勇者を変えた者たち
(俺は……負けたのか)
目を覚ましたとき、アレッシオはすでに悟っていた。
イチノジョウは魔神との戦いに勝利し、世界は平和に向かって歩みを進めた。
それはアレッシオにとって、世界には勇者の力が必要のない証明となってしまった。
(僕はこれからどうすればいいのかな?)
勇者として生まれ、勇者として育ち、勇者として戦ってきた彼にとって、それは自分という存在の否定でもあった。
(このままここで死んでもいいかな)
もしもこのまま動けなかったら、魔物に食べられて死ぬ。
そうでなくても飢えて死ぬ。
どうせ死ぬなら、魔王と戦って死にたいと思っていたが、しかしそれはもう叶わないだろう。魔王軍を取りまとめていた魔王は、邪魔になりそうだったから先に倒してしまった。
魔王の力を持つイチノジョウも、ファミリスの生まれ変わりであるミリも、自分を殺してはくれないだろう。
(なら、次点の魔物に食べられる方で……)
とアレッシオが思ったとき、
「うわっ」
自分の上に生暖かい涎が垂れてきて、アレッシオは思わず起き上がった。
食べられたいとは思っていても涎をかけられるのは嫌だった。
「って、え?」
そこにいたのは、狂暴な魔物ではなかった。
涎を垂らした主は、のんびりとした様子のスロウドンキー、そして一緒にいるのは赤い髪の男と青い髪の女のふたり組だった。
スロウドンキーは知っている。
メティアスを封印し、彼女の人形であるミレミアがアレッシオのところに届けてくれた聖獣だ。
だが、冒険者ふたりは見覚えが……
(あれ? このふたりってどこかで見たような……)
見覚えがないと思ったが、どこかで昔見たような気がする。
彼は必死に考え、思い出した。
かつて、魔王から苦しんでいる人々を救うため、世界中を回っているとき、どこかの町で案内してもらった少年と少女に似ていることを。
あれは十年以上前の話なので、いまならこのくらいにまで成長してもおかしくはない。
本人である可能性も高いが、名前も覚えていないし、どこで会ったのかも覚えていないから確認のしようがない。
「目を覚ましたんだな、兄ちゃん! 俺はジョフレだ。兄ちゃんの名前は?」
「はじめまして、お兄さん。私はエリーズ。お兄さんの名前は?」
自分のことを知らないということは、イチノジョウたちの知り合いじゃないのか?
「僕は……」
アレッシオは名乗ろうとして、
「シオだ」
とよく使っていた偽名を使った
勇者であることを知られたくなかった。
勇者が負けたことを知られたくなかった。
「そうか、シオか。シンプルな名前でいいな!」
「うん、シンプルイズザベストだね!」
「じゃあ、家に帰ろうぜ! 俺は腹が減ったよ。モーニングサービスに腸詰めを付けて食べたいくらいだぜ」
「うん、お家に帰ろ! あ、早くいかないと食堂のモーニングサービス終わっちゃうよ!」
「なに! それは一大事だ! 急いで戻らないと」
ジョフレはそう言って気付いた。
アレッシオが立ち上がろうとしないことにね。
「シオ、どうしたんだ? おなかが痛いのか?」
「え? 大変、おなかが痛いときは梅干しをこめかみに当てたらいいんだよ」
ダイジロウから聞いたことがあるけど、それは頭が痛いときの治療法じゃないか? とアレッシオは思った。
さらに、梅干しは西大陸では手に入らない。
「いや、お腹は痛くない。ただ、疲れたんだよ。魔物と戦うことに」
だから死なせてほしい――そう言おうとしたが、それを聞いたジョフレとエリーズはなぜか笑顔になってアレッシオに言った。
「なんだ、俺たちと同じだな! 俺たちも、ついさっきまで大量の魔物と戦ってきたんだぜ! 千匹は剣で切り裂いたな。疲れたぜ」
「うん、私も大量の魔物と戦ってきたの! 千匹は鞭で懲らしめたから疲れたよ!」
そこまで強そうには見えないが、しかし魔物の溢れる迷宮の最下層まで来たというのは事実だ。
