有能な秘書
全員の治療を終えた。一応、職員たちは呪いの結果が出るまでは部屋で待機することになっているが、自分の呪いが解けたことに安堵している様子だった。
俺は応接間でひとり待たされることになった。
テーブルの上の砂糖菓子をもらったが、甘すぎてあまり美味しくなかったので、半分だけ食べて残りはアイテムバッグに入れ、お茶を飲んだ。
そうしているうちに、副市長さんが部屋に入ってくる。
彼は入ってテーブルの上に持ってきた箱を置くなり、俺の手を握って何度も振った。
「助かりました、イチノジョウ殿」
「これは気持ちですが――」
副市長さんがそう言って箱から取り出して俺に渡したのは、貨幣が入っている革袋だった。重さで金貨か銀貨かの区別はつかない(さすがに銅貨ではないと思う)が、どちらにせよかなりの額になる。袋のサイズ的に五十枚くらい――全部銀貨だったとしても五千センスはあるんじゃないだろうか?
謝礼ということらしいので、素直に受け取っておく。
当然のことをしたまでです――と普段の俺なら受け取りを拒否しただろうが、今後、お金が必要になってくるかもしれない事柄があるので、俺は素直にお金を受け取った。
「ありがとうございます。それで、副市長さん、例の件ですが――」
「ええ、市長が所有する飛空艇の航路計画ですね」
「見せていただけますか? 機密事項なのは重々承知しておりますが――」
「構いませんよ」
「そこをなんとか――え?」
思わぬ了承に耳を疑うお約束をしてしまった。
「機密事項じゃないのですか?」
「いいえ? 航路計画は道中の安全と混乱を防ぐため、飛空艇が立ち寄る村や町などには知らせております。飛空艇が実験段階に入った頃、空に謎の魔物が現れたと町がパニックになったことがありまして、その名残ですね。馬車での移動なら、計画がバレたら盗賊に襲われるかもしれませんが、航路計画なら道中に襲われる可能性もありませんし」
副市長さんはそう言って、木箱の中から地図を取り出した。
これが航路計画らしい。マレイグルリから線が伸び、ところどころ日付と時刻が書き込まれている。
なんてことだ。
つまり、ダイジロウさんの行き先を調べたかったら、ミルキーの本を探したり、飛空艇ドックを調べるのではなく、最初から市庁舎に来ていればよかったというわけか。
ダイジロウさんがドックのすべての資料を持ち出したくらいだし、飛行経路は重要機密だと勝手に思い込んでいた。
キャロにとっても盲点だったのだろう。
「あれ? この先は?」
航路は飛空艇が南大陸の最東端で途切れていた。
「海の上や他の大陸までは伝達の術がありません。提出されているのはここまでです」
「この地図と時刻が正しければ……飛空艇のダイジロウさんとミリはもう海の上――帰ってくる航路もありますが、何日後かはわかりませんよね」
「ええ、帰る時刻は不明とのことです。帰る直前にこちらに連絡が来る手筈になっております」
「副市長、失礼します。報告がございます」
そう言って、秘書さんが入ってきた。
「なんだね?」
「はい。先ほど治療を終えた人の中から、幻聴が聞こえるという報告がありました。ひとりやふたりではないので――」
治療を終えた者たちも、鈴木が以前に使った、呪いにかかっているかがわかる試験薬で陰性が判明するまで、隔離され、些細な変化があっても報告するように義務付けられている。
そのうちの何人かが、幻聴が聞こえてきたと声を上げ、複数名同じ症状の人間がいたので隔離されている三十四人に確認を取ったところ、十人が同じ声を聞いたそうだ。
「三人くらいまでなら、精神的なものだと思ったが――しかし、同じ声だと何故わかった?」
「いえ、声の質ではなく、内容が同じだったのです」
内容が同じ? まさか――っ!?
