ケット・シーの村をあとにして
帰り道も、フラットラット惨殺事件の余波が残っているため、魔物に出くわすことなく、迷宮を抜けることができた。経験値的には少し残念な気もするが、ネズミはあまり好きではないし、ボクサーの職業を解放することもできたし、よしとしよう。
俺たちが一週間、この里に滞在することになったのは、この迷宮にケット・シー以外の人を入れるのは初めてのことであり、その許可を得るのに時間がかかったそうだ。もしも国王が生きていたら一発で許可が出たのにと、ステラはぼやいていた。
この里ですることも終わったので、俺たちは明日にでも里を出るつもりだとステラに話したら、ステラは少しうつむき、そして笑って顔をあげ、「それにゃら、送別会をするニャ。みんにゃで楽しむニャ」と言ってくれた。
「イチノさんに言っておくニャ。ルー・カンガを倒してボクサーの職業を入手できたと思うけど、その職業に変更するには、高レベルの神官の力が必要ニャ。伝授モンスターから得られる職業は普通の職業と違うのニャ」
とステラから説明を受けた。そういう説明は先に教えてほしいと思うかもしれないが、でも、俺の場合は違う。
(うん、問題ないな)
試しに拳闘士をボクサーに変えてみたところ、問題なく変更可能。
無職の職業変更スキルに死角はなかったようだ。
その後、俺は迷宮を脱出し、そして、あいつらと出会った。
「ジョー、こっちだこっち、一緒に飲もうぜ!」
「ジョー、こっちこっち! 一緒に飲みましょ!」
ジョフレとエリーズは、ケット・シーたちと一緒になって酒宴を開いていた。
俺達が迷宮に潜っている間に、ほかのケット・シーたちと打ち解けたらしい。
フリオとスッチーノ、そしてミルキーもいて、全員が酒を飲んでいるようで、顔が赤い。
唯一酒に手をつけていないのは、ケンタウロスくらいだろう。ケット・シーたちが笑いながらケンタウロスの体をバンバン肉球で叩きながら、果物をたくさん与えていた。
「この世界って、酒は何歳から飲んでいいんだ?」
「何歳、という決まりはありません。周囲から大人と認められたらお酒を飲むことができますが、15歳前後から飲み始める人が多いそうです。お酒を飲むと身長が伸びなくなると言われていますから」
「そっか……じゃあキャロにはまだ飲ませられないな」
「ご主人さま、キャロは17歳ですよ」
「俺の中でキャロは18歳になるまでは子供だから。それに、俺の国だと20歳になるまでは飲酒は禁止されているからハルもできればあまりお酒は飲まないでほしいな。どうしても飲みたかったら俺とふたりきりの時だけにしてくれ」
束縛するダメ男みたいな言い方だが、あのハルの状態を他の男に見せるなんて死んでもごめんだからな。
「どうしよ、エリーズ。ジョーに俺達の声が聞こえてないみたいだぞ」
「本当だね、ジョフレ。やっぱりケット・シーの里だから、猫の言葉で話さないといけないのかもね?」
「どうしよ、エリーズ。俺、猫の言葉なんてニャーとニャンしかわからないぞ! しかも意味はわからない!」
「どうしよ、ジョフレ」「あ、 でも、ジョーとハルの会話、俺たち理解してなかったか?」
「本当だ! ということは私たち、猫の言葉をマスターしたってことかな? 猫語の学校を開けるね!」
「それは名案だな、エリーズ! となれば、まずは校歌を作らないといけないな!」
「校歌を歌って生徒を集めるんだね! ローレライだね!」
はしゃぐふたり。
ローレライの歌は船乗りを破滅に導くものであって、その例えを使えば、ふたりによって集められた生徒は漏れなく破滅することになるのだが。でも、ふたりに猫語を教わっても時間の無駄であり(そもそも猫語なんて使えないし)、集められた生徒は本当に破滅に導かれかねないな。
ジョフレとエリーズは、もう無視したかったが、そういうわけにもいかないだろう。
「猫語じゃないよ。普通に無視してただけだ」
「そうか、よかった。ところで、ジョーはなんでここにいるんだ?」
「仕事だよ。お前らこそ、なんでここにいるんだ? 街道を塞いでいた土砂の撤去に行ったんじゃなかったか?」
「そのつもりだったんだがよ、チノがミッケと出会ってな」
「チノ……あぁ、スッチーノか」
「そうそう。それでよ、ミッケを次の王にすることができたら莫大な報酬が手に入るという話を聞いて、俺たちがやってきたってわけだ。王を決める戦いでは五人の戦士が必要だそうだからよ」
「なるほど、それは大変だな」
おもに大変なのはミッケのほうだろう。
王を決める戦いについては俺もステラから聞いていた。
戦いは二週間後。王になる意志のあるケット・シーが、種族を問わず五人の部下を従えて戦う。
