杞憂では済まない予感
本当に迷宮の異変が起きているのかもしれないな。
現在、迷宮の三階層をくまなく探索している。一度通った部屋でも魔物が発生しているので、何度も同じ場所を通ることになる。
これだけ時間をかけて二回しか階段を下りていない。
「思ったより時間がかかるな」
俺は休憩がてら、朝、ラナさんが用意してくれたおにぎりを食べる。
具材はお任せで頼んでみたが、最初に引き当てたのは鳥マヨネーズだった。鳥肉っぽいが、なんの鳥かはわからない。
ツナマヨネーズの方がよかったんだが、考えてみれば鮪なんて内陸のマレイグルリで簡単に手に入るものじゃないだろう。
「こちらはコーンマヨネーズですね」
「マヨネーズって意外と広まってるんだな」
日本からの転移者が多くいるんだ。
下手したら、転移してきた日本人の数だけマヨネーズ作りが行われたのかもしれない。俺も具体的な作り方を知っていて、かつ食中毒を気にしなければ自作していただろう。
「魔王城の食卓でも一部の人は使っていました。卵を使うので貴重品という扱いでしたが。私の母が子供の頃には既にあったそうです」
「そうなのか」
ハルの母ちゃんって何歳くらいなんだろ?
四十歳くらい? もしかしたらまだ三十歳代かもしれない――写真とかあったら見てみたいな。
きっとかなり美人なんだろう。
「ハルの母さんって、まだ生きているんだったよな」
「はい――魔王軍に協力し、それでも死罪を免れた白狼族は、徒党を組むことを危惧され、いまは世界中の国に分かれて幽閉されていて、各国の首脳ですら誰がどの場所にいるかわからないそうです」
場所が分かれて幽閉――ハルのように奴隷として生かされるようになったのは、戦いを知らない子供だけってことか。
悪魔族も似たような扱いを受けたら、助けるのは難儀しそうだ。
下手に誰かを脱獄させたら、他の悪魔族への警備と風当たりがきつくなりかねない。
可能ならば、まとめて一度に助け出したいところだ。
「いつかまた、母さんに会えるといいな」
「はい」
俺たちはそう言っておにぎりを食べ終えた。
ハルは干し肉を食後(?)のデザート(?)に食べている。
「しっかし、魔物の間引きメインだと全然進めないな」
「まだ三階層ですからね。この調子では、今日中にボス部屋に辿り着くのは無理そうです」
「迷宮攻略じゃなく、魔物の間引きの仕事だからな。最初から深い階層に行くつもりはないよ」
そうだ、休憩ついでにこれまでレベルアップで覚えたスキルを確認するか。
クイーンスパイダーとか経験値が高かったからな。司書はレベルが上がりやすい職業のようで、なんとレベルが58まで上がっている。これならジュエルタートルを倒す必要もなさそうだ。
まぁ、司書って戦闘向けじゃないから、俺みたいに魔物を狩ってレベルを上げる人間なんてまずいないんだろうな。
迷宮を出てからと思っていたが、休憩中にログを再生する。
【イチノジョウのレベルが上がった】
【司書スキル:書物検索を取得した】
【司書スキル:書物鑑定を取得した】
【司書スキル:書物修復を取得した】
【司書スキル:虫干しを取得した】
【司書スキル:書物検索が書物検索Ⅱにスキルアップした】
【司書スキル:書物複写を取得した】
【司書スキル:書物修復が書物修復Ⅱにスキルアップした】
【司書スキル:書物収納を取得した】
【司書スキル:書物装備を取得した】
【司書スキル:本の角を取得した】
【司書スキル:魔法書鑑定を取得した】
いろいろと取得しているな。
ほとんどはスキル説明を見なくてもどんなスキルかわかる。
書物検索はⅡまでスキルアップしたことで、キャロの言った通り一定範囲内の書物を作者別に検索できるようになった。
書物修復は破れたりインクが滲んだり虫食いになったり黄ばんだりした本を綺麗な状態に戻せるスキルだ。こちらもスキルアップしたことで、その効果は高くなっている。
