誘惑士戦第一ラウンド
誘惑士になり、その職業を育てる。
その言葉に、その言葉の意味に、俺とハルはキャロが無理をしているんじゃないかと思った。
唯一、誘惑士について知らないマリーナが首をかしげて訊ねた。
恐らく、マスクの下の表情は、怪訝な顔になっているのだろう。
「イチノよ。ゆーわくしとはなんだ?」
「ん? あぁ、その話はまた後でな」
キャロにとって、誘惑士とはトラウマでしかないはずだ。
どんなメリットがあって、どんなデメリットがあるのか、キャロの前で話すのは躊躇われた。
だが、キャロは静かに首を振り、
「いえ……マリーナさんにも聞いてほしいです。誘惑士と言うのは――」
キャロは自分の職業について話しはじめた。
誘惑士について。
誘惑士のメリット、そしてデメリット。
自分をどれだけの人間が利用し、そしてキャロがどれだけ嫌な思いをしたのかを。
キャロにとっての一番の被害は、自分の能力のせいで自分以外の誰か――例えば両親が傷つくことだった。
いつもは調子に乗っているマリーナも、流石にその話を静かに聞いていた。
最後に、今は誘惑士ではなくなったことについては、少しぼかして話した。
俺が彼女の職業を変更したことについては言わないほうがいいと思ったんだろう。
「でも、どうして急に誘惑士を育てたいなんて思ったんだ?」
「マリーナさんが言っていたんです。自分はまだこの道の可能性を見つけていないと。キャロも同じです。キャロは誘惑士の能力から目を背け続け、ずっと逃げ続けていました。もしかしたら……レベルが上がればもしかしたらこのスキルを制御できるかもしれないのに」
キャロはさらに続ける。
「それに、もしもキャロと同じ誘惑士の職業を持つ子供が今後現れたとき、キャロはその子のために残してあげたいんです。誘惑士の可能性を――」
「いいのか?」
「はい。幸い、ここは大草原の真ん中です。魔物の大移動でも巻き込まれる人はいないと思いますし、地下にいるイトミミズまでは匂いも届かないと思いますから」
「……ハル、これは俺の我儘だが、魔弓をマリーナに貸してやってくれ。マリーナのレベルが上がれば、すぐに弓装備のスキルを取得できる。それと、俺が危険だと思ったらキャロの職業を元に戻す」
「わかりました」
ハルがマリーナに風の弓を貸して、使い方を説明する。
今はまだ使うどころか装備をすることすらできていないのだが、狩人のレベルが上がってスキルを覚えればすぐに使えるようになるはずだ。
「よし……じゃあ第二職業を変更するぞ。第一職業は採取人のままでいいんだな?」
「はい」
「じゃあ、行くぞ!」
俺はキャロの第二職業を誘惑士に変更するように念じた。
……これで設定できたはずだ。
静寂が場を支配する。
俺達は風下の方角をじっと見ていた。
「何も来ないではないか」
拍子抜けだ。とでも言いたげにマリーナがまだ使えもしないのに構えていた弓を下ろす。
だが、最初に気付いたのはハルだった。
「ご主人様、来てます!」
「…………っ! こっちも捉えた! アリだー!!」
草の影になっていたのと夜のため気付くのが遅れた。
黒い蟻――野犬くらいの大きさのでかい蟻が大量にこちらに迫ってきている。
「プチアイス! プチストーン! プチダーク! プチウィンド! プチウォーター!」
雷や火の魔法は草原が燃えたら困るので使わない。光の魔法はそもそもアンデッドにしか効果がないので使わない。
氷の塊が、石礫が、闇の玉が、風の刃が、水の塊が迫りくる蟻にぶつかった。
「スラッシュ!」
「スラッシュ!」
ハルが短剣を持つ両腕、俺の何も持っていない両腕、計四本の腕から放たれた合計四本の真空波が蟻に命中する。
だが、蟻の数が減る様子はない。
「キャロ! 一度第二職業を適当に別の職業に変えるぞ!」
「は、はい!」
キャロの職業を農家に変える。
だが、だからといって蟻がいなくなるということはない。
蟻はここにいるんだ。
俺は蟻の中心に飛び込み、座りながら、
「回転切り!」
とスキル名を唱える。
俺を中心として、周囲の蟻が切り刻まれた。
「回転切り!」
ハルも俺に倣い、回転切りで蟻を切り刻んでいき、
「スラッシュ!」
10秒経過したことで再度遠くにいる蟻を二匹撃破する。
これならいけるか。
そう思った時だ。
蟻が口から何かを出そうとしている。
「マリーナ、危ない!」
俺はキャロの横にいたマリーナの前に飛び出した。
蟻から何か液体が出て、俺の背中に当たった。
軽鎧を着ているにもかかわらず、思った以上の激痛が走る。
「ご主人様!」
ハルが俺へと酸を放った蟻を倒したようだ。気配がなくなる。
「イチノ様!」
「大丈夫だ。プチヒール!」
背中にプチヒールを使う。
痛みが治まったが、鎧は大丈夫だろうか?
マーガレットさんに貰った鎧なんだが、溶けているかもしれないな。
「スラッシュ!」
敵の方へと向き、俺はスラッシュを浴びせた。
その後、残った蟻が逃げ出すまで戦いは続いた。