もしかしたら、自分にはわからない実力がこのふたりにはあるのかもしれないとアレッシオは思った。
「そうか、君たちは冒険者なのか。なら、君たちに聞きたいことがある。とある冒険者が世界のために戦った。でも、世界中の人は世界が平和になったとたん、その冒険者に感謝しなくなった。もしも君たちがその冒険者の立場だったらどう思う?」
突拍子のない質問にジョフレとエリーズは不思議な顔もせずに考え込む。
ジョフレとエリーズのアイテムバッグを勝手に開けて、中に入っている野菜を食べるケンタウロスの咀嚼音だけが部屋に聞こえてきた。
そして、ジョフレとエリーズは答えを出す。
「だれにも感謝されないのは寂しいな」
「だれにも感謝されないのは寂しいね」
やはりそうだとアレッシオは思った。
人間、自分の行いを誰にも理解してもらえないことほど辛い物はない。
人は誰かに賞賛され、初めて達成感を得られる。
それは勇者でも同じことだと。
しかし、その考えを、ジョフレとエリーズはいとも簡単に覆した。
「だって、俺が頑張ればエリーズがいつも見てくれているから。その冒険者には認めてくれる仲間はいなかったのか?」
「だって、私が頑張ればいつもジョフレが見てくれているから。その冒険者には一緒に喜び合える友達はいなかったのかな?」
そう言われて、アレッシオは思い出す。
自分がなにをしても、どんなことをしても側で見ていてくれた仲間がすぐ側にいたことを。
だが今は――
「今、その冒険者には……」
誰もいない――そう言おうとして、
「その冒険者には、結局、その冒険者を見捨てられず、こうして地獄の底までついてきちまうバカな仲間がいるよ。よぉ、ええと、シオだったか?」
突然現れたハッグを前にして、何も言えなくなった。
アレッシオはハッグの肩を借りて立ちあがる。
「待たせたな。ったく、派手にやられやがって」
「いいや、ちょうどいま会いたいと思ったところだよ。やられたのはお互い様だろ」
そして、アレッシオは言う。
「もう大丈夫なのか? シオ。よかったら町まで送っていくぞ」
「モーニングサービスもご馳走するよ?」
「お前ら、町は非常事態だからモーニングサービスなんてないぞ」
ハッグが呆れたように言った。
町は配給制が続いていて、食堂の大半は休業中だ。
ジョフレとエリーズは、魔物発生事件が解決したから、もう店が開いていると思っていたようだが、事件が解決したからといって、すぐに店が開くわけではない。
「そっか……なら、肉でも焼いて食うか」
「魔竜の肉だね。山ほどあるからね」
魔竜の肉と聞いて、ハッグは驚く。
凄腕の冒険者でも滅多なことでは相手にしたくない魔竜を、このふたりは大量に狩ったのかと。それなら、こんな魔物だらけの迷宮の最下層までたどり着けたことに納得できる。
実際は肉をイチノジョウからもらっただけだが。
「世の中はわからねぇな。ほら、帰るぞ、シオ」
ハッグはそう言って、転移札を取り出した。
「ああ。そうだ、ジョフレとエリーズだったね。僕たちはこれから北大陸のクッサという温泉の有名な町にしばらく滞在するつもりなんだけど、もしも冒険がしたいなら来なよ。君たちなら歓迎するよ」
「そうか! ああ! その時は是非頼むよ!」
「旅は道連れ世は情けだね!」
ふたりの言葉に、それってどこのことわざだっけ? と思ったが、アレッシオが気付いたときは王都近くの展望台にいた。
「それで、これからどうするんだ? 本気で俺と温泉旅行に行くつもりか? 勇者様が湯治旅行なんてしていいのか?」
「いいや、ハッグ。魔王に負けた今、僕はもう勇者を名乗るのを辞めるよ。そうだね」
アレッシオは朝日に照らされる王都を見下ろして言った。
「しばらくは無職として、のんびりしてみようかなって思うよ。そうすれば、少しは世界も違って見えるかもしれないからね」
それを聞いて、ハッグは小さく笑ったのだった。
「勇者が無職とか、世界はそんなに平和だったかねぇ」




