MOVING
朝起きると、昨晩肩が裂けた戦闘服が綺麗に修繕され、枕元に畳んで置いてあった。
ベーティアへのお礼を考えながらいつものように着替えを済ませて軽く体を動かしてみたが、やはり昨日の運動が功を奏したようで、本調子に戻っていた。
「安静にしてなさいって言ったでしょ?」
「ティア!?いつからそこに?」
気づくと、テントの出入口からベーティアが顔を覗かせていた。
「もう治ったって。ほら、この通り」
ベーティアから距離をとり、ハイキックなどをして見せて万全であることを証明した。
「まさか、シーのおにぎりが効いたの…?」
「まぁ、そんなところかな…」
アルオンは目を反らせながらそう答えると、ベッド(アルオンは藁を敷き詰めればいいと言ったのだが、威厳がどうのとかでベーティアに半ば強制的に与えられた物)に立て掛けてあった、五日前に敵から拝借した無骨な剣を腰にぶら下げ、テントから出た。
「ティア、そろそろ拠点を移動しようと思う」
「次の目的地が決まったのね」
「いや…これから情報を探しに行くんだが、その間に準備を整えてくれ」
「ん、わかったわ。みんなにもそう伝えておくから」
「頼んだ」
出発準備はベーティアに任せ、アルオンは単身、フィルの街へ向かった。
フィルの街に着いたアルオンは、街に入ってすぐの行商人から大きめの布を一枚と、全身をすっぽり隠せるほどの外套を買い、布は剣を覆うように巻きつけ、その上から外套を被ってから、目的の場所へ向かって移動し始めた。
「人が多いのはやっぱ苦手だ…」
この街は栄えており、人がたくさんいる。少しでも気を抜けばぶつかってしまいそうだ。
もう昼を過ぎているのに、多くの露天が開かれ、いろんな場所からいろんな声が聞こえてくる。
治安が良くなければこうはならないだろう。
しばらく進み、武器屋の呼び止める声を受け流してから、目的の場所へ続く、建物と建物の間の細い路地へと滑り込んだ。
この路地は先程までの場所とは違い、人がほとんど、いや、一人もいない。
光が射し込まず、暗くて埃っぽい。
一般の人々ならこのような場所にすすんで入ろうとは思わないだろう。
路地を真っ直ぐ進んでいくと行き止まり、『BANO's BAR』と書かれた看板が提げられている扉にたどり着いた。
扉を押して開けると、来客を報せるベルがチリンチリンと軽やかな音を奏でた。
しかしアルオンの気分は軽くない。
「客にいらっしゃいませも無しかおっさん?」
「B:RAVEの小僧を歓迎してやれる言葉なんざ、うちには置いてないんでね」
店主のバノは、振り返りもせずグラスを拭きながら答えた。
「客として扱ってほしいならさっさと注文するんだな」
店主のバノは短く切り揃えた白髪をこちらに見せたままで再びぶっきらぼうに言い放った。
仕方なく、アルオンはため息を一つ吐いてからブドウ酒を一杯注文した。
念のため周りを見るが、自分以外の客はいないようだ。
「今日は二つ用がある」
「なんだね?言ってみろ」
ブドウ酒を注文したのだが、態度はあまり変わっていないように思う。
「なんで俺たちの拠点をばらした?危うく森に火を放たれるところだったんだ!」
カウンターを叩いて叫ぶがバノは動じない。
「良い回復薬にはなっただろ?」
「俺が拠点から脱け出せなかったら手遅れだった」
「だが脱け出せた」
「強いやつらが来ていたら負けていたかもしれない」
「だが相手は弱かった」
「なんなんだよあんたは!結果ばっかり述べやがって!」
さすがに苛立ち、バノの肩を掴み振り向かせた。
「全て私の予想通り。G:RAVEの予知能力を侮るな」
「っ!」
逆に睨み返され怯んでしまう。バノの右の瞳に刻まれた十字架が鋭く輝いた気がした。
そう、バノはG:RAVE。右目の十字架がその証だ。
G:RAVEの外見は普通の人間とあまり変わらないが、体のどこかに刻まれた十字架と、千年という異常な寿命が普通の人間との違いだ。
彼らはその長い寿命と膨大な記憶力を駆使し、歴史の記録を付けたり、過去の傾向から未来を予測する『予知』を生業として生きている。
「何のためにお前らを弱小だと偽ったと思う?本当に強いやつらは弱いやつらになんか目も向けない。挑もうとするのは調子に乗った弱小共だ。お前がそろそろ動けそうだと思って肩慣らしをさせてやったんだ。感謝してほしいくらいなんだがな」
「ぐっ…G:RAVEは嘘をつかないって聞いたんだけどな…」
「嘘も方便ってやつだ。で、もう一つの用は何だ?」
すっかり気勢を削がれてしまったが、今日の本題はこっちだ。
「そろそろ移動しようと思ってな」
「ほう、寂しくなるな」
「嘘つけ!顔が笑ってんだよ!」
「さっさとしろ、お前がいると次の客を入れられん」
「ぐぐぐ…」
少し焦らしてやろうかと思ったが、受け流されてしまいそうなので、素直に外套を外した。
「もう一つの用ってのはこれだ」
腰にさげていた包みをカウンターの上に広げ、異形の剣が姿をあらわにした。
「ほう、中々面白そうな物持ってきおったな」
その剣は、使われる姿を見なければ剣とは言い切れなかっただろう。
それは海に棲息するという珊瑚にそっくりで、刃となる部分が少しも無い。
「これが何だか分かるか?」
「当然だろう。南の海域のENC:RAVEの武器、水刃剣。お前が持ってても無用の長物だ」
「知ってるよ、大まかに理解はしてた」
この剣を戦場で見たときは驚いた。ただの棒切れだと思って油断していたのだが、突然それが水の刃を纏い始めたのだ。
「あれは水のENC:RAVEじゃなきゃ使えない。俺じゃ無理だ」
「やはり、嵐の力では純粋な水の力は扱えないか」
バノは「軽いな」と呟き水刃剣を持ち上げ、片眼鏡を近付けたり遠ざけたりして、興味深そうに調べている。
「嵐とはいっても俺はまだ風しか操れないけどな」
「だからシュトゥルムはいつまで経ってもお前を認めないのだろうが」
「俺だってこいつの存在は認めたくないよ」
言いながら無意識に右肩を押さえてしまう。忌まわしきあの日を思い出すと、今でも右肩がズキズキと痛むのだ。
「倒すべき、憎むべき敵の力で今こうして生きているなんて、そうそう認められないさ」