ミリの冒険⑪
ミリとノルンは、ゴルザとともに登って来た螺旋階段とは違う階段を下りていく。そこは一階に通じておらず、そのまま地下へと続いているようだ。
ゴルザの表情は、ノルンが思っていたほど暗くはないように思えた。
黒メダル504枚、5040万センス。ノルンの中では人生30回~50回、仕事をせずに暮らせるだけの額であるにもかかわらず。
そのことをノルンがそれとなくミリに尋ねると、
「あれは一種のショーなのよ。最強の博徒ゴルザと、一階で運よく荒稼ぎした一般人の……ね。勝っても負けてもよかったのよ。正直な話、5040万センスの負けなんてこの賭場にとっては大したものではないの」
「……え?」
「ノルン、気付かなかった? 二階には銀色のメダルと金色のメダルを持っている人がいたのよ。たぶんだけど、銀色は黒メダル10枚分、金色は黒メダル100枚分ってところかしら?」
ノルンはそれを聞いて、最初はなんのことかわからなかったが、すぐに気付き顔が真っ青になる。
黒メダル100枚、つまりは1000万センスという大金は、VIPエリアの一部の人にとっては出ることがあるメダルということだ。
あまりにも自分と違う世界に、ノルンは驚くとともに、VIPエリアと一般エリアが分けられているのは当たり前だと思った。
「最強の博徒……そう呼ばれたこともありましたが、今はしがない賭場のオーナーですよ。実際、今も貴女にこうして負けたわけですし」
「あら? さっきも言ったでしょ。私は負けたわよ。まぁ、ノルンのメダルは私が九割ほど貰うけど」
「え゛」
ノルンが抗議ともとれる声を上げた……がミリに睨みつけられて縮こまってしまう。
ノルンも全部自分の物になるとは最初から思っていなかったが、山分け、少なくとも三割は貰えると思っていた。
そして、ふたりがやってきたのは――
「……なんですか、ここ」
薄暗い広い部屋。中央にはどことなく、ギルドの闘技場を思わせる雰囲気のある舞台が照らされていた。
「地下闘技場よ。人間と魔物、時には人間同士を戦わせて、お金を賭けるの。まぁ、趣味の悪いショーのようなものね」
「……そ、そんな。そんな非合法なことが行われていいわけが――」
「忘れたの? ここは国営の賭場よ」
それはつまり、このショーは国のお墨付きということだ。
「それにゴルザのせいでもないわ。ここは少なくとも私やノルン、ううん、ゴルザが生まれる前から行われているんだから。賭場で作った借金を返せなくなり、奴隷になってしまった人。一攫千金を求める冒険者。多くの人がここで戦うの」
「……この場所はVIP席のお客様の中でも一部の人しか知らないはずなのですがね」
ゴルザは困ったように呟いた。
「心配しないでいいわよ。私がこの場所を知りえた方法は特殊だから。噂が世間に広まっているということはないわ」
「その方法とやらを教えてもらうことは――」
「秘密よ」
「かしこまりました」
ノルンは恭しく頭を下げるゴルザを見ていたが、場内に歓声が沸いた。
闘技場のほうを見ると、そこに鉄の剣を構えた――だが構えただけで、戦いに慣れているようには見えない男の人がゴブリン四匹に囲まれていた。先ほどはちょうど死角にいたため、ノルンの位置からは見えなかったのだが。
「これはゴブリンを何匹倒せるか賭けているのね。〇匹が2.1倍、一匹が2.4倍……ふぅん、つまりほとんどの場合、ゴブリンを全員倒す前に死ぬってこと」
「死……そんな」
「ノルン、あの男の黒い隷属の首輪見えるでしょ。あれは死罪が決まっている犯罪奴隷の首輪よ。同情することはないわ」
「ええ。彼は王都の貴族の屋敷で盗みを行い、裁判により死罪を言い渡されました。そして、私が引き取りました。ここで十回連続勝つことができれば恩赦が与えられます。これは二戦目ですが、一戦目で足を負傷しましたので、おそらくはここまででしょう」
「ちなみに、十戦生き残って死罪から免れた人はいるの?」
ミリの質問に、ゴルザは答えない。それが答えである。
死罪はあくまでも死罪。それでも彼らは一縷の希望を、自分だけは助かるのではという希望を持ち、最後まで戦う。そして、その希望が絶望に変わる瞬間を――彼らは食い物にしている。