「ジョーも出るのか?」
「いや、俺たちは出ないよ。ステラが王になるために戦うって言うのなら話は別だが、あいつは出ないそうだからな」
ステラは王になる道を拒んだ。
王がおいしかったと言ったマタタビワイン、それを今度は自分の力で造るのだと言って。
「俺たちも明日には発つ予定だ。転移陣のひとつが、土砂崩れの向こう側に通じているそうだからな。」
「そうか。俺達の戦いを応援してほしかったんだが、残念だ」
「元気でね、ジョー、ハル。私たち、いつまでもあなたたちのこと忘れないから」
まるで永久の別れみたいなことを言うエリーズ。絶対、こいつらとは近いうちにどこかで会う。
そんな予感がして仕方がないのだが。
そして、俺は市場で物々交換の値切り交渉をしてケット・シーの商人を泣かせているキャロと合流し、おれの世界で反省しているマリナを呼び戻し、ジョフレたちと合流して宴会を楽しんだ。
もう俺たちの送別会だか、ジョフレたちの歓迎会だかわからないが、それでも全員が笑った宴だった。
そして翌日ーー
「ステラさんステラさんステラさんステラさんステラさんステラさん、絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対また来ますから!」
泣きながらステラに抱きつくマリナに、ステラは遠い眼をして、
「わかったから早く行くニャ」
と、まるで夫の愛は変わらないのに、自分だけ愛が冷めてしまった妻みたいなことを言った。
ジョフレたちは二日酔いで動けなくなっているから見送りにこない。
キャロも、荷物の整理がしたいからと俺の世界の中で何か作業をしているので、ここにいるのは、俺とハルとマリナ、そしてステラだけだ。
「依頼の荷物は私が責任を持ってフェルイトのギルドに届けるニャ。一週間くらいすれば、ハルさんのギルド証に入金されるはずニャ」
ギルドから受けた採取依頼に関しては、霊が落とした石の他は里で手に入るものばかりだったので、すべて集めてステラに預けた。
「悪いな、なにからなにまで」
「気にしにゃいで欲しいニャ。私のほうが数百倍世話ににゃったニャ」
「いや、俺も楽しかったよ。じゃあな」
俺が手を振ると、ハルも頭を下げて礼をいい、マリナは後ろ髪をひかれるように何度も振り向きながら、転移陣を潜った。
そして──
【スキル「××××」が発動しました。強制転移を発動します】
何か変なシステムメッセージが聞こえた気がして、急に不安になった。
俺はその不安を打ち消すために目の前の光景を見た。
打ち寄せる波、白い砂浜、気分は南国だ。
「きれいな海岸線だな。港町も近そう……で?」
俺は海岸沿いにいた。だが――
「あれ? ハル? マリナ?」
一緒に入ったはずのハルとマリナがそこにはいなくて……足元にあるはずの転移陣も存在しなかった。
どうして?
転移陣は、転移陣から転移陣へ移動する手段のはずなのに。
(そうか、砂の下!)
もしかしたら、砂の下に転移陣が埋まっているのかもしれない。
俺はそう思い、手で砂を掘る。
掘る、掘る、掘る。
だが、転移陣も何も見つからない。
その時、波が押し寄せて、掘った穴の中に水が流れ込んでいった。
爪に砂が入り、指先が擦り剥けているのを確認し、俺は嘆息をついた。
プチヒールを使い、指先を治療した。
どうやら潮が満ちてきたようだ。
くそっ、こういうときこそ合理的に判断しろ。
ここでじっとしていても何も起こらない。
(とりあえず、海岸沿いを歩くか……)
海の反対側には鬱蒼と茂る森があるが、そこに入る気にはならなかった。迷うのが目に見えている。
俺はアイテムバッグから羊皮紙と筆とインクを取り出す。魔記者のレベルを上げるためにフェルイトで買っておいたものだ。羊皮紙の上にインクでハルにメッセージを残す。
この世界の文字を書くことはめったにないが、共通言語把握スキルのおかげでスラスラと書くことができた。
『ハル、マリナへ。俺は南を目指して歩く。イチノジョウ。これを見つけたら追ってきてくれ』
そう書いた紙を俺の腕に何度も擦りつけ、枝に括った。
これなら、ハルの嗅覚で見つけることができるだろう。
そして、太陽を見た。朝日が水平線の向こうにあるというのなら、南は右側だなと思って歩く。
海岸沿いをひたすら歩く。
嫌な予感がした。
たいてい嫌な予感は当たる。
でも、俺はひたすら歩き続けた。
そして――俺はそれを見つけた。
俺が括りつけた、その紙を。
それを見て、俺は確信した。
ここは、島なんだと。
無人島脱出編がはじまります……といっても、サバイバルー! という感じはあまりないですけど。