ミネルヴァという女神
『三秒数えて四秒目を数え終わる前に死ねたらいいのに。いーち、にー、さーん、よーん……やっぱりそう簡単には死ねないわよね……何で死ねないのかしら』
俺たちに気付いていないのか、ミネルヴァは後ろ向きな発言をさらに続けた。
ミリは女神像に歩み寄ると、
「ミネルヴァ、いるんでしょっ! 顔を出しなさいっ!」
と今にも女神像に殴り掛かりそうな勢いで言った。
すると、突如として俺の見ている風景ががらりと変わる。
真っ白な空間で、じっとしていると頭がおかしくなりそうになる。
ここに来るのも五度目だろうか? 女神の領域だ。
ちなみに、他の女神の領域と違うとすれば、薬草を煎じたような匂いがする。
「あら、久しぶりね、かぐやちゃん。どう? 不老不死の状態から死ねた感想は」
「不老不死じゃなくて不老よ――あと、今の私はミリだからもうその名前で呼ばないで」
「あら、いいじゃない。あなたが最初に転移した時に、不老不死の妙薬を作れるようになりたいと言ったから、薬学スキルをあげたのに。それにしても上手に死んだわね。今度私に死ぬ方法を教えてちょうだいよ」
「死にたければ自殺でもなんでもしなさいって言ってるでしょ」
「それができないからこうして頼んでいるんじゃない。いじわるいわないでよ、かぐやちゃん」
相変わらずミリのことをかぐやと呼ぶミネルヴァに対し、ミリのこめかみがピクついているのがわかった。
かぐやというのはミリの前世のあだ名か何かだろうか?
「おにい。かぐやっていうのは私の前世の名前だよ。ファミリス・ラリテイっていうのは偽名なの」
「ん? なんでそんなややこしいことにしたんだ?」
「自衛のため。魔法の中には人の名前を介して使われるものが多いんだよ。例えばステータスオープンだってそうでしょ?」
「あぁ、仲間のステータスを確認するのにも名前を呼ばないと発動しないよな。名前を対象とする道具といえば、西遊記の金角、銀角って悪役が名前を呼んで返事をした相手を吸い込む瓢箪ってのがあったっけ」
「紅葫蘆ね。あれと似たような魔道具ならこの世界にもあるわよ。西遊記に出てくる紅葫蘆みたいに対象を溶かすアイテムじゃなくて閉じ込めるだけなんだけどね」
「マジか……そんなもんあったら結構ヤバくないか?」
「まぁ、そういうアイテムは神器って呼ばれるかなり珍しいアイテムだからそこまで警戒するものじゃないわよ。例えば私がその対象を閉じ込めるアイテムを使われても、転移魔法で逃げられるよ」
「マジか、転移魔法最強じゃないか」
「なら、おにいも転移魔法を覚える? 生活魔法Ⅳは転移系の魔法だよ」
「……生活魔法の転移系……生活魔法なのに転移……なんか嫌な予感しかしないんだが」
でも、確かに段々とパワーアップしているよな。
最初はただ綺麗になるという魔法だったのに、音声を完全に遮断する魔法、そして魔力を油に変異させる魔法。どちらも効果だけ見れば凄い魔法だ。
確かにその中に転移系の魔法があっても不思議ではない……気がしてきた。
でも、転移って生活なのか?
「あ、でも俺なら転移魔法を使わなくても、閉じ込められたらとりあえずマイワールドに避難するっていう方法もあるんだよな」
マイワールドへの扉は開いた場所にしか開くことができないから、結局閉じ込められた場所から脱出することはできないんだけど、少なくとも餓死することはなくなる。
そんなことを考えて、視線をずらすと、ミネルヴァ様が荒縄で作られた輪っかを持って脚立の上に登っていた。
「……私の事を無視して話をしている……生きているのが辛い、死のうっ!」
「わぁぁぁぁぁっ! ミネルヴァ様、死なないでくださいっ! 無視してませんからっ!」
「おにい、いいわよ、放っておいても」
「放っておいてもいいって、お前、女神様が死んだら」
って言っている間に、ミネルヴァ様が荒縄の輪っかに首を通し、大きくジャンプした。
「うわぁぁぁぁぁっ! 女神様のてるてる坊主が完成したっ!」
「だから、大丈夫だって」
「大丈夫なわけないだろ、早く助けないと――」
俺がミネルヴァ様を助けようとして脚立を登った。荒縄がどこからぶら下がっているのかなんて関係ない、急いで助けないと。
「今助けますからっ!」
俺が手を伸ばそうと思ったその時、荒縄がぶちっと音を立てて切れた。
ドサっと落ちて倒れるミネルヴァ様。
「あぁぁぁ……そうだ、死ぬ前にライブラの作ったカレーを食べたい。ライブラの作ったカレーを食べてから死にましょう」
「いつもこうなの。ミネルヴァは何度も自殺を試みては断念して、今のように言い訳するの」
「そうなのか……そう言えば、俺が作ったカレーならあるんだけど、ミネルヴァ様召し上がると思うか?」
俺はアイテムバッグからカレーライスを取り出してミリに尋ねた。
「いらないんじゃない? ライブラのカレーっていうのはスパイスをミリグラム単位、煮込み時間も秒単位で計算し尽くされた至高の逸品だから、おにいが作ったカレーなんて――」
「いただきます」
いつの間にかミネルヴァ様は俺からカレーを奪い、いつの間にか現れているテーブルの上に置き、いつの間にか食事の挨拶をしていた。
ミネルヴァ様はカレーを黙々と食べ続けた。
「ミリ、福神漬けはあるか?」
「うん、あるよ」
「福神漬けよりらっきょうを希望します」
「……ミリ、らっきょうはあるか?」
「……うん、あるよ」
その後もミネルヴァ様はカレーとらっきょうを食べ続けた。
そして――
「ご馳走様でした。ではお腹もいっぱいになったので……そろそろ帰って貰えますか?」
「ふざけないでよっ! ミネルヴァ、私はあんたに聞きたいことがあるの――あいたっ!」
「コラ、ミリ。女神様に対してあんたはダメだろ」
俺はミリの頭にチョップを食らわせて注意する。
ミリは少し不貞腐れた様子だったが、これに関しては俺は譲るつもりはなかった。
結局、ミリは頷きミネルヴァ様に向き直って言った。
「うっ、ごめんなさい。ミネルヴァに聞きたいことがあるの」
本当は呼び捨てというのもよくない気がするが、昔からの知り合いみたいだし友達感覚ということでそこは許容の範囲内とした。
「なに? ファミリスちゃん」
「もう今日はファミリスでもかぐやでもなんでもいいわよ。私たちがこの世界に転移する仕組みについて知りたいの」
ミリがそう尋ねた。
すると、ミネルヴァの目が今までの気だるさモードから真剣な眼差しへと変わる。
「……そう、それを聞くために私に会いに来たのね」
いえ、ここには薬草を摘むために来ました。とは言わない。
「わかりました、お答えしましょう」
そう言ってミネルヴァは「浄化」と魔法を唱え、カレーライスが入っていたお皿とスプーンを洗って俺に返した。
「その前に、飲み物を希望します」
「お茶でいいですか?」
「ラッシーを希望します」
「……ミリ、ラッシーはあるか?」
「……うん、プレーン味とキウイ味なら」
ミネルヴァ様が所望したのはキウイ味だった。