第二十二話「狂った世界の歩き方。」
目の前には贅沢に食事や酒が並べられている。フードコートの席を六つほどつなげて俺と大学生五人組、それから千葉とその仲間らしき二人組で囲む。あとの人たちはそこから少し離れて座り、各々で食事を摂っていた。
俺も宗太や詩音とともに食事を摂りたかったが是非と誘われ、嫌々ここで不味い酒を口にしている。今日も泥酔状態の大学生がベラベラと喋っているだけ。それなのに時間はやたら進むのが遅かった。
あれ以来、千葉はこちらには話しかけてきてはいない。それならそれでいいのだが、毎回千葉の方向を見るたびに目が合う。そしてそのたびに奴は口角をあげてヤニで黄色くなった歯を光らせる。それがとても不快だった。
千葉の仲間も仲間でサングラスをかけたスキンヘッドの男に、千葉と同じく口ひげを蓄えたパーマのかかった巨漢と、一見堅気には見えないような面構えが揃っていた。
……こいつらがなんにせよ、千葉と言う男を見るに警戒をしておく必要はありそうだ。
「あれ?秋津さん今日はお酒進まないねぇ」
石井がろれつの回らない口調でまだ酒の入ったグラスに酒を注ぐ。溢れた酒が手を濡らすが、構わずに石井は瓶を傾ける。
「おい、もういっぱいになってんだから止めろよ」
「え?あぁ、本当だごめんなさい。……そういえば、今日秋津さんが戦ってるとこ結局見てないよな?」
グラスの酒をあおり、口元からこぼしながら花田に尋ねる。
「そうだな。極道の戦い方ってどんな感じなのか知りたいよな?」
「ねぇ、秋津さん。明日俺らが用意したとっておきの場所連れてってあげますよ」
「……とっておき?」
「そりゃあもうとっておきさ。千葉さんたちが用意してくれたんだ。秋津さんもきっと気に入るよ」
「……そうかい」
わざと無愛想に返事をして、グラス満杯の酒を少しだけ飲んでテーブルに置いて席を立つ。
「あれ!?もう行っちゃうの!?まだ始まったばっかじゃん!!」
「さっき疲れてるって言っただろ……?今日はおとなしく仲間のところへ戻る」
「……なんだ、仲間たちと飲んでたんじゃないのか」
「仲間になった覚えはねぇよ。俺の仲間は宗太と詩音だけだ」
「そうか。てっきり私は馴染んでいるのかと思っていたのだが……というか何私を除外してるんだ。死刑に処すぞ」
「じゃあお前は俺の仲間だってのか」
「んなわけないだろ処すぞ」
「どっちにしろ死刑じゃねぇか」
席を囲んで晩飯のうどんを啜る早川親子と成塚。空いている席はやはり成塚の隣しかないので仕方なく席に座る。
「適当に湯を沸かして生麺を突っ込んだだけだ。食べたければ自分の分は自分で持ってこい」
「別にいらねぇよ。腹はいっぱいだ。無駄に酔いも回ってるしな」
悪酔いしてしまったのか既に頭がぐらついている気がする。
「今日はお疲れ様でした。これ」
宗太が紙コップに水を汲んできてくれたので受け取る。
「ありがとうな」
「いえ、自分たちのために食料調達してくれたんですから当然ですよ。むしろ何もお手伝いできなくて申し訳ない」
「別に構わねぇよ。それに奴らは好きでやってるみたいだしな。ボランティアみたいなもんだろ連中にとっちゃ」
フードコートの中央で飲み食いしながら騒ぐ連中を横目に冷たい水で喉をうるおした。
「……それが真の善意から来るものならな」
成塚が一言だけ静かに呟くとまた麺を啜りはじめた。別に大した言葉でもないが、胸の内にある正体不明の不安をいたずらに撫でるような、そんな一言だった。
「それにしても連中はあんなに飲み食いしてこの先のことちゃんと考えてるのかね。まぁ……なるべく不自由な生活をしないように今日みたいに食料をかき集めてんのかもしれないが」
連中より離れて過ごす人たちは宗太たちと同じで質素な夕飯だ。フードコートで食べられて比較的安価なものを口に運んでいる。
生活の癖というものが表れてるのだろうか。考えてみれば普通の四人家族に若いカップルに爺さんという面々だ。もっともらしいといえばもっともらしいのだが。
「まぁ、食料調達やゾンビから守ってくれてる人達ですから贅沢してたって誰も文句は言いませんよ。秋津さんも別に贅沢してたって文句は言われないと思いますよ?」
