第二十三話「両側に立って」
その晩も男たちはとても終末世界とは思えない飯を食らい、浴びるほどに酒を飲み酔いつぶれて床の上に寝てしまっていた。
俺はあれから連中とは距離を置いて宗太や詩音たちと一緒にいた。成塚は邪魔と言えば邪魔だったが、少なくともあいつらと一緒にいるよりはマシだった。
時刻は深夜二時をまわっていたが、目をつぶると駐輪場に繋がれた連中や頭を撃ち抜かれたガキの真っ白な目が頭いっぱいに浮かび上がり寝付けなかった。
酒でも飲んで忘れたかったが、手元のグラスの酒は一向に減らない。
テラスに出て月を見上げる。雲に隠れてうっすらとしか見えるのは相変わらず綺麗な形をした三日月だった。
「おい、まだ寝てなかったのか」
「てめえに言われたかねぇんだよ成塚。深夜のパトロールのつもりか?」
「まぁそんなとこだ。様子がおかしいことはないかと毎晩周っている」
テラスの柵までくると成塚は俺の隣に立った。
「……なんの真似だてめぇ」
「お前の様子がおかしいからな。パトロールだ」
ジョークのつもりで言ったのだろうか、小さく作り笑いをしてテラスの椅子に座る。
「……何があった?連中とは距離を置いているようだが」
「いつからカウンセラーになったんだ成塚。言っとくが手前は向いてねぇぞ」
「別に、お前と連中の間に何があったか知りたいだけだ。誰もお前の胸中なぞ気にも留めないぞ」
「……そうかい。別になんもねぇよ。ただ気が乗らなくて離れただけだ。実際あいつらとはそれなりにやってるつもりだ」
「そうか。なら問題ないな」
それなりにやってるつもり。今日何回あいつらに飛びかかりかけただろうか。今日何回生きるための判断を誤ってるのかと自問自答しただろうか。自分の中では答えが出なくてつい口からこぼれてきた。
「……お前は警察官だが……善悪の区別は自分できちんとついてると思うか?」
「……ふむ。善悪の区別か……」
成塚は手を前に組んでしばらく黙り込んだ。
「……私は善悪の区別で人を牢屋に入れた覚えはないからな。法律がそれを許すかどうかだ。その法律が善か悪かなんて私には分からない。ただ一つ言えるのは誰かが出来るだけ平和な世界を作ろうとできるだけ公平に作り上げたものだということだ」
「法律ねぇ……こんな世界じゃそれすら無意味だ。人を殺そうが奪おうが咎める奴も裁く奴もいねぇ。ならお前はどうする?この世界で何を基準に善悪を決めればいい?」
「……何を迷っているんだ秋津」
「いいから答えろよ」
「……いや、今度はこちらの番だ。お前は暴力団の幹部だが自分がしてきたことに善悪の区別はあるか?」
「……どういう意味だ?今更んなって咎めようってわけか」
「いいから答えろ」
「……」
成塚と同じくしばし沈黙する。
俺は今まで善悪の区別なく組についていた……?自分が何をしているか分からずに法律に背いて生きてきた……?
