閑話 勇者と吸血鬼
「ひゃぁぁぁっはぁぁぁぁっ! ここは通さないぞ!」
その声とともに、巨大な火柱が上がった。
かつて竜王をも従えさせるきっかけとなった炎の塊が、有象無象の魔物達を灰燼へと帰す。
その、謎とも言える奇声をあげる男の後ろに、禿げ頭の男が立っていた。
「どうしてお前は戦闘中はこうなるんだよ……これが勇者の姿なんて見せられないぞ、アレオ」
「そういうなよ、ハッグ! こっちは軟禁状態で体が火照って仕方なかったんだからよ。ひゃっほぉぉぉっ!」
そう言って、剣を振るう男の名前は、アレッシオ。
かつて魔王を倒した勇者だ。
彼が教会に軟禁されている一番の理由は、彼の戦場で戦う姿が、教会の聖書によって伝えられる勇者の姿と大きく異なるからだということは、アレッシオ自身も何度もハッグから言われたことなのだが、戦闘中に興奮状態になると自らの衝動を止めることはできない。
例えはっちゃけていても勇者としての力は本物で、彼が剣を一振りしただけで魔物の数が目に見えて減っていく。
「ハッグ、竜王はどうしたんだ?」
「あいつなら巣に送還したよ。あいつも今じゃ三匹の竜の子持ちだからな、あまり留守にさせられないだろ」
「そっか。竜王と久しぶりに狩り勝負でもしようと思ったんだが残念だなっと!」
西側から出てくる魔物を見て、ハッグはため息を漏らした。
「狩り勝負って、もう魔物は残り千匹もいないぞ」
千匹という数は、フェルイトを守っている冒険者たちが聞いたら卒倒する数だ。
だが、かつて、たった三人で数十万という魔物と戦った経験のあるハッグからしたら、その数はあまりにも少ない。
そして、それはアレッシオも同様だったようで。
「ちっ、もう終わりか。てことは、コータがうまいことやったってことだな」
「だろうな。それにしてもなんなんだ、この魔物は。本来ならさっきお前が倒したブラックタイガンは周囲を取り囲んでから一気に攻めてくるタイプの魔物なのに、真っ直ぐこっちに向かってきやがって。知能を奪う魔法でもかけられてるのか?」
そして、魔物はハッグの予想通り数十分後に全滅した。
「終わったな、アレオ」
「そうだね、ハッグ。じゃあ、僕達はもう行こうか」
戦いが終わり、興奮状態が解除されたアレオは、好青年のような笑みを浮かべてハッグに言う。
アレッシオのことを良く知らない人が見たら二重人格じゃないかというほどの変貌ぶりだ。
だが、この丁寧な物腰のアレッシオも、先ほどの好戦的なアレッシオも、どちらも彼であることをハッグはよく理解している。
だから、ハッグはこのアレッシオの変貌ぶりに驚きもしない。
「フェルイトに行かなくていいのか? お前が行けば国民も安心するだろう」
「たしかに国民のためには僕達が行くのが一番だと思うよ。でも、それだと彼らの手柄を僕達が奪うことになる。紛れもなく、今回の戦いの立役者はコータだからな」
「本当だな。まったく、三年前は竜王に怯えていた子供だと思っていたが、立派になったものだよ」
若者の成長を喜びながら、ハッグはやれやれと肩の力を抜く。
一見何もしていなかったように見えるハッグだが、彼が行っていたのはバリアの展開だ。
アレッシオの、かなり手加減しているとはいえ勇者の攻撃が続けば、地図を描く測量士の仕事が増えることになるだろう。
地形の変形を防ぐためには、ハッグがずっとバリアを張っていなければならなかった。
手加減をしているとはいえ、アレッシオの攻撃を防ぐバリアを展開することができるのは、世界広しといえど、土魔術士と光魔術士を鍛え、結界魔術士へと転職した彼くらいなものだろう。
ハッグは魔術師ではあるが、サポートをするのが主な役目。
それほどまでにアレッシオ個人の力が圧倒的だった。
「……アレオ、何を見ているんだ?」
「ハッグ、あそこに蝙蝠がいるのが見えるだろ? ここから僕が攻撃して届くと思うかい?」
アレッシオが真っ直ぐ上空を指さす。
「……蝙蝠? そんなのいるか? お前なら倒せるとは思うが」
「そうだよね。まぁ、あれは分身みたいだし、倒せたとしても意味はないんだけどね」
そう言って、アレッシオが剣を抜き、見習い剣士が低レベルでも覚えることができるスラッシュ(ただし、地割れを作るほどの威力)がその蝙蝠に向かって放たれたと同時に、彼の背筋が震えた。
「ハッグ……気付いたか?」
「今度はなんだ?」
「あいつの気配がした」
そう言ったアレッシオ――その口は大きく緩んでいた。
※※※
「何故だ、何が起きた!」
フェルイトの上空で、ヴァルフはふたつの異常の処理をできずにいた。
ひとつは迷宮に施させたはずの術式が、何者かによって解除されたこと。
想定外中の想定外だった。
幸い、魔物は一万体近くが迷宮から脱出しているので、それだけでもフェルイトを攻め滅ぼすことができる数はあると思われた。
だが、ここでさらに想定外の出来事が起きた。
魔王を倒した勇者アレッシオが現れたのだ。
彼によって、残された魔物達は一方的に蹂躙されていった。
偵察に飛ばした分身が遥か上空から、その光景を見ていた。
(奴は化け物か)
そう思った時だった。
アレッシオがこちらを指さした。
(気付かれた? この距離で?)
信じられないと思った。
だが、次の瞬間、スラッシュがこちらに向かって飛んできて、ヴァルフは思った。
早くこの国を去らないと殺されると。
そう思った時だ。
――この気配は……まさか……!?
勇者とは違う、北に生まれた気配、一瞬生まれ、そしてすぐに小さくなったその気配にヴァルフは歓喜した。
(魔王様、自分の仇は自分で討ってくださいね)
彼の次の計画は、この時からはじまった。
ヴァルフは感じ取ったのだ。
あの方が――魔王ファミリス・ラリテイが再びこの世界に降臨したのだと。
次回エピローグ。
次々回から、ちょっとだけミリの閑章を挟んで、五章に行きます。