白狼の泉
ハルワタートとキャロルは、その女神像をさらによく見た。
ダンジョンの他の場所にある女神像と違うところがいくつかある。
まず、手入れがされていないのだろう、苔が生えていた。
次に、ダンジョンの女神像の間に入るにはボス部屋を通る必要があるが、ここにはボス部屋はなかった。
「メティアス様の女神像……クインス様、ここはダンジョンではない……んですよね?」
キャロルがおずおずと尋ねた。
「おや、メティアスを知っているのかい? この辺でこの女神像が残っている場所と言えば……ヨミズキかケット・シーの里の隠しダンジョンあたりか。キャロ、なんでここがダンジョンではないって思ったんだい?」
「……気になったのはやはり苔です」
ダンジョンは異物を吸収する力を持っており、植物もまた異物であるとされる。
そのため、ダンジョンのなかで畑を作ったりすることはできない。
種を植えると同時に種がダンジョンに吸収されてしまうからだ。
「この部屋だけはダンジョンの範囲からは外れているよ。ダンジョンになったら、この女神像も異物としてダンジョンに吸収されてしまうからね。ここが明るいのもダンジョンからの光があちこちから漏れ出ているからさ。本当によくできてるよ」
「女神像なのに吸収されるのですか?」
「女神像だからだよ」
クインスはそう言ったけれど、それ以上説明するつもりはないようで、
「ついておいで、見せたいのはそれじゃないからね」
と言ってさらに通路の奥へと進んでいく。
「ハルワタートは確か、フロアランスの『白狼の泉』にいたんだよね」
「はい、その通りです」
「では、その店の名前の由来は聞いているかい?」
「存じています。『フェンリルの縄張りの泉の周辺では、いかなる魔物であろうとも争いを禁じられている』。その伝承が元だったと聞いています」
種族による差別なく接してほしいという、奴隷商館『白狼の泉』の願いも篭った名前だ。
「よく知っているね。だけど、それは間違った伝承だよ。いかにフェンリルといえども低能な魔物どもの捕食本能を抑えることはできない。というか、普通の魔物はフェンリルの縄張りの泉に近付きさえしないからね」
「クインス様、間違った伝承と仰るのなら、正しい伝承――いいえ、正しい事実があるのですか? そして、その本物の白狼の泉がこの先にあるのですか?」
キャロルが尋ねると、クインスは持っていた煙管を吸って、煙を吐く。
そして、満足そうに頷いた。
「本当にキャロは聡いね。その通りだよ。いまから私が向かっていくのは、本物の白狼の泉――いや、白狼の泉のモデルとなった泉と言ったほうがいいかね。ハル、そしてキャロ。現在の魔王軍については私は詳しいことは知らない。ただ、奴らが捜しているものはわかる」
歩きながら、会話は次第にハルワタートたちの目的、そして望んでいた情報へと進んだ。
「まずは魔王ファミリス・ラリテイの生まれ変わりであるミリュウだ」
魔王軍がミリを探している。
それは想定の範囲内のことだった。
「現魔王軍は、ミリ様を再び魔王の座に据えるつもりなのですか?」
「さてね。どうするのかは私にもわからないよ。従順な羊なら、傀儡の王に仕立て上げて魔族たちを取りまとめるのに便利だけれども、そういう玉じゃないからね、あの人は」
クインスはどこか懐かしむように言った。
いまのミリではなく、過去のファミリス・ラリテイを想っての言葉だとハルワタートたちは思った。
「次に、ファミリス・ラリテイが魔王になる前にこの世界に三大魔王と呼ばれる種族がいたんだが、その末裔を探している」
「三大魔王?」
聞いたことのない言葉に、
「この世界でも力の強かった種族の王だよ。女神教会の前身である宗教組織がそう定義した後、女神教会のなかでも初期の頃まで呼ばれていた。まぁ、その種族ももう長い歴史のなかで消えていったけれどね。長命と言われるドワーフやエルフなどは知っていると思うけど、そうか、キャロルも知らなかったか」
「すみません、キャロの勉強不足です。それで、その三つの種族というのはなんですか?」
「悪魔族、夢魔族、黒狼族だよ」
「……黒狼族」
キャロルの問いにクインスが答えると、ハルワタートは三つ目の種族の名前を噛み締めるように呟いた。
「知っていると思うけど、夢魔族はサキュバスのことだよ。男の夢魔族はインキュバスって呼ばれているけど、奴らはもっと早くに他の種族と交わる道を選んで消えていってね。サキュバスも同様に消えていった」
人間族と交わって種族としての独自性を失っていく。
種族としてはいなくなっても血を残す――それがサキュバスの選んだ道だったとクインスは告げた。
「悪魔族も似てはいるけれどね。幻影の魔法を得意とする彼らは、頭の角と背中の黒い翼を隠し、人のなかでこっそりと過ごしている。そして、黒狼族は――」
「十二年前の戦いで、魔王ファミリス・ラリテイ様亡きあと、それでも戦いを止めずに教会と戦い続け――絶滅したんですよね」