「世界の救済――そういう言葉が聞こえたそうです」
「世界の救済?」
副市長が首を傾げた。
「呪いを発動させる言葉だそうですよ……治療が遅かったら、その十人は狂乱化の呪いが発動していたかもしれません」
俺がそう説明する。
「副市長、そのことは既に報告に上げたはずです。いまは贖罪者となっている呪いの被害者たちから、その言葉を聞いたという報告を受けていますから」
「え? そうだっけ? ごめん、資料が山のように届くから、取り紛れていたみたいだ」
副市長は笑ってそう言ったが、そんな大切な資料ならちゃんと読んでおけよ。
そう思ったら、副市長さんは俺に尋ねた。
「イチノジョウ殿はどうしてそれをご存知なのですか?」
「前に悪魔族の女性の狂乱化の呪いが発動したとき、殺された衛兵が「せかいのきゅう」と言い遺してくれたんだ。それで、小麦粉を転売していた男が殺されたとき、狂戦士になった男を取り押さえたとき、『世界の救済』という言葉が聞こえてきたって聞いて、それがキーワードになっていることは間違いないって思ったんだよ」
まさか、死んだはずの悪魔族の女性から直接聞いたなんて言えない。
「そういえば、あの悪魔族の件もイチノジョウ殿が関わっているのでしたね」
現場にいつも現れる謎の男――ミステリー小説なら絶対に警察に怪しまれて取り調べをされる。絶対に犯人ではないパターンだが。
「俺、疑われていませんよね?」
「勿論です。悪魔族の件も治療のためにイチノジョウ殿をお呼びしたことは把握しています。そもそもあなたが犯人なら治療なんてする必要はありません――治療できることを利用し、荒稼ぎしたり名誉を欲している様子もありませんし」
「そうなんだよね。イチノジョウ君には謝礼として五千センス支払ったけど、高名な法術師様だったらもっと上乗せの報酬を要求してくるところだよ」
「副市長? 議会から承認が降りたイチノジョウ殿への謝礼は一万センスだったはずでは?」
「……あ、あぁ、そうだった。前金を先に支払うのを忘れていたよ」
副市長はそう言って、さっきと同じ大きさの革袋を俺に渡した。
秘書さんが指摘しなかったらそのまま着服するつもりだったのだろうか?
「そうだ、とりあえず治安維持のための警備依頼を冒険者ギルドに出してこないと。イチノジョウ殿、ゆっくりなさってくださいね」
俺がジト目で見つめていると、居心地の悪くなった副市長はテーブルの上の資料を手に持ち、そそくさと出て行った。
あまりに慌てていたため、資料がいくつか落ちる。
「まったく――ダイジロウ様が副市長はちょっと間の抜けた小悪党くらいがちょうどいいなんて仰るから――彼は間の抜けたところはありますが、己の地位を守るため、全力でこの事態の収拾に努めています。優秀な面もありますので、ご安心ください」
「そうだといいのですが」
俺はそう言って落ちた資料を拾った。
今回の事態に関する臨時予算書か。
こういう経理の書類は、飲食店のアルバイトしかしてこなかった俺には無縁だったな。こういう書類の処理をできるだけでも副市長の評価が上がってしまう。
「一応、それは機密事項ですからあまり見ないでくださいね」
「あ、すみません」
「いえ――まぁ一応と付く程度のことなので。興味があるのなら見てくださっても構いませんよ」
「あぁ……はい」
別に興味はないんだけど、見てもいいって言われたら少し見てしまう。
うわ、今回の騒動で金貨一万枚、一億センスもの金が使われているのか。
食糧不足の一部は、市庁舎が食品を買い上げていたことが原因だという事実もこれでわかった。もっとも転売目的ではなく、炊き出しや配給が目的らしい。
「意外と庁舎の職員にかかる費用が高いんですね」
「庁舎の職員や魔法捜査研究員は自宅に帰る暇もありませんからね。食費、残業代だけでなく、衣服のクリーニング代や替えの下着代、特別手当などお金がいくらあっても足りません。もっとも、お金で解決している間はまだ平和な方なのですよ」
