次に目指すべき職業が決まった
こういう時、ヘイトの回収は急いだ方がいいんだよな。悪即斬か。
「ん? 怒ってるのか? なんならやるか?」
男はそう言って腰の剣をチャカチャカと鳴らす。
「ご主人様、彼の狙いはご主人様を怒らせて、自分を殴らせ、犯罪者にすることです。冒険者ギルド内で剣を抜くだけでも下手したら冒険者ギルドメンバーから抹消される恐れがあります」
「……わかっている」
ハルに言われて平静を取り戻し、相手の職業とレベルを確認する。
【拳闘士:Lv18】
なるほど、本当に戦いとなったら自分は剣を抜かずに戦える。腰にある剣は飾りというわけか。
マーガレットさんも元拳闘士だって言ってたな。
「セリスロ風情がわかってるようなことを言いやがって」
「……セリスロ?」
そういえば、山賊もハルのことをセリスロって呼んでいた。
「セリスロは獣人族の蔑称です。セリアンスロゥプ……セリアンが野生動物という意味でして、アンスロゥプが人間という意味です。獣人と野生動物とは大きく異なりますので、近年は使われなくなったのですが、各地で蔑称だけは残っているんです」
はぁ、なんてひどいことを言いやがる。
許されないな。ていうか、受付嬢のカチューシャだって獣人なのに、よくそんな事を大きな声で言えるな、こいつ。
「ご主人様、私は何を言われても平気ですから」
ハルが言う。そんな悲しいことを言われると胸が痛い。
だが、その通りだな。ここで俺が怒れば相手の思うつぼだ。
「あんた、もしかして、ハルを買いたいと言っていた貴族の部下か何かか?」
「あぁ? なんのことだかわからないねぇ」
ニヤニヤと笑う男。あぁ、まぁそういうことだよな。
「ただ、風の噂によると、白狼族の奴隷を買いたいと言っている貴族は冒険者ギルドに強い影響力があってな、その使いの者が9日後、この町に来るんだよ。そん時に白狼族が既に買われたって言ったら、その貴族にとっては最大の恥、何をするかわからねぇよな。例えば、暗殺者を雇うとか」
露骨な脅しだ。だが、本当にそんなことがあるかもしれない。
「ヒョロヒョロした腐ったニンジンのようなお前ならすぐに殺されちまうぜ」
「ご主人様」
ハルが押し殺すような声で俺に言う。わかってる、そんな挑発に乗るような俺じゃないって。
「奴をかみ殺す許可を下さい。私のことはともかく、ご主人様のことを侮蔑するなど万死に値します」
「待って待て! え、ハル、気持ちは嬉しいけど、ダメ! 命令! ダメだ! これは罠だって」
俺の命令に、ハルの尻尾がしゅんっとなる。
「カチューシャさん、魔石の買い取りはいいので、山賊の報奨金だけでも貰えませんか? すぐに出ていきますので」
「あ、はい。すぐに――」
カチューシャもギルド内で問題を起こされたら困ると思ったのか、すぐにお金を用意しようとして、
「おい、逃げるのか? なんなら舞台の上で戦ってもいいんだぞ?」
「どこで戦おうが一緒だろ。悪いが犯罪者になんてなっちまったら、故郷に残してきた妹に何を言われるかわかったもんじゃないんでね」
「あぁ? 知らないのか? 舞台の上で戦うということは決闘の場、例え相手を殺しちまっても、それが問題になることはない。ただし、武器の使用はご法度だがな。俺は剣だけじゃなく拳での殴り合いも得意だからよ」
剣をテーブルの上に置く。お前は剣士じゃなくて、拳闘士だろうが。
自分にとって優位な場所で戦いたいってことか。
「昨夜連れてこられた盗賊には賞金がかかっていました。こちらが盗賊退治の報奨金、8000センスになります」
「ありがとうございます」
10枚に束ねられた銀貨を8つ受け取った。80万か。結構な大金だ。
そして――、
「カチューシャさん、舞台ってどこにあって、誰でも使えるんですか?」
「え? 舞台はギルドの裏にあって、冒険者ギルドメンバーだけが使えますが、同パーティーの方も使えますので、イチノジョウ様も使うことが可能です」
