帰らぬ同居人
1時間半ほど武器の手入れの仕方をマーガレットさんに教わり、店の手伝いをさせてもらった。
「男の子がいると重い物を運んでもらうのに助かるわ」
と二人で荷物を動かしていたんだが、明らかにマーガレットさんのほうが力がありそうなんだけどな。
その後は、服屋の裏庭で素振りをしていた。
素振りというのも侮れない。
2時間素振りをしただけで、見習い剣士のレベルが2つ上がった。
まぁ、400倍成長しやすいため、800時間分。1日4時間素振りしたとしても200日分の素振りというわけだからな。そりゃレベルも上がるわ。
「イチ君、素振りはそのあたりにして、これで汗を拭いて、食事にしましょ。あと、洗濯物はトイレの横の籠の中に入れておいたら洗っておくわよ」
マーガレットさんがそう言って、桶と布を置いていった。
桶の中からは湯気が出ている――お湯をわざわざ用意してくれたようだ。
既に太陽は落ち、夜になっている。
確かに今日はこのくらいにしておこうか。
明日は迷宮2階層に行こう。今の状態ならコボルト相手だと歯ごたえもないしな。
あぁ、でもコボルト3匹くらい倒してさらにレベルを上げてから行ってもいいな。
マーガレットさんの好意に甘えてばかりだなぁと思いながら、上半身の服を脱ぎ、お湯に浸した布を絞って汗を拭く。
あぁ、気持ちいい。でも、やっぱり日本人なら風呂に入りたいな。
何かいい方法がないか。
そう思った時――背筋に悪寒が走った。
なんだ、誰かに見られている!?
ものすごい気配だ。
まさか殺気!?
こんな町中で?
ゆっくり、視線を感じる方向を見ると、荒い鼻息のマーガレットさんがこっちを見ていた。
そして、俺とマーガレットさんの目が合うと、
「き、きゃぁぁぁ」
マーガレットさんは手で目を覆い、走り去っていった。
いや、いまさら純情ぶられても……。
なんだろ、明日はやっぱり宿を探そうかな。
店の奥がダイニングキッチンになっており、既に料理が並んでいた。
嫌な予感しかしない。
「あの、このあたりの名物って何なんですか?」
「そうね。キャロプの実という果物がおいしいわよ。あと、ゲンジという野菜も名物ね」
「……へぇ、そうなんですか」
……名物は果物と野菜か。
なのに、なんで肉しか並んでないの?
え? 今日は29日? ニクの日?
「それにしても、ルンちゃんは遅いわね。先に食べてましょ」
「ルンちゃん? あぁ、他にも下宿を利用している人がいるんですね」
そりゃそうだよな。二階と三階を見せてもらったけれど、俺とマーガレットさんの部屋以外にも4部屋あった。
空室にしておくのは勿体ない。
身の危険を感じるかどうかを除けば、マーガレットさんは面倒見のいい人だから、困ってる人がいたら放っておけないだろうし。
「そうよ。ルンちゃんも私に似て、可愛い女の子だけど、手を出したらダメよ。私相手なら手を出してもいいけどね」
「はい、神に誓って(二人とも)手を出しません」
ルンという女性(?)に手を出せるほど俺には甲斐性もないしな。
フォークを使い、肉を食べてみた。味付けは薄味で食べやすいが量が多い。
「とてもいい子なのよ、ルンちゃん。ノルンって名前の女の子でね、門番をしてる褐色肌の女の子なの」
「褐色肌の門番? もしかして、青い髪で見習い槍士の、16、7歳くらいだったりします?」
「そうよ。あら、イチ君、ルンちゃんと知り合いなの?」
「はい、今日、門で一度、迷宮で2度ほど会いました」
世間は狭いなぁ。
てことは、ノルンさんのお人好しは、まぎれもなくマーガレットさんの影響を受けたんだな。
「確か、俺が迷宮で会った時は3時間くらい巡回してから戻るって言ってたんですが」
「そうなのよ。もう戻ってくる時間のはずなんだけど。あの子が夜遊びとかするとは思えないし。こんなの初めてよ」
その時、俺の頭の中によぎったのは、ノルンから聞いた情報だった。
最近、迷宮で盗賊が出るという情報。
いや、さすがに門番や警備をしている人を盗賊が襲ったりはしないか。
俺がそう思った時、店の扉がノックされた。
すでに鍵は閉めていて、店じまいの看板がかかっているはずなのに。
「あら、この声は警備隊の隊長さんの声ね。彼もとてもダンディーだけど、私の好みじゃないのよね」
それは幸運でしたね、隊長さん。
マーガレットさんは俺に「すぐ戻るからね」と言って、入口に向かった。
その間に、俺はゆっくりと肉を食べることに。
それにしても本当に味付けは最高なんだが、肉だけっていうのは辛いな。
白いご飯が食べたい。それが無理なら硬いパンかスープが欲しい。
そう思っていたら、
『え、ノルンちゃんがまだ迷宮から戻ってないですって!?』
『やはりここにも戻っていないか。あぁ、迷宮に入って6時間が経過した。魔物に殺されたとは考えづらいが……明日には捜索隊を出す。それでは、私は急ぎ準備を致すのでこれで』
『……わかりました、よろしくお願いいたします』
……ノルンさんがまだ戻っていない?
もしかして、やはり……。
マーガレットさんが戻ってきたとき、彼女の顔はだいぶ憔悴しているように感じた。
「ノルンさん、まだ戻ってないんですか?」
「ええ……でも、彼女なら大丈夫よ。さ、イチ君、お肉食べちゃって」
「あの、俺が探してきましょうか?」
「ダメよ。迷宮は下の階層に行くほど敵も強くなるし、迷宮も広くなるの。闇雲に探して見つかるものじゃないわ。盗賊がいるかもしれないなら尚更よ」
くそっ、何かいい方法がないか?
彼女を追跡する方法が何か?
俺は一つ、妙案を思いついた。
「あの、獣人って、鼻がヒュームの何倍も優れているっていう話、聞いた事ありません?」
これはあくまでも俺のイメージだが、異世界物の小説などではそういう設定があったような気がする。
もしもそれが、女神の潜在意識への介入によって書かされた設定だったとしたら、この世界の獣人も同様に鼻がいい可能性が高い。
「ええ、獣人は人間の数百倍も優れていて、人の臭いなら追跡できると思うけど……もしかして、イチ君」
「はい、そのまさかです!」
俺はそう決めると、マーガレットさんが止めるのも聞かずに店を飛び出した。
そして、マティアスの店に向けて全速力で走る。
そこではちょうど、店じまいをしている受付の人がいた。
よかった、まだぎりぎり間に合いそうだ。
「ちょっと待ってください! マティアスさんは、マティアスさんはいますか!」
俺の叫び声に、店の中からマティアスが現れた。
「おや、イチノジョウ様ではありませんか。どうなさいました?」
「お願いです、ハルワタートさんを一日貸してください! 彼女の力が必要なんです!」
俺の心からの要求に、マティアスは「まずは中へお入りください」と店の中に入れてくれた。
おかげさまで日間5位になれました。
ブックマーク、評価をしてくださった皆様、マコトにありがとうございます。
今年最後の更新になります。
皆さま、良いお年をお過ごしください。