魔王の正体
「本気で戦ってやる」
と俺は、魔王のほうを向きつつ、退路を確認する。つまり、ここで気絶している、ハルを雇った海賊たちの船への逃走経路を横目で確認していたのだ。
魔王のこれまでの戦いを見ている限りだと、その戦い方は魔法特化であり、速度はそれほど速くはない。
つまり、全力で逃げれば追いつけまい――そう思った。船に逃げ込み、マリナと合流できれば、あとはマイワールドに逃げ込んで俺の勝ちというわけだ。
無職の戦い方、それはつまり、恥も外聞もなく逃げるということ。逃げるが勝ちだ。
ただ、その退路を魔王が塞ぐ形で立っている。
まずはそれをすり抜けないといけない。
「ちゃちゃかうというのはうしょで、にげりゅちゅもりね」
「いきなりバレたっ!」
「なしゃけないっ!」
「情けないって言うなっ! こっちはMPがほとんどなくて弱ってるんだからなっ! なぁ、見逃してくれないか? 俺はあんたと戦うつもりなんて毛頭ない」
「こたえはのー」
やっぱり戦うしかないのか。
「それなら、せめてこの甲冑を脱がせてくれ。指名手配をされるのが怖くて脱げなかったが仕方がない」
「こちょわりゅっ!」
と魔王は俺の申し出を断ると、闇の刃を飛ばして攻撃してくる。すんでのところで躱し続ける俺だが、金属の鎧がかすっただけで穴があき、俺の体にも一部傷を残す。
なんて威力だ。
やはり、逃げるしかない。魔王一人くらいならすり抜けてやる――そう思ったが、さらなる絶望を俺が襲った。
魔王が手をかざす。
すると、突然、彼女の横に穴のようなものが現れた。
あれは――俺のマイワールドに似た魔法?
まさか――そう思ったとき、その穴から出てきたのは巨大な手――否、前足だった。
白い毛で覆われたその前足一本だけでも俺より大きい。
そして、最終的に現れたのは巨大な白い狼だった。
なんて、なんて化け物を呼び出すんだ。
魔王の眷属ってやつか。
普通の狼の十倍以上は大きいんじゃないか?
そして、その背にはひとつの影。そんな化け物みたいな狼を乗りこなす一人の少女を見て、俺は――
思わず息をのんだ。
そう、フェンリルの背に乗っていたのは、かつて無人島で出会ったシーナだった。
だが、シーナは確か魔王ファミリス・ラリテイとともに。
「もしかして、お前は魔王ファミリス・ラリテイなのか?」
「……そのうまれかわりよ」
一瞬躊躇したが、魔王は確かにそう答えた。
「なら、ハルワタートって白狼族を覚えているか?」
「ええ、おぼえちぇいりゅわ」
「ならなおさら戦う必要はない! ハルワタートは俺の仲間だ」
「……じょうだん。あのこはまじめいっちぇちゅなこよ。かいぞくのなかまになんちぇなりゃない」
と言った。確かにハルは真面目一徹だ。俺だってハルが海賊の仲間だって言われても信用しないだろう。
だが――本当にこの戦いは無意味だ。
シーナ3号が巨大狼から飛び降りてきた。
「シーナ、あなたも戦いなさい。命令よ」
と突如、魔王の声が変わった。幼い女の子の声というのは変わらないが、小学生くらいの女の子の声になっている。
どこかで聞いたような声にも思えるが。
「はい、グランドマスター」
「待て、シーナ! 俺はお前たちと戦うつもりはない! お前からも魔王を説得してくれ」
「申し訳ありません、マスターイチノジョウ。私も本望ではありませんが、これもグランドマスターの命令ですので。あぁ、イヤダイヤダ」
というと、彼女の手が、まるでピオニアのように変形した。剣の形だ。
くそっ、本当に戦いは避けられないのか?
そうだ、マイワールドの扉を開いてハルを呼ぼう――甲冑を脱ぐのさえ待ってもらえれば――
「待ってっ!」
そう待ってもらえれば――ん?
シーナを止めたのは俺ではなく、魔王だった。
何故か魔王は頭を抱えて蹲っている。
「シーナ、今、あなた何て言ったの?」
「イヤダイヤダと」
「その前」
「グランドマスターの命令ですので」
「もっと前」
「申し訳ありません」
「その後!」
「マスターイチノジョウ」
「それっ!」
と魔王は言った。
「イチノジョウ?」
と魔王が俺に尋ねた。
「そうだが?」
「楠イチノジョウ?」
「いや、まぁ、この世界ではイチノジョウだけで通しているが……ん?」
なんで俺の名字を魔王が知っているんだ?
シーナから聞いたのか? あれ? そもそもシーナに俺の名字を話したか?
「……甲冑を脱いで」
「……あぁ、わかった」
脱がせてもらえるのなら助かるが、一体なんのつもりだ?
と俺は鎧を外し、そして兜を外したところで気付いた。
魔王の姿がどこにもないことに。
否、魔王が俺に向かってとびかかってきていることに。
――しまったっ!
ここまで接近を許せば攻撃される。
そう思ったとき、魔王の体が闇の力で爆発し、銅の甲冑がはじけ飛んだ。
自爆っ!?
いや、それにしては威力が小さいし、目くらましかと思ったその時だった。
「おにいっ!」
と闇の中から現れたのは――
「おにいだ、本物のおにいだ! おにいおにいおにい、何勝手に死んでるのよバカっ! 本当に本当に本当に本当に本当に心配したんだからねっ!」
「ミリっ!? お前ミリなのかっ!?」
「そうだよ、おにいは妹の顔も忘れたのっ!? 私はおにいのことを一度も忘れたことなんてなかったのに。なんなの? バカなの? 死ぬの?」
――あぁ、この闇っぷりは、確かにミリだ。
俺が中学校の修学旅行から帰ってきたときも、ここまでではないが似たようなリアクションをとってたし。たった二泊三日の旅行だったのにな。
「って、えぇぇぇぇぇぇ! なんでお前もこっちにいるんだよっ! なに? お前も死んだの?」
「死んでないよ! 富士の火口で自分に火をつけただけ」
「それって死んでるだろうがっ! なんて馬鹿なことを」
「あぁ――おにいは知らないんだよね。おにいは死んでいないの。それより、おにい、怪我はない! あ、ここ怪我してるじゃん、どうしたのよ」
「さっきお前にやられたんだ」
「じゃあ仕方ないね」
「謝れよ」
「仕方ないじゃん! おにいが南の島からポートコベに向かっているって聞いて、海賊に遭遇したら危ないって思ったから海賊全部潰しちゃおうって思ったんだよっ! おにいのためにやったことだからノットギルティーだよ」
「ギルティーだよっ! って、なんだ、これ。さっきまで死ぬかもしれないと思っていたのに、今、俺かなり幸せだ――」
「私もだよ、おにい――本当に会いたかった」
俺の胸に身を寄せて目を閉じるミリを見て、俺は笑みがこぼれる。
こいつには日本で幸せに暮らしてほしいと思っていたのに、本当にそう思っていたのに、ミリにこうして再会できて俺は本当にうれしかった。
もちろん、いろいろと聞きたいことはあるんだけれども。
「グランドマスター、いつまで待てばよろしいのでしょうか?」
そんな俺たちを、シーナと、そして巨大狼がじっと見つめていた。
現在東京にいて、何もすることがないのであと一話更新します。