凄いぞピオニア
昨日の会談の翌日。
今日の午後三時から昨日と同じ場所で話し合いが執り行われるということで、正午に俺たちの船を停泊させている入り江に行くことが決まり、その間、俺は仕入れたあるものを持って、マイワールドに行った。
俺がマイワールドに入るなり、真っ白な毛並みの馬――フユンに乗ってやってきたピオニアが俺を出迎えて恭しく頭を下げた。どうやらフユンの奴は長い時間このマイワールドでピオニアと一緒にいたために彼女にも心を許したようだ。今まではハル以外はその背に人を乗せようとなんてしなかったのに。
「マスター、お待ちしておりました」
「お待ちしておりましたって……お前、これ……昨日まではなかっただろ」
「ええ、昨日までは造船小屋の中にありましたので。今朝方完成し、ここに運び出しました。お気に召しましたか?」
「……いや、まぁ凄いとは思うけどな」
そこにあったのは、俺たちが今乗っている船の五倍くらいの大きさのある巨大な帆船だった。
「でも、もう船に乗る機会なんてないと思うぞ?」
「そうですね――それならばこの世界に海を創りましょう。マスターからMPを三千万ほど調達できれば海も作れます」
「そんな目的で海を作られても――と、そうそう、言っていたものを持ってきたぞ」
と俺はバケツに入ったそれをピオニアに渡した。
それは薄茶色い半透明の小さな球形の魚卵だった。河口付近の浅瀬で網で掬えば簡単に手に入る受精卵であり、かつてマリナが生け簀を作りたいと言っていたことがあり、その時のことを思い出してピオニアとキャロに相談。キャロの情報で河口にあるこの魚卵を採取したというわけだ。
ピオニアはバケツを受け取ると、じっとそれを凝視する。
「どうだ? なかなかのものだろ」
「ええ――」
とピオニアは首肯し、手を変形させた。まるで指先がピンセットのように細くなり、次々に卵を取り出してはそれを地面に落として踏みつぶしていく。
「ピオニアっ! 何してるんだっ!?」
「これらの中に有害な寄生虫のいる卵を発見しました。魚卵に卵を植え付けるタイプの寄生虫で、これらの卵は孵化することがありません。魚卵が貝に食べられることでその貝の中で成虫になります。もしもその貝を人間が食べてしまえば、死ぬことは滅多にありませんが、三日三晩高熱に浮かされ、三週間は下痢、嘔吐の症状に見舞われます」
「き、寄生虫――悪い、そこまで考えていなかった」
確かに海の魚と違って川の魚は寄生虫が多いって言うもんな。
卵にまで寄生虫がいるとは思っていなかったが。
「いえ、そのために私がいるのですから問題ありません。マスター、残りの卵は問題ありません」
とピオニアがバケツを返した時、卵は最初から三割程減っていて、ピオニアの足元には潰された魚卵が濁った色で残っていた。
「これを以前作った、水草のある生け簀に入れたらいいのか?」
「はい、ですが水温の調整も必要ですので、私がやっておきます」
「じゃあ、頼むよ」
と俺は再度バケツをピオニアに渡した。
「これで焼き魚とか食べられるようになりそうだな。さすがに川魚だと刺身とかは無理かもしれないが」
「いえ、寄生虫は除きましたので、マスターの仰るお造りも可能です――醤油も作ろうと思えば作れますし」
「醤油が作れるのかっ!?」
「ええ、可能です。醤油に関する知識は数百年前より迷い人によりこの世界に伝わっております。ただし醤油の文化が広がらず、次第に衰退し、今ではその名が一部に残っているものの製法は失われました。しかしマスターキャロルより、大豆をいただいておりますし、コウジカビも――マスター、アイテムバッグからパンを出していただいてよろしいでしょうか?」
「ん? あぁ――」
と俺は言われるがままに堅いパンを取り出す。携帯食のセットとして買ったがあまりにも硬くて残したパンだ。
「これを使ってコウジカビを作れるのか?」
「いえ、正確にはもうこの中にコウジカビが存在します。ただし、この状態では醤油作りに適したコウジカビではありませんので、変異させることにより、ショウユコウジカビに近い菌を作ります――ざっと三カ月を見積もって貰えれば醤油が作れるかと」
「三カ月もかかるのかっ!? いや、菌の変異とか、しかも醤油を作るための時間とか考えたら三カ月って破格の時間か」
ショウユコウジカビが最初からある状態でも醤油作りって三カ月くらいかかるんだし。
「じゃあ、頼むわ」
「はい、了解しました」
「じゃあ、どうするかなー。魚醤とかで刺身ってどうなんだろ?」
醤という字が入るくらいだし、きっと刺身にも合うと思うんだよな。
いっそのこと作ってみるか。
