001 ふきげん姫
その国の姫はいつも不機嫌だった。
広大な領地を治める王の第一子として生まれ、王位継承権を持つ姫は幼い頃から周囲の羨望と期待を受けて育った。
幼少の頃から、武芸に秀で、歌と詩を愛し、知略と策謀に富んでおり、明晰な頭脳と美しい容姿に国民からの支持も多く、妹弟が何人も生まれた後も、時期女王として期待されて育ったのである。
そんな姫が不機嫌になったのは十四になった頃からだった。
愛くるしかった笑顔は無くなり、いつも眉間に皺を寄せ、遠くを見つめる日々を過ごすようになったのである。
臣下が声をかけても、簡単な返事しか返さなくなり、会話と呼べるものは無くなった。
心配した王は、姫に笑顔を取り戻すべく、近隣諸国から役者や楽団、大道芸人などを呼び寄せて姫の前で披露させたのだが、姫はぴくりとも笑顔を取り戻すことはなく、とうとうその披露の場にも、自分の部屋がある城の西の塔に引きこもってしまい、現れなくなったのである。
どんなに手を打とうとも、姫の機嫌を取り戻すことができない王は苦悩した。
自身の体調があまり良くないと言うこともあり、姫に期待する所が大きかった。子供は他に何人もいるのだが、姫ほど王位継承者としての才覚を持つ者は見られなかったのである。
王は姫を呼び出すと、聞いてみました。
「姫よ、そなたは何故そんなに不機嫌なのだ。以前の姫はそんな風ではなかったではないか。何か思うところがあるのならば言ってみなさい」
姫は不機嫌に応えました。
「何でもないのです。いつか、この不機嫌も治るでしょう。それまで放って置いて頂きたいのです」
そんな日が来るのかと、王は思いました。
そして自分の体調を思えば、その日をいつまでも待ち続ける事もできません。
王は姫にある王命を下したのでした。
そして、姫は不機嫌にその命令を受けたのでした。
王国の北には深い針葉樹の森が広がっています。
そこから先の国境を越えるとそこは北方蛮族が支配する土地となっており、姫が生まれる少し前までは、幾度と無く王国との間に戦争が起こっていましたが、現在は内乱中であって、王国との間に戦争はありません。
しかし、あまり安全とは言えない地域でした。
そんな森の中を姫は従者と二人で馬に乗って進んでいました。
「姫様、目的の場所までもう少しでありますよ。北方蛮族とか、狼とか結構警戒していたのですが、この分ですと何事もなく魔女様の屋敷まで着けそうでありますね」
従者のアンは嬉しそうにそう言いました。
普段から、姫の身のまわりの世話や警護をしている女官で、剣の腕から裁縫の腕まで確かなものを持っており准騎士の地位でもあります。
その事から今回も王から直接姫のお供を申し渡されています。
「そうね」
そんなアンに姫は不機嫌に応えるのでした。
姫の幼き日より世話役として姫と共に暮らす日々を送ってきたアンですが、そんな彼女にも姫が不機嫌になった理由はわかりませんでした。
例えるならば、昼寝をしていて目が覚めてみたら不機嫌になっていたと言う、そんな感じだったのです。
天真爛漫、いや天使爛漫と言う言葉がぴったりだった以前の姫にアンは早く戻って欲しいと思っていました。
同じ思いであった王は、北の塔に住む王家守護職国家魔術師の所へ姫を観てもらいに行かせることにしたのだった。
もちろん、王ならば北の地より魔術師を呼び寄せる事は簡単な事であったのだけれども、姫の気分転換をかねてアンと二人で行かせることにしたのだった。
「見えましたよ、姫さま。あの丘の上に見える塔が目的の場所です。大魔術師ヨーさまには過去に何度か私はお会いしたことがありますが、姫さまは初めてでしたね。気さくなお婆さまですよ。いま現在はこの地で蛮族の進入を監視しているのが主な任務となっていますが、過去には戦場に火の固まりを降らしたとか、もの凄かったそうです」
「そう。それより、あそこを見て」
姫が不機嫌にそう言いながら、指を指しました。
アンが見ると、毛皮を着た兵士が体の至るところから血を流して倒れていました。
「姫さま、お気を付け下さい。北方蛮族の兵士です」
アンはそう言って腰に吊した剣を引き抜くと、馬を下りて蛮族の兵士に近づきました。
様子を伺い、首筋に手を当てると脈動が感じられ、まだ生きていました。
「生きてはいますが、このまま放置すればいずれ死ぬでしょう。ここに傷ついた兵士がいるということは、近くに追っ手がいるかも知れません。私達もヨーさまの所に急いだ方が良いと思われます」
アンはそう言いながら、兵士にとどめを刺してやることにしました。
「待って。その兵士はまだ子供だわ」
確かに血にまみれた顔はまだあどけないもので、年の頃は十二くらいに見えました。
「子供と言えども北方蛮族の兵士。情けは我が国の未来の為になりません。助けないなら、とどめを刺してやることが情けです」
「強者として助けることも情けです。傷の手当てをしたら連れて行きます」
姫はそう不機嫌に言いました。
でも、その表情はいつものしかめ面とは違い、強い意志が感じられました。
アンは少しだけ嬉しくなり、姫の命にしたがって北方蛮族の少年兵士の傷の手当てを始めたのでした。
つづく