再 会
「なぁ、姫宮。おまえってば、最近絶好調じゃん」
ヘッドロックをかけて言われても嬉しくない。
「くるじぃ」
目に涙を溜めてばたばたと騒ぐ倫太郎の髪を、もうひとりのクラスメイトがくしゃくしゃに掻き混ぜた。
「ほら、ロープロープ」
そんな三人の様子を眺めていた少年が、冷静に、
「本気で殺す気か」
助け舟を出す。
ヘッドロックがはずされて、倫太郎は咳きこみながら、ぐるりと三人の悪友を見やった。
「なーにが、絶好調じゃい!」
幼いラインの頬を、膨らませる。
「え~だって、英語数学科学に生物……おまけに世界史まで、ほぼ満点だったんじゃん」
「ツバメの低空飛行が毎回のおまえになにがあったのかって――ガリ勉連中目ぇむいてっぞ」
「面白かったけどさ」
「ふんっ、さんざん、カンニングだって騒がれて、センセーに呼び出し喰らってさ、はては、口頭試問だぜ」
倫太郎が「げ~」とばかりに、舌を出して顔をゆがめる。
「うわっ」
「そこまでされたのか」
「そりゃヘビーな体験だよな」
うなづいてくれる三人を、
「わかってくれる?」
うるうるお目々で、見上げてみれば、
「でも、姫宮の場合」
「ほとんど」
「自業自得だよな」
うんうんと、三人だけで世界を作ってたりする。
「なんでよ」
「常日頃、点数悪すぎ」
「で、受験間近になっていきなり点数上げたって」
「なぁ」
「疑ってくれって言ってるようなもんでしょう」
丸い頬が、ますます丸く膨らんで、
「どーせっ」
ぷいっと横を向いた倫太郎に、
「まぁまぁ、姫宮、機嫌直せって」
「そうそう。でもって、ほんと、なにがあったんだ?」
「さくさく喋っちまえって」
学ラン姿の中学生四人が塊になって歩いている図は、微笑ましいというより鬱陶しい。まだグラウンドだからいいようなものの、学校の敷地から一歩出れば、間違いなく、歩く障害物以外の何物でもない。
「え~」
「ほら」
「げろっちまえって」
「楽になるぞ」
「それがさぁ」
うんうん――――と、期待に満ちた顔を寄せる。
「なーんも覚えてないんだ」
「はぁ?」
「いや、オレ、試験の時、風邪気味でさ、どうも、熱出てたみてーなんだよな。だから、試験内容なんか、ぜんぜん記憶になくって、こりゃ追試だな――って、覚悟決めてたんだぜ」
ははは――と、笑う倫太郎の肩に、
「ひめみや~」
「おまえ」
「試験の時は、風邪ひいとけ」
クラスメイトの手が乗せられた。
「でもさ、まじ、おまえ最近変」
「なにがよ」
「え~だってさ」
「今日の英語、先生目が点だったじゃん」
「ネイティブの発音だって、呆然自失しながらだったけど褒めたのは、教師根性に尽きるのかも知んないけど」
「数学だって」
「すらすら解いてたし」
「実は、内緒でかてーきょうしつけたとか?」
「でもって、美人のおねーさんだったりして?」
「それは、羨ましい」
「ぜひとも、拝見させてくだせーまし」
「おまえら、ドリーム見すぎ」
深い溜め息をついて、倫太郎は、そういえば――と、思い返す。
最近、夢見がしんどくて、寝た気がしないのだ。でもって、悪友達が言う英語やら数学の時間というのは、ぼんやりしすぎていて、自分でもなにをしたのか覚えていなかったりする。気がつけば、教師がびっくりした顔をして、次いで慌てて、褒めことばを口にしている――そういうパターンが続いたのだった。
ぼんやりと悪友達と歩いてると、
「おい」
腕をつつかれた。
「ん?」
「見てみろよ」
「すっげー美人」
促されて向けた視線の先に、ひとりの美人が歩いていた。
「でも、男? 女?」
「女に決まってるって」
「ばかだなぁ、胸ないじゃん。男だよ男」
言われてみれば、確かに、暗色のシャツの胸元はふくらみに乏しく寂しい。
「う~ん」
「男だな」
「残念」
そう思ってしまえば、もう、男にしか見えないから不思議である。
黒い髪が、チャコール系のジャケットが、時折りの風に煽られている。
白い顔は、これ以上ないくらいに整っている。通った鼻筋や、細い弓なりの眉。口角の持ち上がっている、赤いくちびる。
なぜだろうか。倫太郎の心臓が、ドキンと、震えた。
視線をはずすことができない。
まるで、呪縛されたかのようにその場に立ち止まった倫太郎を、悪友達が不思議そうに見ている。
と、美人が、倫太郎に気づく。
整った造作の中、なによりも印象的な琥珀のまなざし。色っぽさを強調しているかのような、少々目尻が下がり気味の目が、倫太郎を捉え、大きく見開かれた。
ふわり――とでも表現すればいいのだろうか。
白皙の表情が、やわらかな笑みをたたえて、倫太郎を見た。
「え?」
戸惑う倫太郎に、シャープな動きで、近づいてくる。
気圧された悪友達が道を空け、三対の瞳の先で、倫太郎は、琥珀のまなざしと邂逅した。
「姫宮、倫太郎、くん」
語尾を跳ね上げた、それでいて、確信に満ちた声は、響きのいいテノールだった。
「?」
自分を凝視するとても切なそうな琥珀のまなざしが、倫太郎の脳を直接ノックする。
そんな、錯覚にとらわれた。
「え~と……」
人差し指で頬を掻きながら、「どなたさん?」と、訊こうとして、倫太郎は、固まった。それは、他の三人も同様のことで……。
なぜなら倫太郎は件の人物に抱きしめられ、そのうえ、キスされていたのである。
倫太郎の脳が状況認識をするまでの数瞬の間、青年の赤いくちびるが、倫太郎の幼いくちびるを堪能する。
そうして、ようやく状況を理解した倫太郎が慌てだしたころになって、
「失礼。あまりにも懐かしくて」
と、彼は、倫太郎を、解放したのだった。
懐かしいとキスすんのか、あんたは! ――というのは、その場に居合わせた四人の思考だったろうが、幸いなことに、それは、声にはならなかった。
「まさか、今日、君と会えるなんて、驚きです。ああ、この後、どうしても抜けられない用さえなければ………」
赤く染まりはじめた空を見上げて、乙女のように手を合わせる。
「スミマセン、僕はこれから用がありますので。また、日を改めて、お会いしましょう。それまで、お名残惜しいですが」
そう言って、去ってゆく後姿を、毒気を抜かれて見送っていた彼らの耳に、
「お母さまによろしくお伝えください」
青年の最後の言葉が、届いた。
その青年の正体を倫太郎が思い出すのは、もうしばらく後のことである。
ともあれ、四人の少年達は、ぼんやりと、家路に着いたのであった。