「マスター、魚醤でのお刺身は私はお勧めいたしません。魚醤は生臭いものですから、生臭い生魚と一緒に食べることで、三角コーナーを用意しないといけません」
「ぐっ、それは聞いておいてよかった」
なんでピオニアが三角コーナーの存在を知っているのかは疑問だが、ワサビも土生姜もない現状、生臭い×生臭いの生臭い二乗の料理は食べられないな。
「じゃあ、俺は行くわ。あ、そうそう。シジモンエビって知ってるか?」
「はい、西大陸南部名産の奇跡のエビですよね? その身は肉厚で、焼いてよし煮てよし揚げてよしの大変美味なエビだと聞いたことがあります。それが何か?」
「そのエビの卵が手に入ったら、ここで育てることってできると思うか?」
「シジモンエビは産卵時以外は深海に生息していますし、海水の用意も必要ですから、マスターからMPを千ほどいただけたら」
「たった千でいいのかっ!?」
たった、というのはどうかと思うが、それでも俺の職業を全て元素魔術系の最高レベルにした場合の最大MPは優に千は超えている。
そうか、可能なのか。
まぁ、それを育てて売りさばけばポートコベ、ポートイサカ双方に大きな被害が出るだろうが、個人で楽しむ分にはいいだろうな――味さえよければ。
問題は卵が手に入るかどうかか。
「とりあえず、MPを1000ほど取ってくれ。でもエビの卵はそれほど期待しないでくれよ」
と俺は魔術系の職業になり、上着を脱いでピオニアに背中を向けた。
「よろしいのですか? これから大切な会談だと聞きましたが」
「なに、昨日のあの俺の様子を見て攻撃してくるようなやつはいないさ。仮にいたとしたら剣でなんとかするよ」
「かしこまりました――それでは――」
とピオニアは俺の背中を優しく揉むようにし、背中にある汗腺からMPを吸い上げていく。この脱力感とマッサージのような手の動きは気持ちいいが、やりすぎると魔力枯渇で立てなくなるんだよな。
そして、十分後。
肩や背中の凝りが解れたころ、
「マスター、MP1000、確かにいただきました」
と言ったので俺が振り向くと、ピオニアが舌で唇をペロリと舐めた。
「口で食べたわけじゃないのに唇を舐める意味はあるのか?」
「雰囲気です」
ピオニアが即答した。
こういうところは本当に人間っぽいんだよな。下手をすればハルよりも冗談がうまいかもしれない。そういえばシーナも似たような雰囲気があったっけ。
「じゃあ、俺はそろそろ行くわ」
と立ち上がろうとすると、少しよろけてしまった。
「マスター、大丈夫ですか?」
「悪い悪い、ちょっと立ち眩みがしただけだ。動く分には問題ないし、すぐに良くなる」
俺はそう言うと、笑顔で手を振り、そして扉を潜って借りている漁業組合が運営する釣り宿に戻った。
すると、部屋に戻るや否や、
「イチノ様。先ほどからハロックさんがイチノ様に会いたいと隣の部屋でお待ちです」
「そうなのか? わかった――時間まではまだあるよな?」
「はい、なんでも急ぎ用事があるとか」
急ぎ用事?
一体なんなんだ?
俺は部屋を出て、隣の扉をノックした。
「これは先生、お忙しいところ押しかけてすみません」
「いや、別にいいんだが、一体どうしたんだ?」
「それが、ポートイサカにいる仲間から伝書カモメが届きまして」
伝書カモメ? 伝書鳩みたいなものだろうか。
とても気になったが、そこを掘り下げられる雰囲気ではなさそうなのでスルーする。
「実は、ポートイサカの海賊の奴ら、とんでもない傭兵を雇ったとかで、こちらに一騎打ちを仕掛けてくるかもしれないんですよ」
「傭兵? そんなのありなのか?」
「本来はそれに対して注意をしたいところなんですが、あっしらも……ねぇ」
確かに、やっていることはこっちも同じか。
「まぁ、傭兵相手には負ける気はしないが」
「油断しないでください、仲間からの情報によると、その傭兵はひとりの仲間の援護があったとはいえ実質ひとりで海賊数十人を相手に大立ち回りを演じ、無傷で海賊のアジトを制圧したんですから」
「……それは凄いな」
確かに油断はできないかもしれない。
しまった、こんなことならピオニアにMPを渡すんじゃなかった。ただ、職業を魔術師から剣士系に変えると、MPもそれに応じて下がってしまい本格的な魔力枯渇を引き起こす可能性が高い。つまり、この状態で戦うしかないってわけか。
「まぁ、大丈夫だろ」
と俺は気楽に答えた。
いざとなれば、その時は奥の手を使うまでだ。
火曜日は更新できずにすみませんでした。次回も来週の金曜日になりそうです。
アイコレ5巻の締め切りが近いので。
それと、成長チート4巻の発売日が決まりました。
9月22日発売です。
3巻ほどではありませんが、書き下ろしも豊富です。
たとえば、ミリとDT勇者鈴木のファーストコンタクトのお話とかも……