今、男の背中をゴブリンの棍棒が直撃した。倒れ様に一匹ゴブリンを斬り殺すが、もはやそれまでだ。
残された三匹のゴブリンに滅多打ちにされ、血が舞台の上に飛び散る。そして、ゴブリンたちはその腕を、足を、首を引きちぎり、むさぼりつくように食べ始めた。ゴブリンは共食いはしない。何故ならゴブリンの肉は美味しくないから。そして、埋葬という概念すら持ち合わせていない彼らはつい先ほどまで共に戦った仲間の死骸には目もくれず、その男の骨を残して食べ続けていたが、フル装備の冒険者風の男たちが来て、ゴブリンを檻の方へと追いやっていく。一瞬だけ冒険者のほうに殺気を向けたが、男たちがつけた魔物避けの香のせいで檻の中へと追いやられていく。死体を最後まで食べさせないのは、せめて亡骸だけでも弔うため、などではない。ゴブリンは常に空腹状態にさせておかないといけないためだろう。彼らは常に飢え、死と隣り合わせの状態にさせている。人間と戦わせるために。
「……ひどい」
ノルンがぽつりと呟く。
彼女の感性はマトモだと、ミリは思った。
少なくとも、人が殺されるのを笑顔で見ている貴族の男。顔を僅かに背けながらも、実は笑顔でその戦いを見ている貴族の女。
彼らは人を人と見ていない。貴族は生まれながらに貴族。王族は生まれながらに王族。そう植え付けられてきたため、彼らは自分たちはほかの人間とは違う生命なのだと本気で信じているのだ。
男の亡骸は職員たちが回収していき、タキシードを着た男が、生活魔法「浄化」を使い、舞台を洗い流した。血のあとがきれいになくなる。
「……ミリちゃん、なんで私たち、ここに来たの」
「ちょっとある人を探しに……ね。観客席にいないってことは、やっぱり選手として出るのかしら。ゴルザさん、次の対戦は誰と誰かしら?」
「そうですね、今から出てきますよ」
ゴルザが闘技場を指さした。
ひとりはフードを被っていて顔は見えない。が、体の細さからして女性のように思われる。
そしてもうひとり上半身裸の巨漢の男が現れた。武器は斧、首には黒色の隷属の首輪が着けられている。死罪を言い渡された犯罪奴隷だ。
「………………あ」
その男を見て声をあげたのは、他でもないノルンだった。
その顔は、髪の色同様恐怖で青ざめ、足が小さく恐怖で震えている。
「ノルン、知り合いなの?」
ミリの質問に、彼女は小さく頷いた。
ノルンが暫く答えられないと思ったのか、ゴルザが説明をする。
「彼は盗賊だった男です。職業は山賊。とある冒険者に捕縛され、死罪を言い渡されました。足の腱を切られて動けなくなっていましたが、法術師により治療され、ここで戦っています。現在八勝しており、あと二勝すれば恩赦が与えられます」
「そして、前に私を攫った盗賊団のリーダーです」
「……じゃあ、おにいが倒した盗賊ってあいつのことなの?」
ミリはノルンを見て返事を待つと、再度山賊の男を見た。
あの山賊と戦う自分の兄の姿を思い浮かべ――その想像の先ではボコボコにされる兄の姿があった。
ミリは一之丞と常にいたため、彼の強さを把握している。正義感を振りかざしてカツアゲしている男たちの下に飛び出し、逆に返り討ちにあったこともあった。そのカツアゲをしていた男たちにはミリが地獄を見せたのだが。
「……まぁいいわ。私が用事あるのはあっちの女性だし」
山賊の男に相対していた女性がフードを外し、その素顔を晒した。
白い肌、茶色い髪の若い女性だ
「オッズは、彼女が1.2倍、男が8倍……もうここで決めるのね」
ミリはオッズ表を見て呟くように言った。
「ええ、彼女の腕は確かですよ。もっとも、すでに投票は締め切りましたが」
「……そのようね」
もしも投票締め切り前だったら、ミリは全財産を彼女に賭けていただろう。
それだけ、目の前のふたりの実力差は歴然だった。
「そんなに強いんですか?」
ノルンはオッズ票に書かれた名前を見て、尋ねた。
「その、カノンさんという女性は」
その質問の答えは、試合開始の合図とともに告げられることになる。
魔剣士カノン。
ミリは知らないことだが、一之丞とも縁のある彼女の実力が、明らかになろうとしていた。
ミリの冒険の今章は次回で終わりです。
そろそろ本編に戻ります。