ケット・シーの村
ステラを見失うまでの時間は一瞬だった。
洞窟を抜けたときにはすでにその姿は豆粒程度にしか見えず、さらに森を戻っていくと見えなくなった。あんな小さい姿で素早く動かれて見失うなというほうが無理だ。ここはハルの鼻に頼って案内してもらうしかないか。
俺がハルを呼ぼうとしたが、先にマリーナが俺に声をかけた。
「ステラが向かったのは、間違いなくケット・シーの里だろう。我が案内しよう」
「あぁ、そうか。マリーナは行ったことがあったんだったな、ケット・シーの里に」
それでマリナが暴走して、悪魔扱いされたんだったか。
「じゃあ、村の近くまで案内してもらって、マリーナにはそこで俺の世界にいてもらうか」
「うむ、それがよかろう。我が訪れたら、村は未曽有の大混乱に陥るだろうからな」
否定できない。
俺たちに好意的なステラですらあの反応だったんだ。俺たちをよく知らない人がマリーナを連れて行ったりしたら、悪魔が仲間を連れて訪れた! みたいな扱いを受けるかもしれない。
それは避けたいしな。
「ところで、マリーナ。ケット・シーの王様ってのはどんな奴なんだ?」
「数百年生きた巨大な黒猫だ。その大きさたるや、先ほどのブロンズドラゴンにも匹敵するだろう」
「……それはデカいな……マリーナは会ったことがあるのか?」
「うむ、マリナが暴れる前にな。爪とぎ用の板を献上したときにお会いしたことがある。とてもよき王だったな」
爪とぎ用の板って……完全にただの猫扱いだな。
いや、ブロンズドラゴン級にでかい猫のための爪とぎ板となれば、特注のものを用意しないといけないだろうから、やはり価値はあるのだろうか?
そんなことを考えていると、広い馬車道に抜けた。
「この道だ。途中、左右に分かれた道がいくつかあるが、左、右、左、右の順番に行けばケット・シーの村にたどり着く」
そこで、俺の世界への歪みを出した。
ハルとマリーナが俺の世界に入った。そして、ハルとともに出てきたのはフユンだった。荷台を牽引している。
歪みはその大きさに関係なく、どんなものでも出入りできるから便利だ。
ハルが御者席に座り、俺とキャロが荷台に乗り込む。
ついでに、アイテムバッグの中からマタタビの入った樽を取り出す。
「これをどう扱うかは全部キャロに任せていいか?」
「はい、キャロにお任せください、イチノ様」
うん、こと商売に関しては、本当にキャロは頼もしい。
キャロに任せておけば悪いようにはならないだろう。
馬車はマリーナの言う通り、道を真っ直ぐ進み、分かれ道を左、右、左、右の順番に進む。
すると、大きな広場のような場所と、普通の家をそのまま縮尺したような小さな家々が見えてきた。
ここがケット・シーの里か。
「止まるニャっ!」
「止まれニャっ!」
里の入口で、二匹の三毛のケット・シーが槍を構えて立っていた。
「入町税が必要ですか?」
こりゃ平民のレベルを上げるチャンスだな。
そう思ったら、
「お金はこの里では必要にゃいニャ!」
「この里ではお金は必要にゃいニャ!」
微妙に表現を変えているのはわざとだろうか?
どうせならきっちり揃えてほしい。
猫の顏の区別はつかないが、模様は同じだし、双子だと思うんだが。
「俺たちはステラと一緒にここに来たんですけど」
俺が言うと、二匹の三毛ケット・シーは、顔を見合わせ、
「ステラさまからそんにゃことは聞いてにゃいニャ!」
「そんにゃことはステラさまから聞いてにゃいニャ!」
これは面倒そうだな。
と思ったら、キャロが荷台から降りて、二匹のケット・シーに近付き、屈んで、何かを言った。
すると、二匹の三毛ケット・シーは顔を見合わせ、
「お客様は大歓迎ニャ!」
「大歓迎するニャ! お客様」
と手のひらを返したように歓迎ムードで出迎えてくれた。
その両手の肉球の上には、小さな皮袋が乗っていた。
それにしてもこの村。
にゃーにゃーうるさそうな村だな。
願わくば、語尾がうつらないことを祈ろう。
「ステラさまは国王様の元に向かったニャ」
「国王様の元にステラさまは向かったニャ」
「それで、その国王様はどこにいるんですか?」
俺の問いに、ふたりは初めて声を揃えて言った。
『あっちニャ』
だろうな。
なにしろ、他の家は1/2サイズなのに、里の一番奥にあるその建物だけは、ドラゴンが入っても平気そうな大きさだもんな。
「俺たちが入ってもいいのか?」
と尋ねたら、
「国王様に会うには、ステラさまに話を通してもらえばいいと思うニャ」
「ステラさまに話を通してもらえば、国王様に会えると思うニャ」
とまた微妙にニュアンスを変えて言った。
そして、俺は一番気になったことを尋ねた。
「ステラさまステラさまって、ステラはそんなに偉いのか?」
すると三毛のケット・シーは再び顔を見合わせて言った。
まるでそんなことも知らないのか? と言った顔で、
「ステラさまはもともとはケット・シー騎士団、灰色のにゃにゃ星の騎士団長ニャ」
「もともとケット・シー騎士団、灰色のにゃにゃ星の騎士団長ニャ、ステラさまは」
……ステラの奴、黒猫なのに灰色の七星のリーダーだったのか。それでいて、ステラが抜けてにゃんと六星になったと。
そして、二匹は「それと」と続けた。
「ステラさまは、国王様のひとり娘ニャ」
「国王様のひとり娘ニャ、ステラさまは」
「そ……そうなのか」
まさかステラが王女様だったということよりも、ケット・シーなのにひとり娘という表現が適切かどうかということが気になった。