第三十三話「NIGHT OF THE LIVING DEAD」
遂に何も解決策は出ないまま会議は終わり、それぞれが暗闇の中で不安な夜を過ごすこととなった。
そのまま解散して何時間も経ち、眠るなりなんなりをしているらしいのだが、俺は何をするわけでもなく座ったり立ってうろついたりを繰り返していた。少しでも開放感を求めようとテラスに出れば、湿った空気が頬にまとわりつき、うめき声が耳を労した。
ショッピングモールは物で溢れている。気を紛らわすということで言えば不自由しないはずなのに、この終末世界で物に価値なんて見いだせなくなっていた。
それほどまでに連中に囲まれているという現実は俺たちに重くのしかかっていた。
「秋津、次は私たちの番だぞ」
「おう」
懐中電灯で地面を照らした成塚に声をかけられテラスを後にする。
バリケードの確認のため、主に食料調達に出向いていた人を中心に二人一組でモールをまわっていた。
俺たちの担当は夜中だった。本当に夜中で大丈夫かと心配はされたが、もともと眠れずにしょっちゅう夜中まで起きていた俺と、誰に言われたわけでも無いのに恩着せがましく深夜のパトロールに出向いている成塚だ。夜警にはこの中では一番の適任だった。
「秋津、これを」
成塚に懐中電灯と手斧を渡される。
「あぁ、すまんな」
早速暗がりの店内に向けて懐中電灯の電源を入れると、赤い光が目の前を照らした。
「うおっ、なんだこれ」
「対感染者用の照明といったところだな。懐中電灯に赤いセロハンを張ってある。いくら奴らの目がほとんど機能していないとはいえ、人影と強い光くらいなら見分けがつくからな。できるだけ刺激を与えないのが懸命だ」
「なるほどねぇ」
試しに店の奥にライトを当ててみたがこれはかなり不気味だ。非常口のランプすらついてないので辺りも微妙に見えにくい。
「……怖いのか?」
「んなわけねーだろ」
「じゃあ行くぞ」
成塚の歩くペースはいつもと変わらずきびきびとしていたので、それが何だか悔しくてわざとらしく胸を張って歩いた。
見張るのは一階の出入り口すべてと立体駐車場に繋がる出入り口すべてだ。モールは県内でも有数の広さを誇っているためにだいぶ長い作業になりそうだ。やはり田舎はロクなものではない。
一階に降りてくると先ほどから聞こえていた連中の騒音がさらに騒がしくなったように聞こえた。距離が近くなったから当然と言えば当然なのだが、暗闇で距離感がつかめず、後ろからいきなり襲い掛かられてもおかしくないようにも思えた。
「いくら対策を施したからとはいえ、うかつに窓を照らすんじゃないぞ」
「わーってるよ。実際それどころじゃねぇんだよ」
懐中電灯は自分の足元を照らすので精いっぱいだった。刺激するという意味では下手に転んで大きな音を出す方が立派にまずい。それこそ陸の二の舞だ。話に聞いただけでもおぞましい。
「とりあえず最初のバリケードだが……問題はないみたいだな。バリケードよりも自動ドアを心配したいところなのだが」
成塚がカートの山に赤い照明を照らすと、その向こうにいる連中まで赤く照らされて埃の溜まった白い目がこちらを見ているのが確認できた。
正直に言えばその光景に背筋がゾッとして、息を飲んで後ろを振り返るくらいには俺の警戒を強めさせた。
バリケードとドアを挟んで向こう側にいるのは確かに化け物なのだと思い知らされる。
「よし、秋津次行くぞ」
何の感慨も持たないかのように再び成塚が次の出入り口へと歩き始めた。隣にいるこいつも俺にとっては化け物同然だ。
店内は外とは違って誰もいないかのように静かだ。誰か一人くらいは起きていて、ろうそくの光を灯すとかそれくらいのことはしてくれててもいいんじゃないかとは思う。決して心細いとかそういうことではない。
「……そろそろ一階は全部見回ったことになるな。残念ながらどこも感染者が並んでいたが」
「脱出経路は無しってことだ。駐車場からも出られないだろうな」
「出られたとして外は感染者だらけだ。まったくどうしていいか、私にもわからない」
「普通そうだろうよ。やけに自信ありげな奴はいたが」
「……千葉か」
成塚の足取りが少しだけ重くなる。
「奴が脱出経路を既に見つけた後だと……?」
「なら勝手に逃げ出してるだろう。それこそ、もっと早い段階でな」
「それもそうだな。では奴の口ぶりは一体何なんだ?」
「……さぁな。俺らが気にしすぎだということなら有り難いんだが。さぁ、あとは屋上駐車場の見張りだけだ」
フロアの端にある階段へと再び足を進めた。
「駐車場に続く出入り口はさすがに何個もねぇよな」
「全部で十くらいだな」
「……地味に多いな」
エレベーターは当然使えないので階段を登るしかない。もともとあまり人が利用しないのを考えて配置されているのか、端っこにポツリとあるそれは新しい建物のものと言えど、モールのどこよりも不気味に感じた。
二階のバリケードはカートの代わりに山のようにカラーボックスが積まれている。随分と雑だが一応ドアはまだ破られていない。その向こうにいる連中の数も相手にできるくらいの数だ。
三階も同様、他と比べてバリケードは薄いが連中の数もその分少ない。
「……あとは屋上もだな。石井たちのワゴン車でバリケードを作っていたとは聞いたが」
「カラーボックスよりはいくらかマシだろ」
三階から屋上へと上がる。上がると一言で言ってしまえば簡単なのだが、実際は結構厳しい。さっきからたびたび文句を言いたくなるのだが赤いライトは照らすという意味ではかなり不十分なのだ。周りも見えず足場も悪いため、かなり慎重にゆっくりと階段をあがっていく。
足音が階段フロアに響く。その音に呼応するかのように連中の声も反響して聞こえてくる。まだ冬であるにもかかわらず、額にじっとりと汗が浮かぶ。
人間は夜に目が効かないから、捕食者のいた時代に暗闇を恐れていた時の本能が闇への恐怖を作り出しているとは聞いたが、まさに今がその時だ。太古の昔の感覚が呼び起され「戻れ、戻れ」と脳内で鳴る警鐘がその足取りを重くしていく。
懐中電灯に照らされた足元を目で捉え、見えない暗闇を探ろうと俺の全身がもがくようにあらゆる音や温度、空気の流れまでを把握しようとしているのが分かる。
脳はそれを拒むかのようにあらゆる思考を遮断しようとしている。よぎる不安は無理やり打ち消され、全身でつかみ取った情報を端から捨て去っていく。
俺はまさに闇の恐怖の中にいた。
どうにか酸素を取り込むために大きく息を吸う。
冷たい空気とともに鼻を通る臭い。
……腐臭……か……?
これまで確認したバリケードにはこんな悪臭はなかった。
なら、何故?
頭の中の警鐘が大きく鳴り響いている。
「戻れ、今すぐ引き返せ」と本能が叫んでいた。
赤い照明で照らした足元からゆっくりと前方へライトを向ける。
片方しかヒールを履いていない両足がこの目に映った。
心臓が握りつぶされたかのように強く拍動し、足はこわばって動けなかったが手は意識してもいないのにさらにライトを上に向ける。
黒い血液で汚れたブラウスと、更にその上で闇に光る白く濁った二つの眼球がこちらを凝視していた。




