冒険者始めました その3
迷宮の十一階層――そこにあったのは、街だった。
迷宮の中なので建物はないけれど、その代わり、部屋がそのまま店や宿になっている。
前に、山賊たちが迷宮の中に住みついていたのを見たことがあるけれど、まさかな。
「凄いだろ? この迷宮は十一階層、四十一階層、七十一階層には魔物が出ないうえに、飲み水が湧き出るポイントがあって、昔から迷宮攻略を生業とする冒険者が拠点にして活動していたんだ」
「それで、いつの間にか冒険者がいろいろと持ち込んで、宿屋、食堂、鍛冶屋なんかもできるようになったそうです」
「……ただ、どれも迷宮の外と比べると割高らしいです」
へぇ、そういう仕組みなのか。
ミリにそれとなく尋ねてみたが、彼女も知らなかったらしい。
まぁ、ミリが前世で活動の拠点にしていたのは南大陸だから、北大陸の事情なんて知らないよな。
「でも、迷宮って物とか置いておくと迷宮に吸収されるんだろ? そんなところでよく生活できるな?」
「それなら心配ないさ。あんな風に魔法の布の上に置いておくと、何故か物が吸収されないんだ」
ルートが青い布を指さす。その布の上には露店があり、そこでは肉が焼かれていた。
迷宮の中、この美味そうな匂いはたまらない。
ナターシャが言っていたように、肉の値段は外で買うより少し割高だったし、肉なら十分アイテムバッグの中に入っているので今回は買わなかった。
「でも、この布ってどういう仕組みなんだ?」
そう言えば、フロアランスの山賊たちのアジトに置いてあった荷物の底にも、あの魔法の布のような物が貼りつけてあった気がするが。
「仕組みは単純ですよ」
突然現れたのはキャロだった。
「って、え? なんでキャロがここにいるんだ?」
「この街に商品を卸しに来たんです。冒険者専用の迷宮ですが、物資搬入を行う戦闘可能な行商人は特別に立ち入りが許可されますから」
そんな抜け道があったのか。
ただ、行商人だと十二階層より下には立ち入ることが許されないそうだ。
「イチノジョウさん、彼女は?」
「彼女は行商人のキャロルで――」
「イチノ様の妻です」
「ということだ」
それを聞いたルートたちは、もう一人の妻であるハルとキャロを見て、複雑な関係なんだと勝手に思っている? いや、それより、俺をどこか軽蔑した目で見ている気がする。
この国って一夫一妻制の国なのか?
「あ、三人とも。キャロはこれでも皆さんより年上ですよ?」
「「「え?」」」
ルートたちは驚き目を見開く。
あ、そっちか。
どうやら、ルート達は妻が二人いることではなく、自分たちより幼い女性を妻と呼ぶことに対して嫌悪感を持っていたようだ。
この北大陸には小人族は少ないらしいから、そんな勘違いが起きるのも仕方がないか。
「でも、キャロもここに来るなら、一緒に迷宮に来ればよかったのに」
「そうしたいのはやまやまだったのですが、今回の仕事は今日一日で迷宮を何往復もする仕事なので、極力魔物を避けての移動になるんですよ。そうすると、純粋に迷宮攻略を楽しむのは難しいですから」
「何往復って、アイテムバッグを使えば一往復で可能なんじゃ?」
「アイテムバッグでは運べない物もあるんです」
そういえば、キャロの奴、背中に大きな荷物を背負っている。
それを見ると、魔法の布だった。
「魔法の布か……でも、それこそアイテムバッグで運べば――」
「ああ、そういうことね。おにい、これはスライムよ」
『え?』
魔法の布の正体を知らない俺、ハル、ラインたち五人は思わず声を上げた。
「スライムの死体を布に加工してるのか?」
「死体じゃなくて、仮死状態ね。スライムは水分を失うと乾眠っていって仮死状態のまま眠りにつく性質があるの。たぶん、その乾燥させたスライムに防水加工を施しているのが魔法の布の正体ってわけ」
「お見事です、ミリさん。仮死状態とはいえ一応生きているスライムですから、迷宮に吸収されることはありません。多少乗っかる程度では核が潰れることもありませんので、ベッド等の下にもこのスライムが貼られています。ハサミで切って大きさを調整できないのが難点と言えば難点ですね。あと、死んでいないのでアイテムバッグに入れることができないのも」
なるほど、キャロが運んでいるのはこのスライム布ってわけか。
「では、イチノ様、失礼します! また後で!」
キャロはそう言うと、軽快に走っていった。
本当によく働く妻だ。
でも、最後の発言はちょっと危なくないか?