……それじゃあ連中と何も変わらないじゃねぇか。
「……善悪の区別なんてついてなかった。そんなもんどうでもよかった」
「するとつまり、お前は何も考えずに与えられたことをこなして牢屋に入れられたと?」
「いや、違う。……ただ俺は今まで正しいと思うことをしてきた。間違ったことはしたくなかった。それが善か悪かなんて俺には判断がつかねぇ。正しいことをするってのは善であり、他者から見れば同時に悪だ」
「……ようやく組の弾丸らしいことを言ったな。こんな世界だからって迷う必要はない。お前が正しいと思うのならそれに従え。間違っていたら私が正すがな……もちろん死をもって」
ホルダーから拳銃を取り出して俺に向ける。
「けっ……冗談でも拳銃を人に向けんじゃねぇや」
「冗談じゃなかったとしたら?」
「うるせぇ。とっととしまえ」
成塚が席を立ち、再びショッピングモールの中へと向かう。
「おい、成塚」
「なんだ、まだ用か」
「……連中の中に用心するべき奴がいる。はっきりとは言わなかったが、こんな世界になってから生きてる人間も何人か殺したらしい。拳銃を隠し持ってる。おそらく警官から奪ったもんだろう」
「……物騒な話だな」
「若い連中と一緒に行動してる三人組だ。俺にも正体が分からんが詩音たちのこともある。……くれぐれも気を付けてくれ」
「……了解した。……お前も明日は私たちと一緒に行動するといい。お前が何に迷っているのかは知らんが、両方の側に立ってみないと分からないこともあるだろう。……では私はもう寝る。お前もさっさと寝ろ。いつまでも馬鹿みたいに風を浴びてると風邪をひくぞ」
「余計なお世話だ」
結局その後もよく眠れずに、申し訳程度の睡眠をとって朝から起きて眠気覚ましに風を浴びるため、テラスにいた。中に戻り辺りを見渡す。男たちはまだ眠っていたが宗太や詩音、それから他の人たちは各々朝食を摂ってのどかな午前中を過ごしているようだ。
「ヤスヒロ、おはよ」
「おぅ、早起きしたな詩音」
「おはようございます秋津さん」
「宗太も。よく眠れたか?」
「はいおかげさまで」
宗太たちはパンに肉や野菜を挟んだサンドイッチを食べている。二人の具材の違いを見るに好きなものを挟むシステムらしい。
「これ、秋津さんの分も用意しておきました。まだ済んでないですよね?」
「おおすまん。ありがとうな」
手渡されたサンドイッチを頬張り咀嚼する。なかなか美味い。ここ数日で一番かもしれない。
「今日も外に行かれるんですよね?」
「ああ……いや、今日はここに残ろうと思ってる。なんだか疲れちまってな」
「ヤスヒロ、今日一緒?」
口元にソースをつけながら詩音が尋ねる。
「ああ。今日は俺も一緒だ」
「……本当!?あのね!今詩音たちね!積み木みたいにいっぱい重ねてこわいひとが来ないようしてるの!!」
「……積み木みたいに?」
「あはは、今ここに残ってる人たちでバリケードを補強してるんですよ。いざ大勢で来られたら困りますからね。秋津さんも一緒にどうですか?男手が少ないんで助かりますよ」
「そうなのか。じゃあ喜んで手伝わさせてもらおうかね」
「そろそろみんな動き出すと思うので先に一階に行ってましょうか」
大きな窓のある二階とは違って、バリケードで外部の明かりが僅かに漏れ出す程度の一階は薄暗く、なんだか不気味だった。
音楽も人の声もしない静かなフロアを歩いていくと、何かを引きずる音が突然暗闇の向こうから聞こえてくる。
「……なにかいるぞ」
「あぁ、秋田さんですよ。あのおじいさん。いつも早く来てみんなより早く動いてるんです。僕も昨日より早く来たつもりだったんですけど、やっぱり秋田さんのが早かったみたいですね」
音のする方には確かに爺さんがいた。一階のフロアのソファを集めてドアの前に並べているようだ。
「おはようございます秋田さん。今日はこちらの秋津さんも手伝いに来てくれましたよ」
爺さんが作業を止めてこちらを見つめる。「おぅ」と一言だけ発すると再びソファを引きずりはじめた。……口数の少ない爺さんだ。
「大丈夫か、爺さん。腰痛めちまうだろ。俺がこっち持つぜ」
爺さんの引きずる反対側の方を持ち、押し出してやる。
「おぅ。すまんな」
ずるずると引きずられるソファは思っていたよりも重く、これを爺さんが一人で引きずっていたのだからなかなかやるものだ。
「おはようございます」
二階から四人家族が降りてくる。宗太とにこやかに挨拶を交わすと俺の方を一瞥して、そそくさと別のドアのバリケードを作りに行った。
……まぁ本来慣れた反応なのだが、宗太に出会って以来久々の反応で少しだけ気が滅入る。
