻も息子もいなくなった俺には考えられなかった幸せだ」
木刀を持って飛びかかる爺さんの腕に横合いから連中が噛みついた。
「爺さん!!」
「ぐぅっ……!!行け!!早く走って仲間のところへ戻れ!!」
腕を振り払い、大きく開けた口を横から薙ぎ払う。
その姿を見て、俺は組長の最期を思い出していた。
『引き金引いたぞ』
後ろに振り返り、走り出す。
結局、俺は誰かに助けられてばかりだ。組長にも爺さんにも。
「クソッ……!!」
暗闇の中で灯る明かりが涙で霞んで見えた。
「……秋津さん!!!」
走って来た俺の顔を全員が見つめる。
「すまねぇ……爺さんは……」
「前方にもゾンビが!!」
言葉を紡ぎきれない俺を遮って花田が指を指す。
通路の前方にも何体かが遮るようにこちらに近づいて来る。
嘆いている暇は無かった。少しでも爺さんの行動に恥じぬよう、仲間を守るために再び模造刀を抜く。
「あああああああ!!!!!!」
爺さんとは違って剣の扱い方なんて全然知らないかった。ガキの頃から振り回すことしか知らなかった。
右足で勢いよく踏み込み、連中の肩から袈裟切りする。
鳥肌が立った。息を飲んだ。すべてがゆっくりと動いていた。
連中はずるりと半身を床に落とし、そのまま地面へと伏した。
何が起こっているのか、一瞬本当に分からなかった。
「……あの野郎……!」
紛れもなく、目の前に居た連中の胴体は斬れた。
『あんたには守るべきモンがあるだろう?老いぼれにゃあ、自分を守るんで精いっぱいなんだよ。どのみち切れやしない代物さ』
『兄ちゃんを信じてる。あんたなら必ず守ってやれるさ』
『ここで死ぬためにその刀を渡したんじゃないぞ。あんたが大事なモンを守れるようにそいつを渡したんだ』
斜め前から襲い掛かる連中を撫で切りにする。
「くそっ……!!くそっ……!!」
涙が頬を伝うのが分かった。
爺さんが死んだのが悲しいのか、生き残ったことが悔しいのか、理由の分からない涙がただただこぼれていく。
硬質な刃が骨を砕き、肉を切り、暗闇に舞う。
「あああああああ!!!!!!!」
闇に吠え、連中を切り落していき数分もしないうちに立ちはだかっていた連中は肉塊と化して床に転がった。
頬に付いた血を拭い、いつか爺さんに言ったセリフを暗闇に投げた。
「……強ええよ。……強かったよあんたは」
血に濡れた刃が闇に光り、後ろを振り返り仲間たちに告げる。
「……爺さんに……託されたんだ。……お前らを」
数人が静かに泣いた。宗太はただ黙って涙を流したまま詩音の頭を撫でていた。
放たれた弾丸は宙を舞い、ようやく着弾点を見つけた。
弾丸は誰かを殺すためではなく守るためのものだった。
光に照らされた人たちのためのものだった。
きっと、夜明けは近かった。




