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Strange of strangers.  作者: 工藤るう子
番外編
8/13

      〜おともだち〜3.お別れ







 もうじき十二月だった。


「木枯らしが身に染みますね」


 独り語ちた一条が、大学病院の門をくぐり抜けた時だった。


「いちじょーっ」


 聞こえるはずのない、懐かしくも愛しい声が、彼の耳を射抜いた。


「倫太郎くん?」


 見回すかぎりの視界に、四つ年下の親友の姿は、やはり、ない。


 知り合って三年めの夏、――九才になったばかりの倫太郎は、大学卒業と同時に家族に連れられて、日本に戻ったはずである。


「馬鹿ですね」


 自嘲の笑みが、口角に苦い。


「一条が馬鹿だったら、人類全部馬鹿だよな」


 それだったら、平等でいいか。


 そんな、笑いを含んだ声が背後から聞こえてきた。


 振り向いた一条は、そこに、


「一条っ」


 夢にまで見た、愛しい少年の姿を見出したのだ。


 少し照れたような表情をして、一条を見上げる、褐色の双眸。


「もどっちった」


「倫太郎……くん?」


 一条の琥珀がかったまなざしが、戸惑ったように、揺れた。


(痩せましたね………)


 ついと、一条の白く繊細な指先が、倫太郎の頬に触れた。


「な、なんだよ」


 ふと逸らせた視線の先に、見覚えのある女性が自分に向かって頭を下げているのを捉えた。彼女は倫太郎の母親で、一条は何かがあったのだと、瞬時にして悟っていた。


「最近、寝てませんね、君」


 たちまち膨れっ面をする。


「だって……寝れねーんだもん」


 ひときわの強い風が街路樹の葉を落とし、コートをはためかせた。


「ここは寒いですからね。僕の部屋にでも場所を移しましょうか。ココアを淹れて、あたたまりましょう」


「うんっ」


 数ヶ月前よりも痩せた頬が、寒さからではなく、赤く染まった。


「じゃあ、お母さんに、許可を貰ってこないとね」






「それを? 君は本気ですか?」


 バターを少し落としたココアを一口すすって倫太郎が口にした一言に、一条の印象的な琥珀の双眸が大きく見開かれた。


「うん」


 両手でマグを掴むように握り、昔風の緞子張りのソファに腰をかけた倫太郎は、両足を揺らしている。


「本気」


「ご両親は?」


「かまわないって」


 軽く返されたその言葉に含まれているだろう葛藤を、一条は感じていた。


 確かに一条は最近、大学病院勤めの傍ら催眠術を学んでいる。そう、倫太郎にメールした。


 それが、まさか、こういうことになろうとは。


 倫太郎がぽつぽつと語った日本での生活は、思った以上に倫太郎に負担を強いるものだった。


 いくらイギリスの大学で学位を取っていようと、日本に戻った倫太郎はたった九才の少年なのだ。そうして、日本の教育制度では、九才は九才、小学校四年生でしかありえない。これまで倫太郎が培ってきた知識はすべて、制度の前に否定されたも同じことだった。帰国子女の上に、すでに大学を卒業した頭を持っている。なんでも平等を謳い文句にしているらしい義務教育の教室で、倫太郎は異質だったのだろう。クラスメイトにいじめられるほどに。そうして、それを、担任が気づかない振りをしていたほどに。


「無視されるのは、別に、かまわないんだ。けど、力でこられると……………どうしても、適わないし。情けないんだけど……やっぱ、教授に言われたとおり、体力つけとけばよかったなって、思っちゃった。後の祭りなんだけどさ」


 けろりと軽く言う倫太郎だが、二週間ほど前まで入院していたという。一月入院するほどの大怪我を追った倫太郎に、担任は、それまでの事なかれ主義を悔いたそうだが、遅すぎる。倫太郎は学校に行きたくないと、退院した後も家にこもっていたそうだ。


 そうして、冬休みに間があるという晩秋に、イギリスにやってきた。


「一条に会いに来たんだ」


 言われて、嬉しくないわけがない。


「催眠術って、どう?」


「面白いですけど」


「お願いがあるんだ」


 マグの上に、倫太郎の褐色の双眸がある。


 物怖じしたような、期待に満ちたような、そんな、表情に、コクリと、一条は唾を飲み込んだ。それは、予感めいたものだったろうか。それでも、一条には、


「僕が、倫太郎くんのお願いをきかなかったことがありますか?」


「でもさ………」


「多分、君が言い出そうとして言えないでいるその先を、僕はわかっている――と、思いますけど」


 倫太郎の褐色の目と、一条の琥珀のまなざしとが、しばし、沈黙のうちに、合わさる。


「そっか。やっぱ、いちじょーだな」


 詰めていた息を吐き、すっかり冷えてしまったココアを一気に飲み干した倫太郎は、手の甲で、口を拭った。


「ウェットティッシュはここですよ」


 悪い――と、手渡された不織布で、倫太郎は口と手とを拭いた。


「しかたありませんね。ほかならぬ倫太郎くんのお願いですし。本当に、後悔しませんね」


 諦めを胃の深いところから吐き出して、一条が確認を取る。


 こっくり――と、倫太郎が深く首を縦に振った。






 日本での冬休みが終わる三日前まで、倫太郎は、イギリスに滞在した。


 その最後の日、一条は倫太郎の“お願い”を叶えたのだ。


『催眠術で、こっちの記憶、全部消して欲しいんだ』


『消すといっても、完璧に消去してしまうわけではありませんよ、わかってるでしょう』


『うん。とにかく、義務教育の間だけでいいんだ。どこからが浮くのかっていうのが、わかんないんだから。とりあえず、手当たり次第に消しとけば、なんとかなるかなって。ごめん、一条のことも消すことになる。………呆れてる? 怒ってもいいんだ。勝手なヤツって、嫌ってもいい』


『いいえ。僕が、倫太郎くんを、嫌ったりするわけないでしょう。やっぱり、辛かったんですね』


『…………うん』


『じゃあ、とりあえず、封印しますよ。僕を見てください』


 薄暗い部屋の中で、一条は倫太郎に、催眠術を施した。




 解呪の、キィは、一条本人。




 いつか日本で僕と再会したら、その瞬間、倫太郎くんの封印した記憶は、蘇ります。


 それまで、ほんの少しの間の、お別れです。


 薄暗い室内で、ソファに眠る幼い親友のくちびるに、そっとくちづけを落として、一条は、部屋を後にしたのだった。








 一条が倫太郎と再会するのに、五年の歳月を要した。


 それは、また、別のお話である。






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