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選考理由

作者: 葉月

目が覚めると見知らぬ部屋にいた。


横たわっているベッドは寝心地が全く違うし、部屋の面積も広すぎる。家具も高級そうだが見知らぬものばかりだった。寝起きでぼんやり霞みがかかったようだった脳が次第に覚醒し、ようやくその異常さを認識した。

「何これ⁉どこなのよここ!」

叫びながら体を起こすと、とたんに部屋が明るくなり、ベッド付近にうっすらともやのようなものがたちこめた。

そして音もなく扉が開き、一人の男が入ってきた。

「失礼致します」

男は慇懃な態度で頭を下げたが、その後に続いた言葉は突拍子もないものだった。


ここは女から見て遠い未来で、男は昔の暮らしを研究しているということ。当時の人々の話を実際に聞きたいがために呼び出したということを極めて冷静に語ったのだ。


思わず不気味なものを見るような目で男を見たが、閉じていたカーテンを男が開けると、目に飛び込んできたのは全く知らない景色だった。

街にはりめぐらされた道路に走っているのは車ではない不思議な乗り物で、建物の形もおよそ見たことがないものばかりだ。

それにこの部屋も、おかしい。今は冬だったはずで、当然暖房を入れなければ寒い。しかしそれらしきものはどこにもなく、室温は快適な温度に保たれていたし、かすかに花のような淡い香りがしていた。

そうした細々とした違和感が、男の言葉を性質の悪い嘘と決めつけることを拒んだ。

女が一応こちらの説明を信じたと見てとったのか、男は再び口を開いた。

「お名前を伺ってもいいですか?」

さっきまでの興奮状態であれば突っぱねたに違いない質問だったが、不思議と頭は冷えていた。

「・・・栗原 実奈よ。あなたは?」

「申し訳ありませんが、その質問にはお答えできません。こちらの部屋へ来ていただけますか」

男は手に持った端末をちらりと見てから部屋の奥にあった扉を手で指し示した。よく見るとその画面には実奈の顔写真とプロフィールが表示されていた。名前を尋ねたのは確認のためだったようだ。

実奈はベッドから下りようとせずに、「この霧は何?」と聞いた。

「これは鎮静作用のある薬品です。あなたは目覚めたとき興奮状態だったので、自動的に散布されたようです。副作用は全くありませんのでご安心を」

男に再度促され、ようやく実奈は床に下り立った。


「―――それで?何を聞きたいの?私、難しいことは分からないわよ」

実奈の冷たい視線を浴びても男は相変わらず静かな口調で淡々と返答した。

「複雑なことは一切ありません。あなたが普段どんな生活を送っているのか話していただければいいのです」

「それだけ?」

それではただの雑談ではないか、と実奈は思ったが、もともとお喋りな性質なのもあってすぐに話を始めた。


 実奈はある企業に勤めていた。都会とはとても言えないが、自然の風情を楽しむほど田舎でもない、どこにでもある中小都市。そこにある、これもやはり星の数ほどあるような中小企業のOLだった。行っても行かなくても同じような短大を出てすぐ入社してから十数年が過ぎた。実奈は三十代半ばを過ぎようとしていたが、独身だった。恋人もおらず、会社が実家の近所だったためほとんど家と会社を往復する日々だった。

実奈の話は次第に愚痴っぽくなってきた。

仕事は誰にでもできるようなことばかりでやりがいがない。先輩や上司がほんの一日二日休むのにも文句を言ってくる。同僚の女が意地が悪い。後輩がなかなか仕事を覚えない。給料が安い。親が早く結婚しろとうるさい。


ひとしきり喋り終わった後で、実奈は我に返った。

いつもなら実奈がこの類の話を始めると相手にたしなめられて止めざるをえないのだが、男は実奈がどれだけ文句を並べたてても的確な相槌を打ち、心から共感してくれた。そのため、なかなか話が終わらなかったのだ。

それどころか、

「大変な生活を送っておられるのですね。現代の生活がいかに恵まれているか、改めて感じました」

とまで口にした。その言葉に、愚痴をこぼすのにも飽きた実奈は好奇心をくすぐられた。

「ねえ、私ばっかり話すんじゃ不公平じゃない?この時代のことも教えてよ」

「それは・・・」

男は初めて口ごもった。

「あ、タイムパラドックス?だっけ、なんかそういう制限とかあるの?」

「ええ、まあ・・・概要だけならばお話できますが」

「ふーん・・・・・・それ、話すとどうなっちゃうの?」

「・・・詳しくは言えませんが、あなたを元の世界に帰すことはできなくなります」

「へえ・・・じゃあその概要とやらを聞かせてよ」


それから男は言葉少なに『現代』のことを説明したが、実奈は次第に落ち着きを失ってきた。

男の話では、この時代の世界はまるで理想郷のようであったからだ。

地球上に溢れていた重大な問題は一切存在せず、そればかりか、人々は労働もしなくていいし、誰でも好きなことを好きなだけやって生きているらしい。男の研究もそうした道楽のひとつなのだ。


実奈は元いた世界を思い浮かべた。毎日深刻なニュースが流れ、会社に行って面白くもない仕事をし、上司に嫌みを言われ、結婚しているというだけの理由で馬鹿な女たちに見下される日々を。

男の話が終わると、実奈はほとんど叫ぶように言った。

「ねえ、私がこの時代に残ることはできないの?」

「お望みならばできますよ。というよりも、こちらのことが漏れずに済みますからその方がありがたいですね」

あっさりと返された言葉に実奈は飛びついた。

「本当に?そんなことして大丈夫なの?」

「ええ、調整はこちらで致しますから」

男は何でもないことのように言って、微笑した。

「ずいぶん簡単なのね・・・誰でもいいの?」

何気ない問いだったが、男ははっきり首を横に振った。

「いえ、そんなことはありません。人違いをすれば大変なことになってしまう可能性もあります」

意外な返答に実奈は驚いたが、それを聞いて同時にちょっとした優越感を感じてもいた。

自分がここにいるのはたまたまではない。私は選ばれたのだ。そして、これから理想郷で暮らすのだ。

そう考えると心が浮き立ち、上機嫌で実奈は男に質問した。

「じゃあ、どうして私なの?」

男はこれまでの問いと同じように即座に答えを教えてくれた。

「過去に大きな影響を与えた人であれば、こちらに来てしまっては大問題になってしまいます。ですから周囲への影響が少ない人にしているのです。その点あなたは素晴らしい。どの点を取ってもほとんど周りには利益も不利益も与えていない。さらに、一生結婚することも子供を産むこともないのでその点も心配ありません。最高の条件ですよ」




初投稿です。

星新一さんの作品集が面白くて2日で書き上げた品。

感想等いただけたら嬉しいです。

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