魔物のいない迷宮
ちょっと閑話が長めですがご了承ください。
俺とハルは、糸がない場所に下ろされた縄梯子を使い壁の上に立つと、一気に壁の上から町の中へと飛び降りた。
そして、迷宮の前まで走る。
「ハル、どうだ!?」
「ご主人様の思っていた通りです、キャロさんの匂いが迷宮の中に続いています。あと、出てきている匂いはありません、中に入ったままの可能性が高いです!」
「ぐっ、なんでだよ。迷宮の中に入ったらこうなることくらい、わかってただろうが」
彼女は、夜、もしくは光の届かない地下に行くことにより魔物を呼び寄せるフェロモンを発する。
迷宮の中とて例外ではない。
だが、一体どうやって迷宮に入ったんだ?
キャロについてはこの町ではそこそこ知られている。迷宮の見張りをしている兵が見逃すとは思えない。
「なぁ……あんた、いつからここで見張りをしていたんだ?」
「なんだ、お前等」
「キャロルがここを通らなかったか?」
「そんなガキ、迷宮には入ってないぞ」
シラを切る男。
だが、キャロルという名前の少女が子供だと知っている(本当は16歳だが)ということが一つ。
それと、俺はここを通らなかったか? と聞いたのに、「迷宮に入っていない」と言い切ったことが一つ。
キャロの特性を考えたら迷宮に入るはずもなく、目の前の大通りを通らなかったか? と聞いたと考えるのが普通のはずなのに。
怪しい、というよりこいつはキャロが誘惑士であり、迷宮の中に入ったら大変なことになるのを知っていたのに通したことは間違いないと思う。でも、何故そんなことを。
「オレゲール様と一緒だったんですね」
「…………!?」
ハルの一言に、門番の男の顔色が一気に青ざめた。確定だな、これは。
ハルの尻尾並みにわかりやすい男だ。
「あぁ、そうだよ。貴族様の命令だからな、断ったらどうなるかわからない。貴族様が言うには一瞬で地下に潜るから問題ないとのことだったが、東からウールワームの群れが襲ってきたときはヤバイと思ったよ。セバスタンという執事風の男と、キャロルの三人で迷宮に潜って行ったのは1時間ほど前だ」
「……そうか」
俺がちょうど賭場でメダルを換金して平民の経験値を稼ぎ終わって、食事をしている時間だな。それまでは迷宮に入るための準備などをしていたのだろう。
となれば、だいぶ奥まで進んでいる可能性が――いや、魔物をおびき寄せるキャロと一緒なんだ、追いつくのは容易いだろう。
「ハル、オレゲールがいるならお前はここに残ったほうが」
「いえ、ご主人様、私がいなかったらキャロさんの匂いを辿れません」
「辿らなくてもいいんだよ、地下3階層付近の階段で合流して、キャロが来たときに風の魔法で迷宮の入り口側を強制的に風上に持っていけたら、フェロモンは外には洩れないだろ?」
「……この迷宮は地下に続く階段が複数個所あるから、すれ違う可能性もあるぞ」
迷宮を守っていた兵が俺にそう伝えた。
フロアランスの初心者迷宮では階段は1ヶ所しかないって言ってたからてっきりここもそうなのだと思っていたが。
「ご主人様、私は大丈夫です、急ぎましょう」
「……よし、キャロの近くまで二人で行く、そこまで行って魔物の動きさえわかればキャロの居場所もわかるだろ……それでいいな」
「かしこまりました」
そして、俺達は迷宮の中に入って行った。
迷宮の中は土色の壁に薄っすら光る天井――フロアランスにあるそれとあまり変わらない造りだったが、分かれ道が初心者迷宮よりも多い。ハルがいなければ迷子になりそうな場所だ。
だが、彼女は迷うことなく前に進む――最短ルートではないが、確実にキャロが通った道を選んでいるようだ。
5分もかからずに2階層に続く階段を見つけた。