「……おいおい。別にお前ら見てばつが悪くなったからここに来たわけじゃねぇぞ。ただ連中とは合わないってだけだ。それ以外にはなんもねぇ。っていうか宗太よぉ。ゾンビって馬鹿らしい言い方なんとかなんねぇのか」
「えぇ……だってどう見たってゾンビでしょうあの人たち。他になんて言えばいいんですか」
「連中」
「感染者」
「こわいひと」
……誰が何を言ったのかはお察しだ。妙な空気がテーブルを包む。
「……なんだかんだいってまとまりがねぇな」
今日も今日とて遅めの集合だった。聞くに「今日はただのレクリエーション」ということらしい。ついでにショッピングモールの周りを回って連中がいれば処理するそうだ。
武器を持ったむさくるしい男どもが駐車場に揃う。
「まぁ今日は手あたり次第ゾンビを駆逐してく感じで。なんかあったら言ってください」
男たちの前に立って石井が話す。
「じゃあショッピングモールと俺たちの生活を守るために化け物退治に向かいましょう!」
また作ったような声で高らかに叫ぶと仲間内から声があがった。千葉のグループは相変わらずへらへらと笑っている。
一階の駐車場には視認できる連中が十数体。どこから湧いたのかは知らない。まぁきっと人間と同じでどこにでもいるんだろう。手始めに石井たちがそれぞれの武器で頭を破壊していく。
駐車場には点々とこいつらが殺したであろう連中の遺体が転がっていて、たまに顔の前をハエが飛ぶ。それを手で除けながら大学生たちの雄姿を見ていた。
「あっ!秋津さん!あっちの奴お願いします!」
石井が手斧で指す方向には、ピンク色のシャツを着た詩音と同じくらいの女の子がいた。威嚇をしながらふらふらとこっちに近づいて来る。
「秋津さんの木刀さばきが見れるぜ!!」
石井が仲間を呼んで俺の方に注目させる。
「……冗談じゃねぇぞ」
木刀を握る手には汗が浮かび滑って上手く握れない。というか強く握る気もなかった。
こいつら正気か……?相手をなんだと思ってる?連中の仲間とはいえ相手は子供なんだぞ。
少女はゆっくりと近づき、既にこちらの間合いに入っていた。いつものように振り下ろせば簡単に頭を割ることはできる。
「秋津さん!もうやっちゃっていいんじゃないですか!?」
頭の後ろから聞こえる声がやけに響いた。自分の頭に血が上っているのもなんとなく分かっていた。
少女は手を伸ばして俺に食らいつく距離まで来ていた。歯をカチカチといわせながら木刀を握る腕をめがけて飛び込んでくる。
突如銃声が響き少女はアスファルトの上に倒れた。少女の真っ黒な返り血が頬を濡らす。
銃声の聞こえた方を向くと拳銃を構えた千葉がいた。そのまま拳銃をポケットにしまう。
「……秋津さんなにやってんすか!!もう間合い入ってたのになんでぶっ叩かないんですか!!」
おおげさな調子で言葉を投げる石井に、俺はもう我慢が限界に来ていた。後ろに振り返って石井にとびかかる寸前だった。
「おい」
足を踏み込みかけた時、千葉が石井に声をかける。
「……秋津さんの連れに今のと同じくらいの女の子がいただろ?ぶっ叩けなくて当然だ。下手な口聞くんじゃねぇよ」
「……すいませんでした」
「分かりゃいいんだ。じゃあ気を取り直してモールを回るぞ」
千葉の一声で五人組を先頭にして再び歩き出した。千葉は五人組とは反対方向に歩き出し俺の元へとやってくる。
「……秋津さん。若いのが迷惑かけたな」
「……あぁ、別にいい」
「ただな、秋津さん。あんたには現実ってもんが見えてねぇ。いい加減受け入れろよ、この世界を」
「……現実を受け入れるってのはああいうことか?」
「ああ、やつらはもう人間じゃねぇんだ。女だろうが子供だろうが老人だろうが身内だろうがきちんと殺してやらなきゃならねぇ」
「そうじゃねぇ。それくらい分かってる。必要な時にはやってのけるさ」
「……できるのか?今のあんたに。あんたはなんも分かってねぇんだ。あとで現実を見せてやる。こんな世界をどうやって生きて歩いていくのか。・・終末世界の歩き方ってやつをな」