「ご主人様、私に命令してください。私が戦いましょう」
「剣での戦いでハルが負けることはないと思うが、剣が使えないとなると、相手は拳闘士だ、ハルでも厳しいだろ」
俺が相手の正体を見抜くと、男の顔色が変わった。
そして、
「今日は勝負を受けない。でも、その貴族の使いが来るまであと9日あるんだろ? 余計なちょっかいをかけなければ、それまでに一度戦ってやるよ」
俺はそう言うと、ハルと一緒に冒険者ギルドを去って行った。
ヘイトの回収は早い方がいい。でもな、それ以上にヘイトを回収するなら圧倒的にしないといけない。
圧倒的にな。
「ハル、拳闘士になるにはどうしたらいいか知ってるか?」
「木こりがレベル5になれば斧使い、レベル7になれば槌使い、レベル10になれば拳闘士になれると聞きました」
木こりは重装備、肉体強化設定か。
まぁ、チェーンソーとかない世界だから筋力は絶対に必要だろうが。
「よし、飯を食ったら迷宮に行くか」
ハルの案内で、銅貨20枚くらいで美味しい魚料理が食べられる店がないか聞くと、彼女は町外れにあるレストランへと案内してくれた。
店の前で俺は前もって確認しておくことにした。
「えっと、ハル、俺、こういう店入るの初めてなんだけど、チップっていつ渡せばいいかわかる?」
日本では料理の代金だけを支払えばいいのが普通だが、欧米諸国ではチップを支払う店が多い。近年は減ってきているそうだが。
「ご主人様、あちらの看板をご覧ください」
ハルの視線の先の看板を見る。
手のマークと銅貨のマークが一つの円の中に描かれており、大きくバツが上から描かれている。
「あちらのマークがチップフリー、従業員は給料制になっていて、食事の代金にチップの代金が含まれています」
「へぇ、そうなんだ」
「チップフリーにすると、従業員の質が低下する可能性があるというデメリットもありますが、それ以上にチップによる問題が起こりません」
なるほどなるほど。
「じゃあ、入ろうか」
「はい」
そして、俺とハルの二人が店に入って行く。
大衆食堂以上、高級レストラン以下、そこそこオシャレなイタリアンの店という感じの雰囲気の店だ。奥にはテラス席もあるみたいで、その奥には庭も見える。
ちょうど空いているようなので、店員さんに頼んでテラス席に案内してもらった。
そして、椅子に座り――
「ハルは座らないの?」
「申し訳ありません」
彼女はそう言うと、その場に座ろうとして、
「待って待って、そこじゃなくて椅子に――」
「よろしいのですか?」
「いや、そこに座られるほうがよくないよ。女性を地べたに座らせるなんて」
「奴隷は通常、主人と同じ席に着かないものですが」
「店の禁止事項?」
「そういうわけでは――」
「じゃあ座って。俺は通常じゃないから」
「かしこまりました」
ハルはようやく椅子に座ってくれた。
ウェイターが水を運んできて、俺の前に置いた。
「水って無料なの?」
「はい、無料ですね」
「なんで俺の前だけ?」
「水は食事をする人だけに提供されますから」
……なるほど、彼女が同じ食事をすると思わなかったわけか。
奴隷の扱いについて認識しながら、俺はメニューに視線を向け――メニューをそのまま閉じた。
読めない!
ただ、メニューの右側が全部数字っぽいんだよな。
ならば、一番高いメニューでも三桁の数字だ。銀貨10枚あれば足りる。
テーブルの上に置かれた呼び鈴を鳴らしてウェイターを呼ぶ。
「シェフのお勧めの品を二つ、一つは彼女の分で彼女も客だから水を持ってきて」
「かしこまりました。少々お待ちください」
ウェイターが去って行き、ハルが「よろしいのですか?」と尋ねる。
「これから迷宮に行くのに空腹だと困るだろ。というか、迷宮に行かなくても、ハルにはおいしいご飯を食べてもらいたいしな」
笑顔でそう言いながら、俺はどうやってあの拳闘士の男を爽快に倒そうかと考えていた。