第十七話「By my side」
冬の間は気づいたら夕暮れになって星が瞬いて夜になってしまう。頭上にあった太陽はだんだんと西に傾き始めていた。
藤宮と二人、無言で田舎道を歩く。
薬局に行くといったはいいが、ここら辺は詳しくない。隣町のさらに隣町とはいえ、大々的に見れば自宅から大して離れてもいないし、何回も買い物や用事があって利用している街だった。
しかしあくまでそれは市街地周辺の話であって、少しでも離れれば行き当たりばったりの道中になってしまう。まだ電気は点くとはいえ、食屍鬼の闊歩する街で夜に出歩くのは危険だ。できれば運よく薬局が見つかって日の出ているうちに帰りたい。
「……藤宮はこの辺分かるか?」
「分かってたらさっさと道案内するッスよ。まさか先パイよく分かってないのに引き受けたんスか」
「……うむ」
はぁ……と大きくため息をつく藤宮。その目は完全に俺を見下していた。
「しょうがないだろ?有沢が熱出してるんだから。だいたい薬局なんて最近はどこにでもあるから大丈夫だって」
「超心配ッス」
「まぁ、足は早めに気は長めに行こうぜ」
「まぁ別にいいッスけど」
アスファルトを蹴って少しだけ小走りで俺の前へと抜けていった。
人のいるところに食屍鬼あり。
住宅街のどこか、もしくは住宅街を抜けた先に薬局があるとみて、少しだけ市街地の方へと足を向けたはいいものの、至る所で食屍鬼に会い、そのたびに回り道をすることになってしまっていた。
その間にも日は少しずつ傾き、黄金色の空を徐々に濃く染めていく。
「先パイ、あそこにもいるッスけど」
「ああ見えてる。……そろそろこの辺りを突破しないと距離的に全然動いてない気がするぞ」
回り道の度に食屍鬼に出くわす。一体だけではなく時には十体近くが狭い通りでうろついてたこともあった。今見えている道には三体ほど。間隔は広いのでスコップを構えて藤宮に合図を出す。
「とりあえず離れずについてこい」
音を立てずに後ろから近づき、スコップで突き飛ばす。うつぶせに倒れた頭に思いきりスコップを突き立て、穴を掘る要領でスコップに足をかけてずぶずぶと突き刺す。
タールのようにどろどろとした真っ黒い血と中身がアスファルトに流れた。
「うぅ……なにやってんスか……」
「嫌なら見るな。次行くぞ」
できるだけ音を立てずに次の食屍鬼に近づく。
運悪く目の前の食屍鬼が振り返り、俺たちを視認すると口をパクパクと開閉しながらこちらに近づいてきた。喉笛を食いちぎられたのか上半身は真っ黒に染まり、うめき声すらあげていない。
スコップの刃の側面を首に向けたまま振り抜く。
損傷の酷い首はぐしゃりと音を立てて胴体から外れ道路へと転がる。その状態でゆっくりと数歩歩いた胴体がアスファルトへと倒れ込んだ。
藤宮は首をブロック塀に向けたまま動かさなかった。まぁ、それでいい。
ドサリと胴体が思い切り倒れ込んだ音で最後の一体がこちらへ向かってきた。
音を気にすることなく思い切り頭を殴りつけ、丁寧に何度も殴打する。
「……はぁ……よし、先進むぞ」
住宅街を抜けて少し広い通りに出ると薬局の看板にこの先五百メートルの案内が書いてあった。
何も言わず藤宮の顔と看板を交互に見る。
「うわぁ……超どや顔ッスね」
本当は結構どやりたかったものの、通りは十数体の食屍鬼が広がっている。一気にその数を相手にするわけではないが、今の自分には数体一気に相手するのも少し困難なように思えた。
「……先パイ?」
藤宮が俺の顔を覗き込む。
「ぁあ……?」
「大丈夫ッスか?結構息切れてるッスけど」
「……そうか?」
「顔色も悪いし……まさか食屍鬼になっちゃったり?」