「……そうですね」
もしも包囲がさらに続き、食料不足に拍車がかかったとき、お金の価値というものは崩壊する。一枚の金貨より、ひとかけらのパンの方が価値のある世界になる可能性だってある。
そんな世紀末みたいな世界はイヤだな。
お金が、政府への信用によって価値を見出しているのだとよくわかるよ。
「ただ、物事の解決への道筋はまだ遠そうです」
「そうなんですか?」
「はい。実は我々は、この狂乱化の呪いの原因は悪魔族だと確信していたのです。というのも、イチノジョウ殿が取り押さえた狂戦士の男からの話で、どこからともなく声が聞こえたのに、殺人被害者の男しかいなかったという話を聞きまして。イチノジョウ殿はご存知かもしれませんが、悪魔族は魔法を使い、角や翼を隠して生活しています。その気になれば、魔法で姿を消すことができるかもしれない」
俺と同じことを考えていたのか。
そりゃそうだ、俺が気付いて他の誰も気付かないことなんてあるわけがない。
「――そう思っていました。しかし、先ほどの『世界の救済』という声は全員がほぼ同時に聞いたのです。職員が隔離されている扉が開かれた様子はありませんし、部屋の中に姿を消している人物がいる気配もありませんでした。結果、犯人が姿を消しているという説は崩れるわけです」
そうだよな。さすがに狭い部屋の中に誰かがいたら、姿を消していたとしても息遣いなどで気付くはずだ。
そうか、犯人は悪魔族じゃなかったんだ。
俺は少し安心した。
「まぁ、悪魔族が犯人ではないという証拠にはなりませんが」
俺の心を読んだかのように秘書さんは言った。
「あの、どうしてその話を私にするのでしょうか?」
「イチノジョウ殿の仲間――半小人族のキャロル様が狂乱化の呪いについていろいろと調べているということは知っていますので、協力したまでです」
キャロのことまで把握しているとは、こやつ、やりよるな。
もしかして、本物の副市長が秘書に化けているのではないだろうか?
「事態が解決できる可能性は一パーセントでも上げた方がいいですからね。なにかわかったら教えてください。これは私の家の住所です」
「買いかぶりです。色々教えてくれてくださっても、上がるのは事件解決の可能性ではなく、私の好感度だけですよ」
「私はそれでも一向にかまいませんよ。むしろ望むところです」
俺の背筋に悪寒が走り、尻の穴がきゅっと引き締まった。
ってあれ? なんだ?
待て、そういえばなんでこの秘書は俺に家の住所を書いた紙を渡してきたんだ?
だって、秘書さんを含め、職員たちは何日も家に帰れていないんだよな? つまり、事件解決に関する情報を持ってくる先は彼の家ではなく市庁舎になる。
彼が家に帰ることがあるとすれば、それはもう事件が解決した後ということになる。
そして、その住所を見た途端、俺の疑問は恐怖に繫がった。
俺はそれを尋ねてはいけないとおもった。絶対に尋ねてはいけないと。聞いてもそこに幸せなんて待ってはいないと。
だが、俺は一縷の望みを持って、つまりはパンドラの箱の底に眠る僅かな希望を見つけ出そうと尋ねた。
「あの、そういえばお名前を聞いていませんでしたよね」
「申し遅れました。私はフェリーチェと申します」
そ、そうか。ふぅん、女性みたいな名前だな。
まさか、本当に女性だってことはないだろうか?
「フフフ、女性みたいな名前でしょ? 子供の頃は男のくせにってからかわれました。私の生まれ故郷ではよくある男性名だったんですが」
「そ、そうですね。いい名前だと思いますよ」
「イチノジョウ殿にそう言ってもらって、心から嬉しいです」
俺はこのあたりから、自分がどんな話をしたかほとんど覚えていない。
俺は笑顔で会話を続け、市庁舎を出た後、逃げ出すようにハルとキャロの待つマイワールドに戻った。