25階層まであるという迷宮、このペースなら最長でも2時間程度で合流できそうだな。
このペースを可能にしている条件はもう一つある。
「魔物が全くいないな」
「……恐らく、付近の魔物は全てキャロさんのスキルによって引き寄せられ、セバスタンさんによって倒されたのでしょう」
「オレゲールの狙いはレベル上げだな……貴族ってどんな職業なんだ?」
「聖騎士や聖魔導士といった最上級職に転職できる職業だと聞いたことがあります。ただし、聖騎士になるには騎士のレベルを50に、聖魔導士になるには魔導士のレベルを50にし、かつ貴族であることが条件だとか」
それはなるのが厳しい職業なんだな。しかも、貴族は生まれながらに見習い剣士、見習い魔術師にも転職できるそうだ。
平民のレベルを上げることなく転職ができるのはかなりの特権らしい。
だが、俺の中で貴族の上位職といったら、そういうものではなく、
「王族には転職できないのか」
そう思ってしまった。素人考えだが、貴族が王族にランクアップする。
もっといえば、男爵、子爵、伯爵、侯爵、公爵と貴族の職業を上げていき、王族になって、国王、帝王みたいに職業を変えていくのだと思っていた。まぁ、それは男爵の息子のオレゲールの職業が【貴族】だったことで、男爵と子爵の間に職業の違いはないんだろうな、って思ったが。俺のこの呟きに、ハルは顔をしかめた。
「ご主人様、女神様に認められた者以外、王族は生まれながらに王族です、貴族であろうと王族への転職など不可能ですし、今の話を外で言って誰かに聞かれたら不敬罪で処罰されますよ」
「……そうなのか」
それは怖い……話しただけで不敬罪か。
貴族は生まれながらに貴族らしいし、貧富の格差、身分の差は埋まらない社会なんだな。
さらに、貴族にしか転職ができない職業に、上級裁判官や上級政務官といった法と行政を司る職業も存在し、ますます貴族優位の世界なのだと思い知らされる。
……でも、何か妙なんだよな。貴族が作ったルールだというのなら、貴族が優位すぎるこの仕組みは納得できるんだけど、この職業の仕組みを作ったのは人ではなく、上位の存在――おそらくは女神達なんだよな?
なんでそこまで貴族に肩入れするのか、俺にはわからない。
正直、あのオレゲールを見ていると、貴族というのは偉そうではあるが偉いとは思えない。
特別な人格者というわけでもなければ、特別に強いというわけでもないと思う。
特別に強いというのなら、ハルの身請けを待たず、自分でハルに勝負を申し込み、勝てばよかったんだから。
……あれ?
ふとここで疑問が浮かんだ。
「そういえば、オレゲールはハルのことを買おうとしていたんだよな?」
「……はい、そうですが」
「じゃあ、なんでオレゲールは、代理を立てなかったんだ? 代理の人間にハルと戦わせて、その代理がハルに勝ったあとでハルの主人である権利を代理の人間から譲り受ける形にしたら、あいつはハルの主人になれたんじゃないのか? 貴族ならそのくらいできると思うんだが」
ハルは確かに強いが、それでも、人外の強さを持っているというわけではない。そのくらい貴族の力があれば訳なかったんだと思うが。
まぁ、男爵の力が俺の想像よりもないのなら話は別だが。男爵って貴族の爵位の中では一番下っぽいし。
「……それは……すみません、考えたこともありませんでした」
「そっか……オレゲール本人が気付かなかっただけ……ということかな」
あいつが気付かなくても、横にいるセバスタンが気付きそうなものだが。
それとも、そこまでハルのことを気にかけていなかったのか。
だとしたら、もうハルの顔も忘れているのではないか? たまたま気まぐれでハルを買おうとしているだけで、今はもうそんなことも忘れているのに周りが騒いでいるだけだったとか?
