マリナは英雄
俺たちはマイワールドに戻った。
既にマイワールドでは、マレイグルリの狂乱化の呪いの事件が解決したことが報せられ、今日は祝勝会が開かれることになった。
まだ役所の職員たちは家に帰る暇もないくらい働いているし、行商人たちも町から外に出られないので祝勝会を開くには少し早い気もするが、言い出したダークエルフたちの厚意に甘えることにした。
準備をしている間、俺は教会に向かうことにした。
事情をフルートに報告しないわけにはいかないからだ。
教会の中では、フルートがひとり、室内の清掃を行っていた。
「ん? あぁ、待ってくれ。もう少しで掃除が終わるからさ」
フルートが俺を確認すると、椅子を乾いた布で拭く作業に戻った。
「あ……うん。手伝おうか? 魔法を使えばすぐに終わるぞ」
「これは私の仕事だからいいよ。贖罪者の経験値にもなるからね」
俺は邪魔にならない場所で、彼女の掃除が終わるのを黙って待つことにした。
待つこと五分、俺は教会の長椅子で、フルートが淹れてくれた緑茶を飲んでいた。ちょっとぬるいけれど、しっかり味が出ている。
「それで、なんか私に用事かい?」
「ああ。教会に捕まっていた悪魔族のことで進展があったんだ」
俺はそう言って、フルートに鈴木から聞いたことを告げた。
「悪魔族が全員地下に脱出? イチノジョウの友達が手引きして?」
「友達っていうか知り合いなんだが、もとはと言えば俺がケンタウロスをけしかけたのが原因かもしれん。すまん」
俺はそう言って頭を下げた。
「なんで謝るのさ。むしろ感謝したいくらいだよ」
「でも、これで悪魔族は完全に脱獄犯扱いだろ?」
「大聖堂の地下の秘密通路っていうのは、魔王城時代の名残でね。本当に様々な場所に通じているの。一度そこに逃げることができたら捕まることはないわ。あとは姿を隠してどこか教会の手の届かないところで過ごすって。もともと、私たち悪魔族はどこかに隠れ住むのが得意な種族なんだから」
俺の予想に反し、フルートはむしろジョフレたちに感謝すらしている感じだった。それでいいのか?
「でも、脱獄なんてして、犯罪職になっていないか?」
「悪魔族だからという理由だけで投獄するほうが不当逮捕なんだし、きっとメティアス様が守ってくださるよ」
「メティアス様?」
なんでここでメティアス様の名前が出てくるんだ?
そう思って尋ねたのだが、フルートは俺がメティアス様について知らないと思ったらしく、彼女について説明をはじめた。
「知られていない七柱目の女神様で、運命の女神って呼ばれているんだよ。私たち悪魔族はメティアス様を信仰しているの。そのせいで教会には昔から目を付けられていて、魔王様の庇護下に入る前は碌な生活もできなかったわ。町の中に入るとバレる恐れがあるから、遊牧民として生活している一族もいたし、旅人も多かったな」
「なんでメティアス様を信仰したらダメなんだ? 女神テト様から聞いた話だと、立派な女神様だったと思うんだが」
「メティアス様を知ってるの? それに、女神テトと会ったなんておかしなこと言うんだな……あぁ、でもこんなおかしな空間を作ってるくらいだし、あながち嘘じゃないのかも」
「あぁ、嘘じゃないよ。ライブラ様とかトレールール様とかミネルヴァ様は直接ここに訪れたことがあるくらいだし」
「女神が立ち寄る場所か。凄い話だね」
フルートは八重歯を見せて笑った。
「なんで教会がメティアス様を神と認めないのか――一説によると、他の女神から教会に啓示があったともいわれているけれど、詳しくは私にもわからないよ」
他の女神からの啓示か。
テト様が言っていたのとは少し違うな。
「そういえば、贖罪者のレベルが上がってるみたいだけど、何か特別なことをしているのか?」
「ああ、贖罪者が魔物を倒す以外に経験値を貯める方法は、まっとうな仕事をして人々に感謝されることだからな。これでも私、バリバリに働いているんだ」