「馬鹿言ってんじゃねぇよ」
「それは冗談ッスけど……。とにかく先パイもダメなときはダメって言わなきゃダメっすよ。死なれても困るし」
「……まぁそうだな」
ブロック塀の陰に隠れて通りを覗く。通りに乗り捨てられた車が何台かあり、隠れながらスルーできそうな相手はスルーしていこう。途中で溜まっている食屍鬼たちは一体相手にすれば他の食屍鬼も集めて同時に四体相手にするのは免れそうもない。できるだけ少ない打撃で確実に仕留めなければ。
「……もうこれじゃ無理ッスね……。このまま引き返すッスか」
「いいや、このまま突っ込む」
通りを見ながら頭の中で最善のルートを作る。それを遮るようにして藤宮が声を上げた。
「突っ込むって……そんな疲れててあんな数一人で相手するなんて自殺行為ッスよ!薬はまた今度でいいじゃないッスか!」
「普通の熱ならな。有沢はこんな状況で体が完全に弱くなって熱出してるんだ。今取りにいかないとどうなるか分からないだろ。お前は有沢のこと……」
「大事ッスよ!!……でも、先パイのことだって……あれッスし……!……とにかく、私は反対ッス!」
「反対って言ったって……じゃあどうするんだよ……!」
「……私が囮になるッス」
思わぬ発言に少しの間何も言葉を返せなかった。その間藤宮はずっと俺の目を見て立ち尽くしていた。
「本気で言ってるのか?」
「本気ッスよ」
「……駄目だ。お前を危険な目にはあわせられない」
「なんでッスか!私だって最上先輩みたいに戦えるッスよ!」
「最上とお前とじゃ……」
「同じッス!同じ演劇部員ッスよ!!……先パイと同じ世界にいて、同じ現実に立ち向かってる同じ演劇部の一員ッスよ!……部長だからって気張りすぎなんスよ……!少しくらい私を頼ってくれたっていいじゃないッスか!」
涙を浮かべて放った酷く感情的な言葉が胸を突き刺す。
もうこれ以上は何も言えそうになかった。
「……分かったよ。お前にも手伝ってもらう。ただ本当に気を付けてくれよ?相手は確実に殺しに向かってくるんだからな」
「……それくらい私にも分かってるッスよ。日の沈まないうちにさっさと片付けるッスよ」
通りに出て身を屈めながら計画通り車の陰に隠れながら進む。途中で広く空いた空間があり、そこにたむろしている食屍鬼は五体。まともに相手はできない。藤宮と顔を合わせる。
「……とりあえず俺が先に出る。お前は2体くらいどうにか離してくれればいい。できるだけさっさとぶっ倒して残りも倒す。いいな?くれぐれも気を付けてくれよ」
「了解ッス」
スコップを構えて手前の食屍鬼の顔面を思い切り打ち抜く。固い音とともにスイカ割りのスイカのように頭が割れて奥の食屍鬼に色々と飛沫した。運良く一撃で一体仕留めたはいいが残りの四体が俺に目を向けて威嚇のようにうめき声をあげる。
「藤宮!」
「は、はいッス!」
藤宮が後ろから飛び出して注意を引くようにして手を振りつつピョンピョンと飛び跳ねる。
……まぁその注意の向け方が間違ってるとは言わないが。
藤宮に構わず向かってくる食屍鬼の頭を叩き割るようにしてスコップを振り降ろす。一撃とはいかなかったが二打目で眼球ごと頭をスコップで押しつぶした。
「……お前は余所見してんじゃねぇ!!」
ピョンピョン飛び跳ねる藤宮に視線を向けた食屍鬼の側頭部にスコップを突き立ててそのまま地面へと突き刺した。
「こっち!こっちッスよ!」
手を振りながらピョンピョンと……以下略。
計画通り二体が藤宮の元へ付いていく。後ろから頭を潰すのは大して難しくも無い。
一体目の頭を叩き割り、続く二体目も首を落として片付けた。
「……もっとスマートにやってくださいッス」