ルートたちは気付いていないみたいだけど。
「で……夕飯はどうする? 食堂に行くか、アイテムバッグの中にあるご飯を分けるか」
『イチノジョウさんのご飯!』
だよな、うん。
興味はあるけど、新鮮な野菜とかないから、味は絶対こっちの方がいいに決まってる。
ということで、俺たちは食事ができる場所――飲み物さえ頼めば、食事の持ち込み自由な酒場に行き、全員で飯を食べることにした。
ナターシャは先に果実水を注文したが、それ以外はエールを注文した。
「私もエールを――」
「ダメだ、お前は果実水だ」
「え? でも果実水ってエールの三倍くらいの値段なんだけど」
「お前はこっちの世界でもまだ未成年だろうが。それとも湯冷ましの水にするか?」
「ちぇ、果実水でいいわよ」
ミリの奴が実は酒好きなのは、日本にいたころから知っている。
というのも、両親が死んだあと、誰も飲む人間がいなくなって放置していた日本酒が、いつの間にか半分以下になっていた。
ミリは蒸発したんじゃない? って誤魔化したが、多分こいつが飲んでいたということはおおよそ見当がついていた。
それに、いまでも隠れてマイワールドの日本酒とかワインとか勝手に飲んでるって報告も受けている。
ただ、俺と一緒にいる間はアルコール類は飲ませない、これは最低限のルールだ。
エールが運ばれてくる前に、アイテムバッグから料理を取りだす。
さっきはフィッシュバーガーだったから、今回は焼きたて(を保存した)の二種類のピザを振舞うことにした。
スーギューの乳から作ったチーズはピザによく合うからな。
「なにこれ、めっちゃうまい! この黄色いつぶつぶと白いソースがめっちゃうまい」
「トマトソースのピザも美味しい」
「……本当に不思議な料理ばっかり。とても美味しいです」
ルートはマヨコーンピザ、ラインはトマトソースのピザが、ナターシャはたぶんどっちも同じ位気に入ったようだ。
それを見ていた周りの客がゴクリと喉を鳴らす。
大声で言うから。
「なぁ、兄ちゃん。俺にもその薄パン、少し分けてくれねぇか? 代わりにこの干し貝やるからよ」
「俺も俺も! 三センスで一枚分けてくれよ」
「俺はタダで分けてくれ!」
やっぱりそうなるよな。
「いいぞ、ピザならまだあるから」
俺はそう言って、空いているテーブルに同じくトマトソースとマヨコーンのピザを置いた。
「儂ももらっていいか?」
エールを置いた店主がそう尋ねたので、勿論了承した。
キャロだったら、そこですかさず値引き交渉に持ち込むんだろうけれどな。
まぁ、こういう雰囲気は嫌いじゃないし、いいか。
ハルも上機嫌そうに尻尾を振っている。
「ご主人様――最近尻尾を触る回数減ってきましたよね?」
「え?」
俺がハルの尻尾を見ていたことに気付いたのか、彼女はそんなことを言ってきた。
「ご主人様は私の尻尾に飽きたのでしょうか?」
「いや、飽きたってわけじゃない。むしろ好きというか――」
「私、感情が尻尾に出やすいのを直そうとしている途中ですが、おかげである程度尻尾を操れるようになったのです」
ハルはそう言うと、隣の席から俺の太ももを撫でた。
尻尾で。
うそ、尻尾ってこんな使い道があったの?
よく、ああいう動画で筆を使ったあれがあるけれど、これはきっとそれ以上の――いや、その体験は俺も知らないんだが――
「――くぅ」
あ、寝た。
彼女が酔っ払っているのは気付いていたが、尻尾が気持ち良すぎて止められなかった。
「悪い、ハルを部屋に運ぶから俺たちは先に出るよ」
まだほとんど飯も食べていないが、とりあえず人数分の飲み物の代金を置いて、俺たちは宿に戻ることにした。
俺に背負われているハルの重みを感じながら――今晩、マイワールドに戻ったらさっそく尻尾で頼んでみようと心に決めたのだった。
店を出るとき、ラインとルートがポツリと呟いたのが聞こえる。
『夫婦ってすげぇ』
いや、こいつら夫婦になる前からこんなんです




