Professor〜おともだち〜1.出会い
”Strange of strangers”の前日譚です。
あまりの悔しさに、涙がにじむのを止められない。
くそっ!
珍しいものを見るようなあまたの視線が、脳裏によみがえる。
姫宮倫太郎は、力任せに、ブランコをこいだ。
と、行儀悪く踵を潰して履いているスニーカーが、すっぽりと脱げて、みごとな放物線を描く。
「あっ」
勢いのついていたスニーカーは、遠心力やらなにやらで、思いも寄らぬ飛距離を見せた。
そうして、その落下予測値点に、倫太郎より年上らしい少年が歩いてくる。
「ごめんなさい」
開いた本のページにちょこんと落ちてきた片方のスニーカーを見て、少年は、目を丸くしていた。
真っ赤になって、謝ってくる倫太郎に、クッと、喉の奥から噛み殺しそこねたらしい笑い声が、弾け出す。
腰を折り曲げて笑っている少年に、倫太郎の頬が、大きく膨らんだ。
「そんな、わらわなくったっていいじゃん」
「ああ、すみません、シンデレラ?」
「誰がじゃ」
噛みつくように反応を返してくる倫太郎に、心持ち下がり気味の目尻に溜まった涙を指先でぬぐう。
「ぼくは、一条貴之といいます。君は? シンデレラ」
「まだ言うか~」
「だって、ねぇ。ほら」
倫太郎のスニーカーが名乗った一条という少年の指先で揺れている。
「片方のクツが降ってきましたからね」
それはもう、みごとに。
「姫宮倫太郎だよ。だから、それ、返して」
「おや、ご同郷」
日本から遠く離れたイギリスの小さな公園で、こうして、倫太郎と一条とは出会ったのだ。
「ほら、履かせてあげますよ」
「いいって」
「そんな履きかたしてたら、靴は痛むんですよ」
「もう、ぼろだからいいの!」
じゃあ――と、しゃがんだ一条が、倫太郎の足元に、スニーカーを置いた。
隣り合ったブランコに並ぶように腰かけて揺らしながら、
「なにかあったの?」
一条が倫太郎にささやいた。
気になっていたのだ。ふっくらと健康そうな丸みを帯びた頬に、涙の跡があった。
ちらりと、金色に近い一条の目を見上げ、倫太郎は、頬を膨らました。
「もう、やなんだ」
「なにがです?」
「うん……」
「言葉にしてみるだけでも、ずいぶん、気持ちは楽になりますよ」
「変な顔しない?」
「変な顔?」
「珍しいモルモット見るみたいな顔だよ」
「そんな顔、しませんよ」
「……じゃあ、約束だかんな」
小指を差し出す倫太郎に、一条は、自分の小指を絡めた。
「オレ、今、大学に通ってんだ」
倫太郎が口にしたのは、誰もが知っている有名な大学の名前だった。
一条の目が大きく瞠らかれる。
一条の目の前にいるのは、自分よりも四、五才ほど年下に見える、せいぜい、五つか六つ、日本なら小学校一年ほどの、男の子だ。
「けど、もう、やなんだ」
「ああ。わかりますよ。回りが遠巻きにしてくるんですよね。放っておいて欲しいのに、放っておいてくれない。でも、こちらから近寄ると、遠ざかるんですよ。その距離感が、とても、うざい」
しみじみとした口調に、倫太郎の目が大きく見開かれ、頬が、真っ赤に染まる。
「いちじょー?」
「僕も、同じです」
医学部ですけどね。
そう言って見せたのは、先ほど倫太郎のスニーカーがのっかった、本である。分厚い革表紙に金字でタイトルを刻印されているのは、なるほど、たしかに、医学書だった。
「うわ、難しそう」
「そうでもないですよ。倫太郎くんならすぐ理解できると思いますけど? 読んでみます?」
「いいの?」
「ええ」
どうぞ、と、差し出された分厚い専門書を、倫太郎は、嬉しそうに抱きしめた。
「できるだけ速く読むからね」
「焦らなくていいですよ」
「でも、いちじょー、まだ読んでないんじゃ?」
「読み返してただけですよ」
まだ、次の本が届いていないのでね。
「でもさ……」
何か言いたそうに、けれどうつむいたままで、足元を蹴っている倫太郎に、
「本なんか関係なく、友達になりますか?」
一条の提案に、倫太郎の顔が泣き笑いに近いものになる。
「僕もね、友達が、欲しかったんですよ」
「いちじょーも?」
「ええ」
満面の笑みをたたえて、
「じゃあ、オレたち友達だよ」
倫太郎が、叫ぶように、確認する。
そんな倫太郎を眺めながら、一条が、やわらかく微笑んだ。