虫干しは本についた小さな虫を殺す効果がある。これって司書にとってはかなり有効なスキルだよな? 普通、虫干しって太陽に直接当てないといけないから本が傷むんだが、このスキルを使えば本を傷つけずに虫を殺すことができる。
書物複写は、本を写し取るスキル。コピー機の無い世界において、これはかなり重要なんだそうな。ただ、本をコピーするなら贋作作成で事足りるので、遺跡などで見つけた文章を書きとるなど使いどころが限られそうだ。
書物収納は空間魔法みたいなものらしく、書物を異次元空間に収納するのだそうな。しかも、収納された書物は検索などで調べ、目的の本だけを取り出すことができる。人間図書館の完成だ。とりあえず、俺が持っている本は全部こっちに収納しておこう。
そして、意外なスキルが本装備、本の角、魔法書鑑定の三つか。
「本装備ってスキルを覚えたんだが」
「本をハンマーのように使って戦うスキルですね。分厚い本の一撃はかなり強力だそうです」
「そんなやつが司書になるなよ――本の角は……本の角で攻撃したとき、その威力を倍増させる……ってそりゃ本の角は痛いけどさ……」
紙で指を切るスキルがないだけまだマシか……いや、そのうち出てくるかも。
もしかしたら、司書補って職業が存在して、そんなスキルを覚えるのかもしれない。
「最後は魔法書鑑定か……ハル、魔法書ってあるのか?」
「はい。魔法を放つことができる書物ですね。作ることができる人が限られているので、滅多に市場に出回ることはありませんが」
ふぅん、そうなんだ。
『イチノジョウ様、緊急事態です。町で大きな騒動が起こっています』
通信札からキャロの声が聞こえてきた。
「どうしたんだ?」
『狂乱化の呪いが複数の場所で発動、暴れています。幸い、レベルが上がる前に警備していた衛兵によって取り押さえられましたが、その現場を直接見た人を中心に【狂乱化の呪い】についての噂が拡散。また、衛兵から連絡があり、複数名狂乱化の呪いにかかっている人が見つかったようで、解呪を頼みたいそうです』
「――わかった、すぐに戻る。ハル、鈴木の居場所はわかるか?」
「はい、匂いを辿ればすぐに見つかると思います。いまのことを伝えればいいですね」
「頼む。俺は先に戻ってるから、ハルも鈴木に伝えたらマイワールドに戻ってくれ」
俺はそう頼むと、拠点帰還を使いマイワールドに転移しようとした。
……あれ?
「どうなさりました?」
「いや、ちょっと」
拠点帰還の行き先が増えていた。
この町の住所だ。
フェリーチェ?
誰だこれ?
聞いたこともない名前だが――俺に一目ぼれした人でもいたのだろうか?
ちょっとうれしいが、ハルには黙っておこう。
「じゃあ、俺は先に行ってるよ」
そう言って、マイワールドに転移した。
「マスター、お帰りなさいませ――寛げる状況ではないようですね」
ピオニアが俺を迎えて、温かいお絞りを渡してくれた、俺が焦っている状況に気付いたようだ。
「察しが良いな、ピオニア。直ぐに出る。ハルは後から戻るよ」
俺はおしぼりで軽く顔を拭いて気分をリフレッシュさせる(このリフレッシュ感は浄化では再現できない)と、マイワールドから出た。
鈴木の家に戻った。
キャロが部屋で待機していた。
「ハルは鈴木に事情を伝えてから戻ってくる。まずは治療を先にするぞ。それで、呪いにかかった人数は?」
「三十四人――全員市庁舎の職員です」
「――っ!?」
三十四人だってっ!?
これまでの比じゃない。
しかも役所の職員か――もしも全員呪いが発動していたら、町の機能は完全に失われるところだったかもしれない。
「ご主人様、呪いの治療より先に、門に向かってください。その間にラナさんが鈴木さんの家紋の入った封蝋を庁舎に届けに向かっていますから」
「門? 町の門か? そこになにがあるんだ?」
「なにもなかったらそれでいいのです……杞憂であれば」
わからないが、キャロはなにか不安に思っているようだ。
俺は彼女から事情を聞き、流石に杞憂であってほしいと願ったが、しかしそうはいかないと飛び出した。