ミリの冒険①
昨日も21時頃更新しています。
まだ読んでいない方はそちらから。
ミリは知らない部屋にいた。魔法のランプに照らされた部屋だ。
部屋は知らないがこの空気は知っている。
マナが漂うこの世界の空気、精霊が住み、ドラゴンが飛び、そして魔法のあるこの世界。
長い間いたこの世界の空気を懐かしいと感じる時が来るとは、この世界――アザワルドにいた時も、そして日本で平和に暮らしている時も思いもしなかった。
そして、ミリは一番目立つ場所にある大きな看板を見た。
(…………赤い本を読め、青い本を読め、黄色い本を読めって、まるで暗示ね)
日本語、英語、そしてこの世界の共通言語でそれぞれ書かれた文字を見て、兄ならば読むであろう赤い本を手に取った。
異世界の歩き方と書かれている本。
中には、ダイジロウというかつての私を倒した人間についてのこととか、この世界のことについて書かれていた。
ミリはそこで、ダイジロウはこの場所を、自分を倒してすぐに作ったことも理解した。
そして、部屋にあった二つのアイテムバッグを無造作につかみ、中から貨幣を取り出し、アイテムバッグを異空間に収納した。
ひとりひとつと書かれているが、それを完全に無視して。
(異世界に急に放り込まれてるのに、律儀にルールを守るのがおにいの凄いところね)
今この場にいない兄の行動を想像し、ミリはひとりで笑った。
本の説明から、ここが西大陸の街道沿いにあり、兄が北のフロアランスへと向かったことは容易に想像がついた。
また、夜に出歩くような無謀な真似はしないだろうと思い、ひとまずは兄の安全に胸を撫で下ろす。
ここが南大陸や東大陸だったら事情はまた大きく変わっていただろう。
最後に、ミリは自分のステータスを確認しようと、ステータスオープンと唱えた。
……………………………………………………
名前:ミリュウ
種族:ヒューム
職業:魔王:Lv1
HP:192/192
MP:66/66
物攻:95
物防:82
魔攻:305
魔防:189
速度:104
幸運:30
装備:セーラー服 運動靴
スキル:空間魔法Ⅲ 闇魔法Ⅹ 調合Ⅳ
取得済み称号:なし
転職可能職業:平民Lv1 薬師Lv1
天恵:薬学
……………………………………………………
「なにこれ……」
ミリは愕然とした。
ステータスが全盛期の一割にも満たない。スキルは魔法二種と調合だけはあるがそれ以外は失われている。
魔法のランクも大きく下がり、空間魔法で一番使い勝手がよかった瞬間移動が使えなくなっている。
もちろん、これだけでも凄腕の魔術師並みの力はあるのだが。
転生したから、だけが理由とは思えない。
少なくとも、日本にいたときは今見えるステータス以上の力を使うことが可能だった。
(名前は……あぁ、あの名前か)
名前が変わったことに関しては、もう諦めるしかない。
両親が考えてくれた名前も大事だが、古い慣習とはいえこっちの名前の存在を容認してしまった両親の責任だ。
外に出ると、もう夜だった。夜空には、日本では決してみることができないだろう数多もの星々が煌いている。
星の位置から現在の場所をさらに詳しく推測し、北へと歩を進めた。
暫く歩くと、森の中を動く気配がした。
出てきたのは三匹の狼だった。ブラウンウルフという、そのままの名前の魔物。
狼は嫌いじゃない。
狼は夜の眷属であるし、何より――
「久しぶりにあの子のことを思いだしたわ。でも、私を殺そうというのなら手加減はできないわよ!」
そう言って、ミリは手を前に出し、「プチダーク」という最も弱い闇魔法を使った。
プチダークは本来、小さな闇の玉を飛ばすだけの魔法だ。
だが、闇の魔法を極めた彼女が使えば、その闇の玉が触手のように伸び、狼を縛りあげた。
「悪いけど、今の私は経験値が必要なの。だから死になさい」
冷徹な眼差しでミリは手を前に出し、その手のひらを大きく握りしめた。
と同時に、闇の触手が狼達を絞め殺した。
「三匹じゃ、レベルは上がらないか」
ぐったりとして動かなくなる狼達をミリはその触手を使い、空間魔法を使って亜空間へとしまいこんだ。
と同時に、闇魔法で作られた触手は消えてなくなった。
月が小さな薄い影を作っていた。
※※※
ミリが辿りついたのは、フロアランスと呼ばれる町だった。
魔王時代の記憶をたどれば、確か西の大陸に存在する町で、三ヶ所の迷宮が存在する、世界でも指折りの冒険者の町だ。ただし、冒険者の質は冒険者の町の中でも低い部類に入る。この国の王都を含め、多くの主要都市から離れた場所にあるため、ここで成長した冒険者はすぐにこの町を去ってしまうからだ。
残っているのは、駆け出しの冒険者か、他の町に行く実力がなく燻っている冒険者くらいだろう。中にはこの町が好きで永住してしまう奇特な冒険者もいるかもしれないが。
夜と言っても午後八時頃だったため、町の灯りはまだ消えてはいない。
当然、見張りも眠気と戦うような時間ではなく、淡々と仕事をしている。
見張りをしていたのは、17歳くらいの、青く短い髪、褐色肌の、ボーイッシュな女性だった。
その女性は、ミリを見ると若干驚いた顔で、
「君一人でここまで来たの? 狼に襲われなかった?」
と訊ねてきた。
「襲われたけど倒したわ。私、魔術師だし」
強いことを隠す必要はない、というか弱いと誤魔化したら色々と注意されそうで面倒なので、ミリは己の職業のみを隠して、素直に全て告げた。
