真里菜の決意
ダークエルフたちは先にマイワールドに帰ってもらうことにした。
さっきの地震のせいで王都の衛兵がここまで駆けつけることになれば、ダークエルフたちが生きていることが世間にバレることになってしまうから。
「ていうか、ミリは女神たちと一緒に行かなくていいのか? お前も女神になったんだろ?」
「あぁ、それは大丈夫。私が女神になるとき、ちょっとだけ契約したから」
ちょっとだけ契約?
それってなんの契約だ? と思ったときだった。
「イチノジョウ!」
背後から俺の名を呼ぶ声が聞こえた。
と同時に体の中から力が抜ける。
【職業:魔王が奪われた】
なん……だと?
振り返るとそこにいたのは、血走った目を浮かべるタルウィの姿だった。
その手に握られている宝石に、俺は見覚えがあった。
職奪の宝石――相手の職業を奪い、自分のものにすることができる宝石だ。
まさか、タルウィも持っていたのか。
「タルウィ、なんのつもりだ? もう戦いは終わった。魔神は女神とともに行き、世界から魔物は引いていく。俺たちを倒しても勇者の願いは――」
「アレッシオは関係ない。これは私の勝負だ。私の――」
目が血走っている。
こいつは何を言っても言うことを聞かない。
「お前が鍛えたこの魔王の力を使い、私が最強になる」
タルウィがそう言って宝石を掲げたその時だった。
彼女の背後から走ってきたケンタウロスが必死になって掴まっていたジョフレとエリーズを振り落として盛大にジャンプしながら、その職奪の宝石を丸呑みにしてしまった。
「なっ」
彼女は驚きの声をあげたまま、そのままケンタウロスによって押しつぶされた。
なにがなんだかわからない。
「ご主人様……いったいこれは?」
「ハル、気付いたのか」
「私が気を失った後、何があったのですか?」
「ええと、詳細は省くが、魔神の問題は解決し……その、ケンタウロスが魔王になった」
「え?」
ハルは驚き、ケンタウロスの方を見たが、
「吐き出せ、ケンタウロス。その宝石はこのお姉さんのだ!」
「そうだよ、ケンタウロス、あんな高そうな宝石、今の私たちじゃ弁償できないんだよ」
ケンタウロスを追いかけて来たらしいジョフレとエリーズに口を引っ張られても、暢気そうにしているだけで、特に大きな変化は見られない。
「いつもと変りないように見えますが」
そうなんだよな。
職奪の宝石って食べるだけだと効果が出ないのか?
それとも、魔物には職業が存在しないから、職奪の宝石の効果が出ないのか?
そもそも、なんで宝石を食べたんだ?
野菜と勘違いしたのか?
疑問が尽きない。
そのうち、こいつの糞として排出された職奪の宝石を手にした人間が魔王になるのだとしたら怖いから、あとで女神様に相談しよう。
「イチノ様っ!」
キャロが俺の名を呼び走ってきた。
そして、俺に飛び込むように抱き着いた
「イチノ様、ご無事でなによりです! 魔物の数が急に減り、瘴気も薄くなったので急いで駆けつけました」
「キャロ、心配かけて悪かったな。クインスさんはどうした?」
「クインス様なら、疲れたから先に帰っているそうです。オレゲール様のお屋敷でお待ちになっているはずです。瘴気を抜くために、暫くは普通の生活に戻れないそうですが」
キャロは残念そうに言った。
「あ、でも、キャロとイチノ様の結婚式には出席してくださるそうです!」
突然の発言に俺は思わず噴き出しそうになる。
本当にキャロはこういうところでもグイグイくるな。
そろそろ婚約指輪の用意をしないといけない。
「楠さん、もう終わったのですか?」
真里菜が来た。
カノンは真里菜の肩を借りてなんとか立っているという状況だ。
「真里菜が勝ったのか?」
「これはただの姉妹喧嘩みたいなものさ。仲直りしただけで、勝ちも負けもないよ」
カノンが負け惜しみのように言うが、真里菜は笑顔で頷いた。