「無茶なこと言うなよ」
藤宮に拳を向けたまま近づきお互いの拳を合わせた。
「やったッスね先輩」
「とりあえずはな」
豪快なコンビネーションは組んだものの残り数百メートルの薬局への道のりはまさにステルスな道のりとなった。隠れながら進み、気づかれる前に後ろから近づき頭を叩き割る。なんか前に友達の家でこんなゲームをやったことがある。
薬局につく頃にはもう夕方だった。西日もすでに沈みかけ茜色が街を照らしていた。
薬局の中へと入り、目当ての薬をいくつか手に取る。
「まぁ……何が効くかは知らんから適当にもってくぞ」
「そうッスね。あと先パイ、これ、栄養剤。由利ちゃんもそうだけど、先パイもあとで飲むッスよ」
「あぁ、すまん」
西日に照らされた藤宮がにんまりと満足げに笑った。
「先パイを陰で支える部員の一人ッスから」
「……部員ねぇ」
「……なんスか?」
「……こんなことになってからお前の事、ただの部員だなんて思ってないからな」
「なっ……なに言ってんスか……急に……っていうかそれってどういう」
俺から目をそらしてなぜかうろたえる藤宮。
「藤宮だけじゃなくて、最上も、有沢も……みんな俺にとっちゃ唯一目の前で生きてる人たちなんだよ。他の人たちはみんなこんな中で生きてるか死んでるかどうかもわからない。でも確実にお前たちは俺の目の前に居て、ちゃんと生きてる。それがこれ以上ないくらい心の支えになってるんだ。お前たちの中で誰か一人でも欠けるようなことがあれば、きっと俺は生きていけない。そんな気がする。それくらい大事な存在になってるんだ。だから、ちゃんと目の前に居てくれよな」
「そんなこと言われなくても……私はずっとそばにいるつもりッスよ……」
「頼むぜ本当。さぁ、帰るぞ。二人とも待ってる」
住宅街を抜けて再び長い田舎道へと差し掛かる。日は沈んで群青色の空に一番星が輝いて、いつもよりほかの星も多く見えた。
「……なんだか今日は疲れたなぁ。なんだかんだいってほとんど一日歩き通しだもんな」
「……そうッスね。私もう足が疲れて動けないッス」
「あとちょっとだから頑張れよ」
その場に立ち止まる藤宮に声をかけて先へ進む。しばらくして振り返ると藤宮はその場から動かずに俺をじっと見ていた。
「おーい。あとちょっとだから頑張って帰るぞ」
「だから、足が疲れて動けないんス」
「だから頑張ればもうすぐ……」
「先パイ」
「何だよ」
「私も小さくて軽いんスけど」
「……冗談でしょ?」
「いいから」
両手をあげて例のアレをせがむ。
「あーもう俺だって足が死にかけてるってのに」
仕方なくかがんで背中に藤宮を乗せる。確かに有沢と同じくらいの軽さだった。
「どうッスか?由利ちゃんと同じくらいッスよね?」
「いや、お前のが若干重いよ……ぐえええええ!!」
おぶってやったというのに首を絞められる。恩を仇で返すとはまさにこのことだ。
「次言ったらマジで絞めるッスよ」
「次絞めたらマジで降ろすぞコラ」
とぼとぼと藤宮をおぶってすっかり日の暮れた夜道を歩く。遠くから車の音さえ聞こえない静けさに包まれた夜。藤宮の鼓動を背中越しに聞くと本当に俺たちしかこの世にいないような気がしてきた。
それは寂しさからくるものではなく藤宮が今ここに生きているという確かな事実がもたらした感覚のように思う。
「……先パイ」
「何」
「……ありがとッス」
「……あぁ、どうも」
「……先パイ」
「何」
「……なんでもないッス」
「……ああそう」
そんな生産性のないやりとりを時折しながら、薄雲に隠れて酷くおぼろげな三日月を東の空に見つめながら二人の待つ家へとゆっくり歩いた。