「生き別れの兄を探しに来たの。この人、見なかった?」
そう言って、ミリはスカートのポケットに手を入れ、空間魔法によって亜空間に収納していた兄の写真を取り出した。
この世界には写真やカメラというものは存在しないが、同様の魔道具は存在する。ただし、何十万センスという高価なものだが。
見張りの女性はその写真を見て、はっと息を呑んだ。
「知ってるのね!」
「え、ええ。ついこの間までこの町にいました。今はベラスラの町に向かったけど」
「ベラスラ……反対方向ね」
元来た道を振り返り、ミリは嘆息を漏らす。
ベラスラは先ほどの大樹に偽装された始発点の南側にある町だ。
(たしか、あのトレールールって生意気な女神が管理する迷宮があるのよね)
歩いていくには遠い。魔王の魔力があれば空間魔法で一気に移動できるのだが、現在のMPだとそれも敵わない。せいぜい町と町との中間地点まで飛んで、魔力が尽きて動けなくなるのが関の山だ。
(それに、こんな強さじゃ、おにいに守ってもらうことなんてできない)
幸い、ここは迷宮の町。
レベルを上げるにはもってこいだ。
「あなた、おにいと――」
ミリはそこまで言って、兄の名前を考える。一之丞ではなく、おそらくは自分と同じように名前が変わっているだろうと思い、
「イチノジョウとどういう関係なの? ただの知り合いって割には驚いていた様子だったけど」
と兄の名前を告げた。
それに対し、彼女は、
「改めまして、私はノルンといいます。この町で自警団をしていたんですが、初心者用の迷宮で盗賊に掴まってしまって、危ないところをイチノジョウさんに助けてもらったんです」
と説明をした。兄の名前がこの世界ではイチノジョウで呼ばれていることを再認識しながらも、ミリはその説明が腑に落ちなかった。
「え? おにいに助けられたの?」
「はい、盗賊四人を、白狼族の女性のひとと一緒にやっつけて」
獣人族の女性というキーワードに、ミリのコメカミが僅かにぴくりと動いた。
白狼族という、魔王軍であったとき、味方でもあり敵でもあった種族について考えたのではなく、ただ兄が女性と一緒だったということが気になった。
ただ、そこをつついても得られるものは何もないと思い、
「つまり、おにいはその白狼族の人のサポートをして、あなたを助けたの?」
兄の持つ取得経験値二〇倍が知られたら、どこのパーティーから声がかかっても不思議ではない。
その力を利用すれば一気にレベルが上がるから、平民で低レベルの兄でも声がかかる。そう思った。
だが、事実は違った。
「いえ、どちらかといえば白狼族の――ハルさんのほうがお兄さんのサポートをしている感じでしたね」
ハルという名前に、一瞬、懐かしい白狼族の子供の顏が頭をよぎったが、白狼族にハルの名前を持つ女性は多いとミリは頭を横に振った。
というのも、魔王時代、冬の雪原のような白い毛を持つ彼らに、春に芽吹く植物のように覚醒してほしいと願いを込めて、ハルにちなんだ名前を彼女自身がいっぱい用意したからだ。
そのうちのひとり、ハルウララに関しては、日本人として生まれ変わった後、同名で話題になった馬の話をテレビで見て悪いことをしたなぁと今でもちょっぴり後悔している。
だが、今はそれよりも、兄がその白狼族にサポートされていたという方が問題だ。
「あなたのお兄さん、とっても強いんですよ。冒険者ギルドで多くの冒険者相手にひとりで大立ち回りして、全員倒したんですから」
「ひとりで?」
ミリは思った。たしかに兄の取得経験値二〇倍、必要経験値1/20の天恵はかなりのチートだ。何しろ他の人の400倍の早さで成長するのだから。
だが、所詮は400倍。兄がこの町にいたのはミリの予想だと一週間もないはずだ。
しかも、兄の性格を考えると、よほどのことが無い限り、最初はウサギを狩ってレベルを上げて、ある程度強くなれてようやく初級の迷宮に入る程度。
強いパーティーに入れたとしても、兄がとどめを刺さないと経験値二〇倍の恩恵は得られないのだ。中級の迷宮でレベルを上げるのがやっとだろう。
にもかかわらず、そこまで急に強くなるなんて、
(なにか、他に秘密があるのかも)
とミリは、このノルンとの僅かな会話の中で、兄の持つ力の片鱗に気付いた。
「とりあえずは、私の下宿先に行きませんか? お兄さんの妹さんなら、マーガレットさんも喜ぶと思うんですよ」
新たな名前に、ミリは戦慄を覚えた。
ノルン、ハル、そしてマーガレット。
兄に悪い虫がついている。すぐに兄の元に駆け付けて殺虫剤をぶちまけないといけない。
「……それとも、世界そのものを滅ぼさないといけないのかな」
「え?」
「いえ、なんでもないわ。案内して、その害虫……じゃない、マーガレットさんの元へ」
「はい。ちょっと代わりの人を手配しますから、少し待っていてくださいね」
ノルンは、もう一人の何もしていなかった男性に声をかけ、ミリをマーガレットの元へと案内した。
閉店後の服屋の裏口から家の中に入って、ミリは問題のうちのひとつが杞憂だったと知る。
「ルンちゃん、お帰りなさい♪ あら、誰かしらその可愛らしい女の子は、ふふふ食べちゃいたいくらい可愛いわね」
なぜなら、そのマーガレットは女ものの服を着ている、筋肉隆々の青髭の生えた男性だったから。
「……おにいがそっちの趣味に目覚めてなかったらいいんだけど」
それこそ杞憂であってほしいと、ミリは心から思った。
次回はAM8:00更新。