「それならそれに越したことはないんだが……ハル、匂いはまだ先か?」
10階層の階段を下っていき、俺達は11階層にまでたどり着いた。
だが、魔物はまだ1匹も出てこない。
「はい、まだ先です……24階層まで行っていなければいいのですが」
「24階層に何かあるのか?」
「聞いた話によりますと、24階層の魔物はミノタウロスなんです。また、マップが広い代わりに、魔物が湧く間隔がとても短く、またHPも高い魔物ですから倒すのに時間がかかります」
「そういうことか、1匹や2匹に出くわすのなら別にいいんだが、その階層にいる全てのミノタウロスに向かってこられたら困るってわけか」
「はい、急ぎましょう!」
……オレゲールが生きようが死のうが俺にはどうでもいい。
だが、あいつが死ぬことでキャロが悲しむのはやっぱり間違っている。
自らの死を望んだ彼女の目を思い出し、俺は足を前に突き動かした。
~閑話~
「……おはよぉ、エリーズ。いい朝だな」
「……おはよぉ、ジョフレ、いい朝だね」
昼の13時。決して朝とはいえない時間に、二人は目を覚ました。
「それにしてもよく寝たな」
「良く寝たね……キノコを食べたらすぐに眠くなったね」
二人は、未発見の迷宮に、二本のキノコが生えていたのを発見し、ケンタウロスが食べていた草と一緒に食べた。
そのキノコが猛毒キノコだと知らない二人だったが、一緒に食べていた草が毒消し草だとも知らない二人。
結果、奇跡的に毒にもならず、胃の中に栄養を補給することに成功していた。
だが、猛毒キノコの中にある睡眠を促す成分だけは毒消し草でも中和できずに眠ってしまったというわけだ。
ちなみに、その毒消し草はもう残っていない。ケンタウロスが全て食べてしまった。
「なぁ、エリーズ、僕は昨日から気になっていたんだが、この剣――の後ろに書いてある文字なんだが」
「あ、本当だ。白い字で書いてあるね」
【この剣は邪悪な者を封じるための剣、決して触れるべからず。決して引き抜くべからず】
そう書いてあった。
識字率が決して高くないこの世界だが、二人は文字をきっちりと読むことができるらしく、あれこれ考えだす。
「邪悪な者ってなんだろうな?」
「んー、悪魔とか?」
「悪魔が封印されているのか……封印って閉じ込められてるってことだよな?」
「剣の中に悪魔がいるの?」
「そりゃ狭そうだ。僕も昔、物置に閉じ込められたことがあるが、あれは二度と御免だな」
「じゃあ、悪魔、かわいそうね」
……二人は頷きあった。
二人が考えているのは、可哀そうな悪魔の救出だった。
「じゃあ、抜くか――」
「ジョフレ、気を付けてね」
「任せておけって! 悪魔が出て来てもちゃんと挨拶くらいできるさ!」
「わ、わたしのドレス、少し汚れちゃってるけど悪魔に怒られないかな?」
「大丈夫だろ、エリーズは何を着ても美人だからな」
「ジョフレだって何を着てもいけてるわ」
いつもの通り愛し合う二人だが、先に可哀そうな悪魔を助けることを優先的にすることにした。
埃のつもった剣だが、ジョフレはその柄を握り、引き抜こうとした。
だが、表面の埃がジョフレに握られたときに舞い上がり、彼の鼻を刺激。
「は……は……はっくしょん!」
くしゃみと同時に剣を台座へと押し込んだ。
その時だった。
文字の書かれていた壁が二つに割れ、奥に小部屋が出現した。
「なんだ?」
ジョフレは剣から手を離し、開いた壁の向こうに置かれていた二つの物を見る。
一つは鞄だった。
「ジョフレ、これ、アイテムバッグだよ」
「マジか! 激レアアイテムじゃないかっ! しかも未使用品のようだな、ほら、玉が入るぜ」
「え? あ、私の物は入れられない」
アイテムバッグの横に置かれていたガラス玉をアイテムバッグの中に入れて喜ぶジョフレと、自分が持っていた鞭を入れようとしてアイテムバッグに弾かれて残念そうにするエリーズ。アイテムバッグを未使用のまま売りに出せば大儲けできたことなど微塵も考えていない。
「エリーズ、別にいいじゃないか。僕のものはエリーズのもの。二人で一緒に使えばいいんだから」
「そうね、ジョフレ。私が間違っていたわ」
そして、二人は「それより」と剣を見た。
可哀そうな悪魔を助けないといけない。
そういう思いから、ジョフレは再度剣の柄を掴んだ。
「じゃあ行くぞ、エリーズ!」
「ええ、ジョフレ!」
そして、ジョフレが剣を抜こうとしたら――床が消えた。
「「え?」」
次の瞬間、ジョフレ、エリーズ、ケンタウロスの二人と一頭は奈落の底へと落ちて言った。
ジョフレは無意識に正解にたどり着き、そして最終的にはハズレを引いたというわけだ。
10秒後、迷宮には台座と剣だけが残った。
だが、この迷宮の役目はもう終えている。邪悪な者の封印は既に解かれてしまった。