「んで、バリケードはどこまで作ればいい?」
「そうですね……とりあえず、入り口は全部塞いじゃおうかって話はしてて……もしもの時は立体駐車場から下に降りれたらそれでいいと思います。さすがに駐車場側から入ってくるわけはないと思うので・・」
「まぁ、それもそうだな。とりあえず積めるもん積んどくか」
「……思ったより酷だな。めちゃくちゃ疲れるぞこれ」
数時間にわたって色々なものを運んできて時間はまだ昼前なのだが、疲労が半端じゃない。
「でも秋津さんが来てくれたから積みあがるペース早くて助かりましたよ。この前の倍積みあがったんで」
「そうか、それはなによりなんだがとりあえず休ませてくれ」
「そうですね。少し早いですけど皆さん呼んでお昼ご飯にしましょうか」
再び二階へ上がってフードコートのテーブルに着く。未だに男どもは寝ているが、何人かは起きてどこかへ行ったらしい。どっちにしろこいつらの活動はまだ始まらないだろう。
少しだけ席が窮屈に感じると思えば、夕飯を食べる時よりも個々のグループの距離が随分と近かった。不思議そうに辺りを見回す俺に気づいてか宗太が声をかける。
「僕にもなんだか分からないんですけど、昼はみなさん距離が近いんですよね。同じ仕事をしたからなのかどうかは分からないですけどいい雰囲気だと思います」
「そうだな」
そんな中で少しだけ離れて座る爺さんを見つけた。
「……ここいいか?」
「……おぅ」
爺さんに断りを入れてから席に着く。
爺さんは食事を済ませたのか摂っていないだけなのか、とにかく何も乗っていないテーブルに腕を組んで乗せて、時折指を交差させたりしていた。
「あんた……ヤクザの兄ちゃんだろ」
俺の目を見ずに随分と低く小さな声で問いかける。
「……そうだな。爺さんは?歳の割には随分力持ちだったじゃねぇか。こんな中生き残ってる気骨を見るに実は堅気じゃ無かったりするのか?」
「へっ……正真正銘の堅気さ。鍛えてはいたがね」
深いしわを緩ませて笑う爺さんの腕は確かにふとましく、ごつごつとしていた。
「気骨も何もないが、こいつでどうにか老いぼれが生き残っちまったんだ」
植木に手を伸ばすと爺さんは鞘に納められた刀を取り出す。
「……本物かそれ?」
「いいや、模造刀だよ。切れはしないがあんたのと同じように奴らの頭は叩き割れる。若いのには言うなよ。取り上げられちまうからな」
「大丈夫だ。奴らはちゃんと切れるもん持ってたからな」
俺の皮肉に爺さんが笑う。
「面白い兄ちゃんだ。あんたみたいのが生き残ってくれててありがたく思うよ。……仲間はどうした?」
「仕事仲間はみんな連中にやられちまった。俺の組長もな。俺が最後の任侠モンかもしれねぇな。常に警官に見張られてるが。……あんたは?」
「……息子たちは分からん。妻とは逃げるときにはぐれちまった。いつもうっとうしいくらい付き添ってたのにいざいなくなるとな」
爺さんはそのまま口を閉ざして、再び窓の外へと視線をやった。
「……ここにいる連中の大半は仲間や家族がいるもんなぁ。身内がいねぇのは俺と爺さんくらいかもな」
「ありがてぇことだ。こんな中で他人の幸せを拝めるってのは。……今まで逃げてきた中で目の前で家族と引き裂かれてく連中を何度も見た。二度と見たくねぇな、アレだけは」
「……強ええよあんたは」
爺さんに聞こえないくらいの声で呟く。皺に囲まれた目に爺さんが何を見てきたのか、想像すらしたくなかった。
「そんなこといったって、俺は来るものは拒まずでここに留まる気なんだよ!」
「んな綺麗ごと言ってる場合かよ!少しは現実を見ろよ!!」
昼飯を摂り終え、再び作業に戻ろうとしたところでフードコートが騒がしいことに気づいた。騒がしいといっても石井と花田の二人が言い合いをしているだけなのだが。
「……なにがあったんだ?」
傍らで二人を見守る仲間に話を聞く。確か名前は山崎だった気はする。
「ああ、秋津さん。……無線で外部と連絡が取れて、他の生存者がここまでやってくるらしいんすよ」
「それは良かったじゃねぇか」
「でも、石井の奴が独断でそいつらを受け入れたから花田の奴、それが気に入らないらしくて……」
「気に入らない?なんでまた……」
「意外と食料が尽きるのが早そうで、周りのコンビニも大体回って食料は確保したんで、もっといろいろなところをまわるか、もしくは今ある食料で助けがくるのを待たなくちゃいけないんすよね。そんな中で、また生存者を囲おうなんてもんだから……」
「……なるほどな。それで、生存者の数はどのくらいなんだ?」
「石井の無線を遠くから聞いただけなんすけど・・四人くらいいるって話みたいですよ」




