第十二話「ゾンビ包囲網」
相変わらず今夜も身もだえるほどに寒い。張り詰めた冷気が車内を埋めてなんだか冷蔵庫に押し込まれた気分だった。
今日の夕方見た連中の群れ。……いや、そんな生易しいものじゃなかった。
おそらくこの街の十分の一の人口くらいはあっただろうか。一キロほどの長蛇をなした亡者の列。おびただしい数の歪な足音、鼻をつまんでも鼻を突く腐臭。なぜあれほどの数が道を闊歩していたのかは分からない。
連中が軍隊を作っているとでも……?いや、そんな馬鹿な。連中にそんな思考は無いはずだ。
とにかく奴らは街の中心へと向かっていった。なんのために?何かに誘導されたのだろうか。
寒さと巡らす思考にすっかり目が覚めて、煙草に火をつけて少し気持ちを落ち着かせることにした。
明日、詩音の父親に答えを聞いてこの街を出る。……のはいいが、なんだか不安要素がありすぎて素直に街を出られないような、そんな予感がした。
急激に尽きた街中の食料、もてあそばれた連中、大勢の列を作った連中の群れ。どうも引っかかって仕方がない。街さえ出られればそれでいいのだが……。
「あー……全然わかんねぇな」
頭を抱えてうつむくと、ズボンに煙草の灰が落っこちていた。膝に灰が落ちたことにすら気づけなかった。
吸殻入れに煙草を入れて倒したシートに再び横になると、遠くから聞きなれた音が聞こえてきた。
激しいバイクの排気音。それも一台じゃなく、数台分聞こえてくる。少しだけ体を起こして窓から様子をうかがう。
「やっぱ昨日のは夢じゃなかったのか」
まぁ、半分は夢だったんだが。
近づく排気音。降り捨てられた車の中にいるので別に気づかれはしなさそうだがとりあえず息を殺して音の主を警戒する。
轟音をあげて目の前を過ぎ去る大型バイク。見たところ俺と同じくらいの男が数人。ノーヘルだったので顔はとりあえず確認できた。
「族じゃねぇな……」
誰が見たっていたって普通のツーリング風景だ。……この状況と奴らの腰で光っていたマチェットさえなければ。
おそらく俺のぶち当たっていた疑問の答えはおそらく奴らにあるのだろう。だが、さらに疑問が増える。一連の事件の犯人が奴らなら、どうして市街地の方へ向かっていった?
バイクで移動してこの周辺の食料を確保しているのなら、俺よりも連中、亡者の動向に詳しいはずだ。大群が市街地に押し寄せていたのならなおさら気づかないはずがない。
奴らは何をしているんだ……?
結局答えは出ないままで煙草を五本消費したところでまぶたが降り始めたので眠りにつくことにした。
地面が揺さぶられて目が覚める。地震だと思ってしばらく揺れに身を任せていたが揺れが一向に収まらないので体を起こす。
窓を挟んだ向こうで口を大きく開けた亡者が車の窓を叩いている。
「……ッ!!」
フロントガラスに血の滴る手をべたべたと付ける子供の姿の亡者、ひたすらに俺を睨みながら額をこすりつける若い女性の亡者。そのほかにも数体。いつの間にか俺は囲まれていたらしい。
「クソッ!!なんだって、昨日は周りに誰もいなかっただろうが!!!」
昨日までは確かに亡者もいない安全な場所だった。こいつらはいったいどっから湧いて出てきた……?
「……あいつらか」
昨晩聞いた爆音の排気音を思い出す。あいつらがここまで誘導したのだ。今度見かけたらぶっ殺してやる。と固い決意を抱いたのはいいが、今の状況をなんとかしないとこっちがぶっ殺されかねない。
車を数体の亡者に囲まれている。通りにもまだ気づいてない連中が数体。気づかれるその前にどうにか脱出したい。数は少ない方がいいに決まっている。
「まぁ、考えるよりやれってこったな」
運転席に移動して木刀の柄で窓をコツコツと叩く。その音に反応して近くにいた作業服の男が運転席のドアを激しく叩き始めた。威嚇のつもりか、窓の向こうの俺に食らいついているつもりなのか、口を血で真っ赤にして窓に噛みついている。
少しだけドアを開けてから、足で思い切り作業服の男ごとドアを蹴り開けた。そこからはもう考えている余裕なんてない。文字通りの正面突破だ。
「おらあああああああ!!!」
道を遮る連中の頭を木刀で殴りつける。連中の頭が割れたかなんて今はどうでも良かった。先日見た連中とは違い随分と列が随分まばらだったのでそのまま脇をすりぬけながら走る。
状況は確実に悪くなっていく。やはり長くここに留まるべきではなかった。はやく詩音たちを連れてこの街から出なければ。
「腹は決まったみたいだな」
詩音の家、大きめのリュックを床に置いて食料や服を詰め込む父親の姿があった。
「はい、娘の未来を考えたら……ここにいるのは間違っているような気がして」
「断ろうが引きずってでも連れて行ったぞ。……外はかなりヤバくなってる」
準備をする手を止めて俺の顔を見た。
「……それは、どういうことですか……」
「とりあえず地図を出してくれないか。まだどこに逃げるかも決めていない。さっさと決めてさっさと出るぞ」
「方角は……西か北か……ですよね。南に行けば行くほど東京から流れてきたゾンビに襲われかねない」
ドライブ用のマップを広げて指で撫でながら目的地を探す。
「西だな……。市街地からできるだけ遠く離れたい」
「……そういえば外がまずいことになってるっていうのは……」
「・・市街地に向けて大量の連中が流れてきた。おそらく先日言ったイカれた生存者の誘導だろう。昨日爆音でバイクを乗り回してやがった。……なんのためだかは知らねぇが、おかげで連中がこの街に続々と集まってきている。だから出るなら出るでとっとと目的地を決めちまって出発した方がいい」
「…………」
眉間にしわを寄せたまま地図を眺めながら指で市街地の周りをなぞりはじめた。
「バイクで……誘導か……。それはどの方角からとかは分かりますか」
「……西から市街地に向けてだ」
「……西は郊外で人も少ない。その人たちも僕たちと同じように西へと向かっていったはずです。おそらくすでに拠点にし終えた後だ」
「……ならなんで奴らは……」
「……この街がいらなくなった。僕たちと同じように。この町に残っていた食料も尽きて、もともと市街地は安全とは言い難い街だった。出るしかなかった」
地図を閉じてリュックに詰め込む。
「待てよ、それじゃ説明がつかねぇだろ」
「安全な西に拠点を置いて、目ぼしいものも無くなった街を捨てた。彼らは西でさらに安全に暮らしたい。……そうするためにはどうすると思いますか」
「……だから連中を誘導したのか」
「この街は彼らにとってごみ箱も同然です。臭いものには蓋の理論で亡者をすべてこの街におびき寄せている。……手遅れになる前にこの街を出るしかない。……詩音、準備はできたか?」
「うん。大事なのは全部」
リュックを背負って立ち上がる父親に向けて一つ尋ねる。なんとなくこの呼び方は嫌だった。
「そういやまだ名前を聞いてなかったな。俺は秋津康弘。どっちで呼んでくれてもいい」
「……そういえばそうでしたね。僕は早川宗太。僕もなんとでも呼んでくれて大丈夫です」
「早川詩音!六歳!」
手のひらと人差し指で六を作って元気に自己紹介する詩音。
「うーし、よく言えたな。……さぁ宗太。ぼやぼやしてる暇はねぇぞ。連中に取り囲まれる前に西へ向かうぞ」




