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Strange of strangers.  作者: 工藤るう子
番外編
11/13

      プロフェッサー





 授業が終わり、まだ片付けを終えていないものたちを残して、学生たちが実習室を出てゆく。


 巨大な実験用のテーブルの上を几帳面なほどきれいに片付けて、彼がきびすを返す。


 まとう白衣を脱ぐと、下には黒のタートルネックのセーターと同色のスラックス。二十歳くらいだろうか、白皙の青年は部屋を後にした。


 つややかな黒髪に整った白い容貌が引き立てられる。くっと口角のもたげられた朱唇が、いつもよりもくっきりと色鮮やかなような気がして、すれ違いざまに彼を見たものの背筋にゾクリと震えが走りぬけた。


 女子学生がぼんやりと、男子学生は飲まれたように、彼を見送る。


 彼、一条貴之は、この大学の客員教授である。


「知ってっか? 一条教授の噂」


「噂っつーと、俺らよか年下っつーやつか? それとも両親が世界的なエンターティナーってやつ?」


「いや……解剖の話」


「何? それ」


「初耳だ」


「ん」


 同じ実習テーブルを囲んでいた四人の男子学生が、耳を寄せあった。


「一条教授がイギリスで学生だったころ、解剖の実習があったそうだ」


「まぁ、医学部にいんだから、当然だな」


「で、だ。噓かホントかは知らんけど、小さな哺乳類から順を踏んだらしい」


「最終的に人間ってわけだな」


「うん」


「それで?」


「単位やれん――と、言われたそうだ」


「へ?」


「うそ」


「おまえかつがれたんだって」


「だな」


「解剖学落としたら、卒業どころか、進級すら危ないだろ」


 ここで教鞭をとるようになってまだ半年だが、時折出かける大学病院での一条教授の手術の腕がどれほど冴えているか、知らない学生はいない。


「それがなぁ、この話には続きがあってさ、次の解剖に出席できんようならって話しになったそうだが、あっさり、立ち消えたんだそうだ」


「は?」


「なんで」


「次の献体が、人間だったんだと」


「うっわ」


「ありそー」


「いかにも」


「人間なら解剖許可を自分でできますからねとか、嬉々として捌いたそうだぜ。で、単位はクリア――今の教授がおられる――――と」


 聞いていないふりをして居合わせた全員が聞いていたらしく、教室が、しんと静まり返る。


 鉄壁のポーカーフェイス、整った美貌は、口角の持ち上がっているくちびるのせいか、どこか非人間的で近寄りがたい雰囲気を醸している。


 彼が心の底から笑っているところを観たものが、いるだろうか? いや、いないに違いない。


「まぁ、どっか、精神もぐ覚悟なしには、外科医にゃなれん――とは、よく聞くけどな」


「天才だしなぁ」


 そういう彼らもまた、人体の断面図のスケッチをしたばかりだというのに、立ち寄ったファストフードの店でハンバーガーをぱくついている。


 グィンと自動ドアが開き、冬の冷たい空気が入ってきた。


 それとともに、


「ね、見た?」


「見たよ。あれがホントにプロフェッサーってびっくりしちゃった」


「あの子なんだろうね。プロフェッサーのあんな全開の笑顔っ」


「あーあのこになりたい」


「よね」


 プロフェッサーとは、一条教授の呼び名である。


 先ほどまで当の一条の噂をしていた男子たちが、顔を見合わせた。


「お、おい、それ、ほんとか?」


「どこにいんだ? プロフェッサー」


 あっち――と、はなはだ要領を得ない答えに礼を言い、彼らは店を飛び出した。


 プロフェッサーの常ならぬ笑顔ならぜひとも拝みたい。なんとはなくそう思ってしまったのだった。当然のこと、女子たちは呆気にとられて、一瞬後吹き出した。それを知らぬは彼らばかりである。


 ともあれ、きょろきょろと、彼女らの言った方向に視線を泳がせる。


「いたっ!」


 それは、彼らのいた店からほど遠からぬ、交差点だった。


 彼らの向い側、車が行き交うその隙間から、あれがあの鉄面皮のプロフェッサーかと目を疑わずにいられない、満面の笑顔が見える。ちょうど彼の近辺に居合わせた通行人は、思わずといった風情で一条教授に見惚れている。しかし、無作為にあまたの視線を集めている当の本人はといえば、ひとりの人物に顔を向けて、逸らさない。


 一条客員教授が視線を向けているのは、彼ら生徒たちが期待していた絶世の美女などではなく………


「うそっ」


「あれか?」


 かといって美少女でもなく、百歩譲ってかろうじての、美青年や美少年でもない。


 なんともさえない、一介の男子高校生だったのだ。


「ありゃ、緑陰館学園の制服だな」


 ひとりがつぶやく。


「おまえの出身校か」


「ああ。でもって、ネクタイの色………二年だな」


 短めの褐色の髪が、猫っ毛なのか、よく跳ねている。グレイが基調のブレザーを、どちらかというと、だらしない感じで着こなしている。やる気なさそうに肩を落として、なにごとか頷いている。その投げやりな態度が、一条教授を前にしてのものとは、彼らにはとうてい信じられなかった。


「う~ん。どんな関係だと思う?」


「もと、かてきょう(家庭教師)と教え子……」


「いくら客員教授ったって、大学病院にも籍があるんだぞ。家庭教師なんざ無理だって」


「そりゃそうか。じゃあ、家族ぐるみの知り合い」


「それであの笑顔は、あんまりありえんだろ」


「医者と患者」


「無難な線か」


「ないだろ………」


「大穴で……兄弟なんつーのは?」


「見えん。第一、弟にあんな笑顔振りまくか?」


「じゃ、対抗馬で、恋人…………とか?」


「んな、あほな」


「でも、見てみろよ」


 指差す先の光景に息を呑む。


「おいおいおいおい…………」


「天下の公道でなにやってんすか」


「うわ~」


「プロフェッサー」


 思わず己が目を疑い、髪を掻き毟りたくなるような展開に、四者四様の悲鳴がほとばしる。


 居合わせたものたちもまた、固まっている。




 なぜなら―――




 少年の手を取り、何をしているのかといえば。


 その掌にくちづけているプロフェッサー。


 これが、天下の交差点でおこなわれていい光景だろうか。


「いいわけない!」


 それが、その場に不幸にも居合わせることになったものたちの、共通の意見に違いなかった。


 そうして、それは、片方の当事者である高校生にも共通であったらしい。


 遠目にも真っ赤になったとわかる少年は、プロフェッサーに鞄を投げつけるように押しつけ、信号が青に変わったのをよいことに走り出した。――おそらくは、逃げ出したのだろう。が、学生鞄を相手が持っているのでは、あまり意味はないだろう。


 少年が、彼らのすぐ側を走りぬけた。


 しばらくして教授が、ゆったりと彼らとすれ違う。


 その時一条客員教授が独り語ちた台詞に、ふたりの関係が集約されていたような気がするのは、彼らの穿ちすぎだろうか。




 曰く、


『まったく。倫太郎くんは、照れ屋さんですね』


 語尾にハートマークがついているに違いないその声を、彼らはしばらく脳裏から閉め出すことができないだろう。




「やっぱ、天才はどっかもげてんな…………」


 しみじみとした感想に、彼らは、いっせいに頷いたのだった。






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