フルートがそう言ったとき、教会の扉が開き、数人のダークエルフが入ってきた。
彼女たちは俺を見つけるなり大喜びの様子だった。
「イチノジョウ様、これから私たち歌の練習をするんです」
「よかったら聞いていってください」
「フルートさんがオルガンで演奏してくれて、みんなで練習しているんですよ」
教会には一応オルガンも置かれている。ミリが持ち込んだものではなく、ピオニアが自作したもので、調律も彼女が行っている。
最近、船を作る用事がなくなった彼女にとって、造船作業に続くやりがいのある作業だったらしい。
本当に万能なホムンクルスだ。
フルートがオルガンの前に置かれている椅子に座ると、ダークエルフたちも一列に並んだ。
フルートが長い音を出すと、それに合わせてダークエルフたちが『あー』と音程を合わせるように声を出した。
そして、演奏が始まる。
歌詞の内容は、どうやら太陽と水と大地に感謝するものだった。ダークエルフたちの黄金樹に対する讃美歌のようにも思える。
歌は五分程続き、全員で頭を下げて歌は終わった。
俺は拍手で彼女たちの演奏を褒めたたえる。
「綺麗な歌声だったよ」
「「ありがとうございます、イチノジョウ様」」
彼女たちは声を揃えて俺に礼をいい、褒められたこと喜び合っている様子だった。
俺はオルガンの前に座ったままのフルートにも声をかける。
「オルガンの演奏、上手かったんだな」
「ありがとね。昔、教会で何度か弾かせてもらったことがあるんだよ」
なるほど、これが彼女のここでの仕事というわけか。
娯楽の少ないこの世界で音楽はいいストレス解消になる。
もうひとつの娯楽であるポータブルDVDプレイヤーは、どこかの機械人間が占有しているからな。
「次はシーナ三号の番デス。ニャーピースのオープニングメドレーを希望するデス」
その機械人間ことシーナ三号がいつの間にか現れ、フルートに曲のリクエストをした。
「ああ、わかったよ」
フルートのピアノの演奏に合わせて、シーナ三号が歌を熱唱する。
どうやら、俺の知らない間に教会の音楽が、このマイワールドの娯楽のひとつとして定着してきているようだ。
カラオケBOXみたいな使い方は教会としてどうかと思うけれど、全員楽しそうだし、いいとするか。
「イチノジョウ様、聞いてください。私、ダークエルフの弓術精度十六人に入れたんです」
ダークエルフのひとり、ルルリナが言った。
「弓術精度十六人?」
「ダークエルフの弓術訓練では威力訓練、精度訓練、障害訓練の三つに分かれます」
「威力訓練は矢の威力の強化、精度訓練は止まった遠くの的への攻撃、障害訓練は動く的や死角からの射撃など特殊な環境下での射撃訓練を行い、上位十六人の間で順位付けを行っています」
「ルルリナちゃんは昨日の訓練でその十六番目に付いたんです」
俺の問いに、ダークエルフ達が矢継ぎ早に説明してくれた。
「えへへ、精度だけ集中的に練習したから威力はまだまだなんですが。今の私なら三百メートルくらい離れたゴブリンの眉間だって貫けますよ」
「凄いな――ちなみに、一位ってやっぱり」
「はい、ララエル様です」
やっぱりそうか。
まぁ、族長をするくらいだし、彼女の矢の技術は俺もみたが凄いものがあった。
「ララエル様の弓の威力は岩をも砕き、一キロ先の獲物を貫き、死角にいる敵すらも一撃で仕留めるんですから」
死角の敵を一撃か。
そう言われて、俺はふと思いついた。
「その障害訓練なんだけど、もしも、鏃に糸を括りつけ、死角どころか矢では絶対に当てられない場所にいる敵に攻撃を当てる――みたいなことができる奴がいたら何位くらいになる?」
「そんな人いるんですか?」
「いたら、絶対にランキング一位になってますよ」
「一位どころか、ダークエルフの間で口伝で語り継がれる殿堂入りだよね」
そうか、一位、殿堂入りか。
早く合流しろ、マリナ。
お前、ここに来たら英雄になるぞ。




