第十一話「街を往く者たち」
ここ数日まともに眠れていない。
車のシートをすべて倒して衣料品店から拝借した毛布にくるまる。
今日も歩き通しでコンビニやスーパー、個人が経営していたような店を周った。後者はそれなりの収穫もあったが、前者は散々な結果だった。
「この場に留まるのはそろそろきついかもしれないな……」
先日見たさらし首は今日行ったスーパーでも見かけた。
色の悪くなったキャベツの隣に青い顔を真っ黒な血で濡らした生首、冷凍庫で氷漬けにされ霜の降りていた首。誰かが意図的に死体で遊んでいる。そうとしか思えないような光景。
暴徒か、逃げ出した囚人か、やったのが誰にせよ、危険な奴だということは分かる。
未だ家に留まる詩音たち二人の身を案じつつ眠りについた。
夜の冷たい風を浴びながら故郷の開けた田舎の広い通りを相棒のナナハンにまたがって後続の悪ガキどもと走る。田舎の道は広くてひたすらまっすぐで、道行く車両も俺たちしかいない格好の暴走道路だった。
あの頃の俺は本気で風になれると思っていた。速くなればなるほど爆音の排気音とともに、この地で夜に吹きさらす風になれると信じていた。
毎晩のごとく警察に追いかけられてはいたが、そんなものじゃ俺たちは止められなかった。
点々と続く小さな電灯のその先へ、夜の帳のその先へ。
夜に響き渡る爆音が耳元に届く。センチメンタリズムだとかノスタルジーだとか簡単な横文字じゃ表せない想いが胸を締め付けていた。
飛び起きた先に広がったのは明けない夜の暗い闇。
酷く生々しい排気音がいつまでも耳に残って離れない。
「……夢だよな」
毛布をはいで、キョロキョロと辺りを見回したが相変わらず静けさに満ちた田舎の風景がそこにあるだけだった。
「よ」
「や」
この前と同じポーズをとって詩音が再び父親を起こしに行く。
ふすまの向こうから父親が出てきた。今日は寝間着ではなく、シャツとジーパンを身に着けていた。
「今日も持ってきたぞ。……まぁ前の時より随分少ねぇが」
「……すいません。本当にありがとうございます」
「いいって。他にすることがねぇんだ」
「……あの、今日は上がっていってください」
「いいのか?」
「ええ、もちろん……というかここまでしてもらってるのに今まで家に上げることもしなかった自分が恥ずかしい限りです」
どうぞと促されて、奥へと向かう。
「……ヤスヒロが家に来た!!」
「おう、お邪魔するぜ」
喜びの表現をどうしたらいいのか分からずに畳の上をくるくるとまわったあと、俺の腹めがけて飛び込んできた。
「どーん!!!」
「うおっ、強ぇな」
「こら、詩音何やってるんだ」
奥からお茶を持ってきた父親が詩音を叱る。
「まぁまぁ、ガキの時はこれくらい元気な方がいい」
「元気すぎて手を焼いてます。はい、お茶です。少し熱いので気をつけて」
「ああ、すまんな」
父親が向かい側に座る。詩音は親父の横でやたらかしこまって座っていた。別に大事な話をするわけでもないのだが、大人の一員として扱ってもらいたいのだろうか。その姿がなんとなく昔の自分と照らし合わさった。
「あの……本当に色々とありがとうございます……。この前はあんな酷いことを言って申し訳なかったです」
「別に気にするなって。ましてこんな状況だ。一児を守る父親なら当然のことだろうよ。子供の前だし、もう謝るな」
「はい……」
「……それで、実はあんたに色々と話しておかなきゃならんことがある。今から話すこと、よく考えてくれ」
父親は頷くと詩音の肩を寄せた。
「……ここ数日いろいろと店を周った。最初のうちは食料があったんだがここ数日で一気に誰かに持ち去られてるらしい。ここいら一帯はもう駄目だ。俺もできれば食料を持ってきてやりたいんだが、無いものは分けてやれねぇ。とどのつまりここから出る必要があるってこった」
「ここから……出る……?この家からですか」
「ああ、もちろん外は危険かもしれねぇが数日外で歩き回っていた俺がこの通りだ。どういうわけかあまり連中を見かけない。連中のことは心配いらないだろう」
「それはなによりです」
「だが、別の、というか……とにかくここら一帯に歩く死体がいない代わりにどうしようもない気の狂った人間がいるらしい。死体をもてあそぶような人間がな。見たことはないがおそらく食料を根こそぎ取っていくのもこいつの仕業だろう……生きてる人間の方が怖いとはよく言ったもんだ」
「その人が危険かもしれない……ということですよね」
「……まぁ見たことはないから何とも言えないな。ただ生き延びるためってならまだしもそいつは……」
詩音の方を見る。分かって聞いてるのかそうでないのか、詩音は俺と父親を交互に見ていた。
「……とにかく、警戒しておく必要はある。ここいら一帯を抜け出して別の場所に身を寄せるのが一番だろう」
父親は目の前のお茶から漂う湯気を見つめながら考えあぐねている様だった。
「……まぁ、難しい決断だよな。確かにここは今安全だが、食料はすぐに尽きる。外に出ればそれだけ危険に曝されはするが、一応俺もついている。……まぁよく考えといてくれ。また明日来るから」
詩音の家を後にして再び車へと戻る。もうふらふらと店に立ち寄って食料確保は期待できそうにもない。
時計は見ていないが日が少し西に傾いたころ、いつもの車の近くまでやってきた。大通りに出る前に遠くから異音が聞こえたので狭い通りのブロック塀に隠れて通りを覗く。
「……なんだよあれ」
自分から百メートルほど先に進んだところ、広い通りに横いっぱいになって大量の連中が列をなして進んでいた。
百メートル離れていても足音が大きく聞こえるくらいの量だ。うめき声も街に響き渡る。あんな数どっから湧いて出てきたんだ……。
すぐさまその場を離れてしばらく車には戻らずに歩き続けた。
……この街で何が起こっている?
膨れていく疑問に頭を悩ませながら、どうか連中の大群と鉢合わせないようにと願いながら暮れ行く街を歩き続けた。




