前哨戦の不安
海岸から船を運び、船に飛び乗った俺は、後ろからついてくるキャロに手を伸ばした。
キャロは俺の手を掴むと船に乗り移る。
「足がびしょびしょですね」
「あぁ――本当に靴が二足あってよかったよ」
ゴマキ村で登山用の靴を買っていたから、今回はそれに履き替えて走った。
海岸を走って怪我したら大変だからな。結構大きな石とかあったし。怪我は回復魔法で治療できるけど、傷口から変な細菌が入ったら大変だ。
無人島には当然医者も病院も無いんだから、細菌感染がそのまま命取りになることもある。
俺が靴を脱いで裸足になると、キャロも俺に倣って靴を脱いで、船の外に水を落とす。
キャロの小さな足が露わになった。
「さて、漕ぐか」
「イチノ様、私が漕ぎましょうか?」
「いんや、手漕ぎボートを漕ぐのは男の役目って決まってるんだよ」
と俺はしっかりとオールを持って漕いだ。
「手漕ぎのボートは五年ぶりくらいかな――俺が中学卒業してすぐだったから」
当時はミリはまだ小学生だった。春休み、両親が仕事でいない日にふたりで公園に行ってボートを漕いだ。
ミリは小学生のくせに、「もう、おにい。ミリはもう子供じゃないんだから、こんなので喜ばないよ」と言っていたのは今でも印象に残っている。
あの時は小さな池がとても広く感じられたな。池の対岸に着いたころに、予定時間の一分前となり追加料金を払うことになりそうになった。謎の突風が吹いてボート乗り場まで戻されなかったら本当に危なかった。そして、その突風でミリは船酔いしたのか、かなり疲れた様子だったのも覚えている。まるで魔力枯渇になりかけの俺みたいに疲れていたっけか。
まさか、その俺が今度は手漕ぎボートで大海原に出航することになるとは思いもしなかった。
幸い、波は穏やかで船の揺れも少ない。馬車に乗っているほうが揺れるのではないかと思うくらいだ。
もしも全部終わって帆船での移動になったら、釣りでもしながらのんびりと旅をするのも悪くないかって思えてくる。
ステータスが上がっているおかげか、船を漕いでも全然疲れないし、速度も日本でボートを漕いだ時よりはるかに速い。
どのくらい船を漕いだだろうか? 島影もだいぶ薄くなってきた。
「さて、ここで待つか――」
一番の問題は、どこから魔物が現れるか――だ。
島の周りに現れると言っていたが、詳しい場所は聞いていない。反対側に出現したら厄介だが、これだけは賭けだった。
ただ、キャロが言うには、なんとなく人外迷宮の中で、南東のほうに魔物が湧きやすいということに気付いたので、北東に船を進めた。
なぜ南東ではないのかと言うと、船の真下から魔物が現れたら迎撃する暇もなく撤退するしかなくなるからだ。
「キャロ、海に住んでいる厄介な魔物ってどんなんだと思う?」
「そうですね、有名な伝説の魔物だと大海蛇ですね」
「でっかい海蛇か――」
「あと目撃例がある魔物といえば、歌で船を沈めるローレライという精霊や、角の生えた島程の大きさのある一角鯨、船食いと恐れられるビッグブラックシャークなども有名です……が、これらは魔王が倒せないと言うほどではありませんね」
「島程ある一角鯨ってのは俺でも倒せる気がしないんだが」
「大丈夫です、弱点は雷ですから、イチノ様ならブーストサンダーで余裕です」
……キャロの俺への信頼が高すぎる。島くらいの大きさの魔物はやっぱり倒せないと思うが。
「他にも神話には海の魔物は多いですよ」
「そうなのか?」
「はい。クラーケンという巨大タコや、あとは――」
とキャロが何かを言いかけた時だ。
波が動いた――まるで吸い込まれていくように船が押し流される。
「気配が――ちっ、これは予想外だ」
索敵スキルにより魔物の気配を捉えた結果、俺はそれを見てしまった。
鮫がトビウオのように海面に現れて飛んだ。
「イチノ様、これが例の魔物ですか?」
「違う! スラッシュ!」
わずかにMPを消費するが、魔法を使うよりはマシだ。
船めがけて飛んでくる鮫を俺は手刀によるスラッシュの斬撃で撃ち落とした。
そう、鮫はそれだけで死んだ――こんな雑魚が魔王でも倒せない魔物なわけがない。
それに――
「まだ来るぞ」
鮫だけじゃない、多くの魔物が海面に上がってきたのだ。海底付近にいて索敵にひっかからなかった魔物たちが。
おそらく、シーナ3号の言う魔物が復活した。
その結果、海の中の魔物たちが恐れをなして海面に逃げてきた――そして興奮した魔物は見慣れぬ敵――つまりは俺たちへと襲い掛かってくる。
「勘弁してくれ、まっすぐ逃げてくれよっ! スラッシュ!」
またも船に突撃してきた、今度は巨大なタコ(クラーケンではない)をスラッシュで叩き斬る。タコのスミが海に大きな染みを作るが、それを洗い流すようにまたも鮫が現れる。
これじゃ本命の魔物が来る前にMPが無くなるぞ。
かといって剣が届くまで敵の接近を許せば、こんな小船、一瞬で沈められてしまう。
思った以上にピンチだった。