ハルワタートが、どこか引け目があるかのように言った。
「その通りさ。子供から年寄りに至るまですべてが死ぬまで戦いをやめなかった。その戦いで出た犠牲は数えきれない。もっとも、魔王を倒したことで浮かれていた国民にその真実を伝えたくなかった教会は、そんなこと全部なかったことにしたんだけどね。生きたまま捕えられた黒狼族も一族の責任を取ると言う形で証拠隠滅――つまり秘密裏に死罪となった」
その話は、ハルワタートもアレッシオから聞いたことがある。
魔王亡きあとも戦いに憑りつかれた黒狼族の戦い。大義なき戦いは、もはや戦争ではなく暴動であり、アレッシオはその鎮圧に乗りだそうとしたが、教会はそれを禁じた。
魔王を倒した英雄が、その後処理に失敗して負傷したら、教会の沽券に関わるからだった。その時、ハルワタートはまだ子供で、アレッシオに奴隷として連れていかれているところだったのだが、それでも彼の悔しそうな表情を覚えている。
クインスの話を聞き、キャロルのなかにひとつの疑問がよぎったようだ。
「末裔を探すと言う話ですが、黒狼族が絶滅したのなら、もう捜しようがないのではありませんか?」
「そうだね。黒狼族そのものはもういないよ。戦いにいけなかった赤子ですら全員捕まって殺されたからね」
「ならば……」
「黒狼族の末裔が、必ずしも黒狼族とは限らないだろ?」
ハーフやクォーター、つまり黒狼族の血を受け継いでいる子孫もまた、末裔と呼べる。
そういう意味だとキャロルは思ったのだろう。
でも、そうではないことを、ハルワタートは理解できた。
「…………白狼族ですね」
ハルワタートの答えに、キャロルは驚き彼女を見たが、クインスは表情を変えずに頷いた。
「魔王様から聞いたことがあります。千年以上前、白狼族という種族は存在しなかったんです。ある時期、気象の関係か、それとも食料の影響か、同時期に白い髪の黒狼族が大勢生まれたそうなんです」
「ハルさん、それはアルビノ種……ということですか」
「はい、ファミリス様もそうおっしゃっていました。その時に袂を分かったのが白狼族だと言われています。つまり、白狼族もまた、黒狼族の末裔なんです」
「クインス様、その魔族が三大魔王の末裔を集めている理由はなんなんですか? 末裔なら誰でもいいんですか?」
キャロルが尋ねた。
「集めている理由はわからないよ。ただ、誰でもいいってわけじゃないのは確かだね」
誰でもいいわけじゃない、という言葉にキャロルはひとまず胸をなでおろしたようだが、ハルワタートは少し残念だった。
新しい魔王軍がハルワタートの敵か味方かは今の彼女にはわからない。
だが、自分を狙ってくるというのであれば、捕まえてその目的を聞くことができると思っていたからだ。
クインスたちはさらに奥へと進む。
「見えたよ――ここが目的の場所だ」
目的の場所……と言われたが、ハルワタートはどうしていいか戸惑った。
その大きな空間に、大量に魔物がいたからだ。
空間の中央には泉がある。
そして、魔物のうち十体は樹の魔物――トレントだ。そのトレントの木の実を他の魔物たちが食べている
「……白狼の泉」
ハルワタートが呟いた。
そう、それは野生の動物か魔物かの違いはあるが、争いのない空間だった。
ハルワタートが入っても魔物はこちらを警戒することも襲い掛かることもなかった。
しかし――
「なんでしょう、平和な場所には思えません。むしろ、狂気というか……」
「鋭いね。まぁ、ここは平和とかそういう場所じゃないよ。この魔物たちは全員魅せられているんだ――扉の奥が原因でね」
「扉の奥? この扉の奥にはなにがあるんですか?」
キャロルが尋ねると、クインスは煙管から煙を吐いて言った。
「サキュバスの女王だよ。ここにいる魔物たちはすべて、サキュバスの女王に魅せられて集まっているのさ。美しさでもなければ、キャロのようなフェロモンによるものでもない。ただ、サキュバスの女王がここにいる、というだけの理由でね」
クインスはハルワタートたちを見て言った。
「魔物を引き寄せる能力というのは、サキュバスの女王がここにあることを魔王軍に知られる可能性を高める。ここにいる魔物の大半はダンジョンで生まれた魔物だが、なかにはダンジョンの外から入ってきた魔物もいるからね」
いくら幻影壁でカモフラージュしても、魔物が入るところを目撃されたら終わりだ。
「だから、この効果を打ち消すための素材を集めてきてほしい。その間、私は私のコネを使ってあんたたちが欲しい情報を集めておいてやるよ」
ハルとキャロはアイコンタクトでお互いの意思を確認しあい、そして、頷いた。
今回が300話になります。ここまでお付き合いありがとうございます。
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