煙草に火をつけて煙を吐き出すと千葉のグループも石井たちに続いた。
ショッピングモールと言えど、田舎なので連中の数もやはり少ない。ここを拠点にできたこいつらは運が良かったといっていいだろう。
道行く連中を手斧でバタバタと切り落としていく石井たち。たまにおこぼれを千葉たちがマチェットで掻っ捌くので俺は木刀を握ったまま、前を行く男たちの動向をただじっと見ていた。
首を落とされ飛び散る血を眺めながら、頭の中で子供をぶっ叩けなかったのは間違いなのかどうかを判断しかねていた。
連中は確かにもう人間じゃない。それは分かっていたし、だからこそ今までもたくさん連中の頭を叩き割ってきた。
ガキだろうが女だろうが、連中の仲間になってしまったらそれはもう関係が無い。理屈でもそんなこと分かっている。千葉の言うことは正しい。ただそれをどうしても認めたくない自分がいて受け入れられずにいた。
……俺には現実が見えていないのか。
「秋津さん!そろそろ着きますよ!」
ショッピングモールを一周周って、裏にある駐輪場に着く。
駐輪場には規則ただしく連中が並んでいて、思わず木刀を構えるが様子がおかしいことに気づく。
「……なんだよこれ」
駐輪場に設けられた柵に鎖でつながれた連中が十体ほど並んでいる。連中は腕を落とされ、手ぬぐいのさるぐつわをされ、至る所にナイフが突き刺さっている。
つながれた全員が服を脱がされた女で、十体のうち二体の頭にナイフが刺さり、その場に崩れ落ちていた。
石井が女に近寄りナイフを抜き取り仲間に渡していく。
女たちから数メートル離れたところにはペンキでラインが引いてあり、五人や千葉の仲間がラインの上に立つと一斉にナイフを女に向かって投げ始めた。
「頭には投げるんじゃねぇぞ!こいつら用意するの楽じゃねぇんだからな」
千葉が男たちに向かって叫ぶ。
「……俺たちが用意してやった。すげぇ興奮するだろ?女の服剥がしてナイフをぶっ刺してくんだ。女と言っても連中はすでに人間じゃねぇ。あくまで疑似的なもんでしかねぇけどな」
「……疑似的?今言ったことそのままじゃねぇか。疑似的でもなんでもねぇ。手前ら狂ってんだよ」
「……そうかもしれないなぁ。でも順序が逆だ。この世界が狂ったから俺たちも必然的に狂った。そうしなきゃ生きられなかった。この世界がずっと正常なら俺たちは正常のままで良かったんだ」
花田がナイフを投げると散々傷つけられた体から内臓がぼとぼとと零れだす。奴らはテンションが最高潮に達したようで狂ったように叫びながら次々にナイフを投げていった。
「……俺は最初から狂っていた。だから導いてやったのさ。なんにも分からないガキどもを俺たちの世界へ。あんたも同類かと思っていたがどうやらそうじゃないらしい。秋津さん、あんた刑務所に入ってたんだろ?殺人で入ってたわけじゃねぇのか」
「生憎殺しはしたことがねぇよ。組長も俺もそういう信念だった。ただ組のために立ちふさがる連中をボコボコにしてやっただけだ」
「……だろうな。俺は今まで数人殺してきたよ。生きるためにな。と言っても咎める奴もぶち込むムショもこの世界にはなくなっちまったがね。安心しろよ。ここで生きてる連中に手を出すつもりはない。殺したのはあくまで目的があったからだ」
「……あの拳銃もか?」
「……へっ」
千葉は笑いながら煙草に火をつける。
「秋津さん。これが現実だよ。生殺与奪でしかこの世界は歩いていけない。この女の姿をした化け物共も、この拳銃も」
「……気に入らねぇな……」
「この行為も目的があって用意したまでだ。この世界を受け入れさせること、奴らに対する恐怖をなくすこと、日々募るフラストレーションを開放すること。道徳に反しちゃいるがそんなものもこんな世界じゃ無いのも同然だし、なによりこれは必要悪なんだよ。あんたと同じさ、秋津さん」
……誰かがこんなセリフを言っていた気がする。「地獄がいっぱいになれば死者たちが地上にあふれ出る」と。
……冗談じゃない。そいつには見えていないんだ。
死者が地上に溢れずともここは最初から地獄だったんだ。