「ジョフレ、エリーズ、悪いがそこにいるふたり……タルウィはどこにいった?」
「あれ? そういえば、宝石を持ってた姉ちゃんがどこにもいないな」
「そういえば、あの人って前に魔王竜退治を一緒に手伝ってくれた人だよね」
気付けば、タルウィの姿はどこにもなかった。
もしかしてケンタウロスに食べられて……はないよな。
ひとりで逃げたのか。
まぁ、今のあいつの力では何もできないだろう。
「ジョフレ、エリーズ。俺たちは先に帰るから悪いがケンタウロスと一緒にそこに倒れている男を連れて戻ってくれないか? 正直、もうへとへとなんだ」
「おう、任せろ!」
「うん、任せて!」
ジョフレとエリーズは、ケンタウロスが職奪の宝石を食べたことなど簡単に忘れてしまい、親指を立てて言った。
「ああ、任せた」
俺はそう言うと、ハルたちと一緒にマイワールドに戻った。
これで本当に全部終わりだ。
とりあえず、マイワールドの露天風呂でゆっくりしようか……そう思ったのに。
なぜか、マイワールドに、立ち去ったはずのライブラ様がいた。
ピオニアたちは俺が帰ってきたこともお構いなしに、ライブラ様の世話をしている。
「戻りましたか」
「どうなさったのですか?」
「メティアス先輩から言伝がありまして、こうして待っていました」
メティアス様から?
あの場で話してくれたらよかったのに。
「お詫びの言葉ならもう結構ですけど」
「お詫びでしょうが、言葉ではなく情報です。これから一週間後、この世界の中心から地球の日本に続く扉を開けることができます」
ライブラ様は言った。
魔神は二柱しかいないため、どこでも簡単に地球に続く扉を開けられるわけではないそうだが、しかし、特定の条件がそろったときだけ、地球に戻すことができるのだと。
「ミリュウはもう女神ですから地球との行き来は自由にできます。もしも、イチノジョウさん、マリナさん、両名が地球に戻りたいのであれば、一週間後、この世界の中心にいらっしゃってください。ただし、地球に戻ったとき、身に着けたスキルとステータスはすべて失われます」
ライブラ様はそう言うと、歩いて展望台らしき建物があるこのマイワールドの中心に向かった。
「私は準備がありますので、暫くはピオニアとニーテをお借りします」
シーナ三号を連れて行かなかったことは正しい判断だと思う。
「俺はこの世界に残る。ハルとキャロと離れ離れになるなんて想像もできないし、ミリが自由に地球とこっちを行き来できる以上、日本に戻る理由はありません」
俺はそう言って真里菜を見た。
彼女にはいつか日本に戻ってほしいと思っていたが、一週間後というのはあまりにも急すぎる。
そんな短時間で、真里菜の決意は固まるのか?
「私は……不安です。まだカノンの瘴気は全然取り除けていないし、地球に戻って今まで通りやっていけるのかも不安。それに、中学校も三年間通えていないし、高校の受験もできていない。地球だと私ってどういう扱いになっているのかわからない」
やっぱりそうか。
これなら、ライブラ様に相談してみるしかないかな?
一週間後が無理でも、一か月後とか二か月後にもう一度日本に続く扉を開けませんか? って。
もしかしたら、毎週金曜日の午後六時から行われるスーパーのタイムセールみたいに、定期的に日本に戻れるかもしれない。
そうだ、考えるのは一週間後の機会を逃したら、次はいつ日本に戻れるのか聞いてからでも遅くないじゃないか。
「なぁ、真里……」
「でも、私は地球に戻る。カノンが必死になって私を日本に戻そうとしてくれたんだもん。こんなちょっとした不安なんて跳ね返してみせる」
彼女のその目を見て、俺は先ほどの提案を飲み込んだ。
もう、彼女の決意を無下にはできない。
彼女――桜真里菜は一週間後に日本に戻る。




