うそつき
昔、田舎のばあちゃんが教えてくれた。
「嘘をつくと閻魔さまに舌を抜かれちゃうんだよ」
もしそれが本当だとしたら、俺は何枚の舌を持っていけばいいのだろう。
吐く息は白く染まり、手はかじかむ。
バレンタインも過ぎ、春に向かっているというのに、寒さは変わらず厳しい。
それでも、高校へ向かう道で見かける車のフロントガラスは今日は凍ってはいなかった。だからきっと、徐々に寒さは和らいでいるのだろうなと手を擦りながら川上卓也は思った。
解けかけているマフラーを巻き直す。
「さむっ」
思わず出た独り言。
「本当だよね」
返された言葉に卓也は驚き、そしてすぐに笑った。
「なんだ天野か。びっくりさせるなよ。おはよう」
「おはよう。っていうか、びっくりさせた?」
「急に声かけられたらびっくりするって」
「私に気付いてなかったの?」
「ああ」
「…いいタイミングで言うから私に気付いてるのかと思ったよ」
「全然。まったく。これっぽっちも気付いてなかった」
「…そこまで盛大に否定されるとなんか傷つくんですけど」
「ごめん、ごめん」
「しょうがない。許してやるか~。あ、そうだ、卓也。今日の数学の課題やってきた?」
「うん」
「自信なかったところがあるんだけど、後でノート見せてくれない?なんか今日あたる気がするんだよね」
「いいよ」
「ありがとう!」
「持つべきは勉強のできる友だちだろ?」
「あ~、そういうこと自分で言っちゃう?」
菜摘は人好きのする笑顔を浮かべた。卓也もつられて笑う。
「あれ?二人揃って登校?」
卓也と菜摘は声がした方に視線を向けた。
「聖治か。おはよう。天野とはさっきたまたま会ったんだよ」
「おはよう、聖治くん」
栗色の髪を無造作に遊ばせる小動物のような同級生。
綺麗な顔をした彼にはひそかにファンクラブがあるとか、ないとか。
「あ、そうだ。卓也。俺にもノート貸して」
「いいけど…って、お前話聞いてたのか?」
「聞こえたの。あ、でも俺、明日でいいから」
「…?」
「俺たちのクラス、卓也たちのクラスより進むの遅いからね。たぶん、今日その課題出るんだよ」
「…もちろん、ちゃんと自分でやるんだよな?」
「え?まる写しするけど?」
「駄目に決まってんだろう!何、当たり前みたいな顔してるんだよ。ちゃんと自分でやらないからテスト前に焦るんだろうが。今回は俺も幸広も助けないからな」
「え~、困る。…卓也」
「可愛い顔で見つめても駄目」
「ケチ」
「ケチじゃねぇだろう!」
「ケチだよね。菜摘ちゃん」
「天野に振るな!」
「あはは~。なんか、漫才みたい」
振られた菜摘は口に手を当て笑う。そんな菜摘に聖治は「え、そう?」と笑い、卓也は頭に手を当てて呆れた。
「こんなに余裕ぶっといていつもテスト前になったら俺と幸広に泣き付くんだ。こいつ」
「幸広って1組の?」
「うん。そうだよ」
「そういえば3人よく一緒にいるよね」
「うん。俺たち中学が一緒なんだ。ね、卓也」
首を僅かに傾ける聖治。そんな姿に微苦笑を浮かべながら「腐れ縁かな?」と告げる。
「なんかいいね。そういうの」
「俺たちだって、そんなもんだろ?」
卓也の言葉に菜摘は少しだけ考え、「そうかな」と笑った。
「今の間、微妙に傷つくぞ」
「あ、ごめん」
「あ~あ」
突然、聖治が声を上げる。
「…なんだよ?」
「あのさ」
「ん?」
「卓也って時々、バカだね」
「…は?」
「な~んでもない。んじゃ、明日ノート貸してよ!俺、先に行くから」
そう言って走り出した聖治の背中はすぐに見えなくなった。
「…なんなんだ?」
首を傾げ、呟く。
「さぁ?卓也にわからないなら私にはもっとわかんない。…でも、聖治くんに不思議ちゃん要素があるってことだけはわかったかな」
菜摘の言葉に、卓也は静かに頷いた。
教室に入るとすでにクラスメイト達はにぎわいを見せていた。
「おはよう」
卓也と菜摘の声が揃う。
そんな2人にクラスメイトの視線は集まった。打ち合わせをしたように同じような笑みを浮かべる。
「おはよう。あれれ~。2人とも、ついにくっついちゃった?」
「もうそろそろだとは思っていたけどな」
「も~。たまたまそこであっただけだって」
「またまた~」
「…お前らは毎回、毎回、同じような発言をして飽きないのかよ?」
人の悪い笑みを浮かべからかうクラスメイトに呆れたように呟く。毎度のことで怒る気すらないらしい。
「だって、じれったいからさ~」
「だから!天野とは友だち。わかったか!」
「またまた~」
「…天野。もう、無視しよう」
「私はとっくにしてるけどね」
卓也のクラスは仲がいい。行事があるときは、全員で協力し最高の結果を出せるよう努力をするし、人をからかうときも、皆で協力する。
積極的な人、消極的な人。その違いはあるけれども、全員で参加し、全員が笑えるようなそんなクラスだ。
そしてその中でも話が面白く、積極的な卓也はクラスの中心的人物と言える。学校の人気者である聖治と仲がいいということも卓也に注目が行く理由の一つであろう。
そんな卓也を取り囲むクラスメイトたちの最近の話題は「卓也と菜摘の関係」だ。
卓也は女子と仲がいい。
その中でも菜摘とは特に仲がいい。2人でいることも多く、その雰囲気もいわゆる「いい感じ」であるため、クラスメイトのからかいのタネとなっているのだ。
しかし、卓也はいつも全力で言う。
「ただの友だちだ」と。
放課後にはほとんどの生徒たちは部活動に勤しんでいる。
卓也もその中の1人だ。
卓也はバスケ部に所属しており、腐れ縁である聖治、幸広も同じ部活である。それは中学のころから変わらない。
「そういえば、今日も卓也たちからかわれてたね」
休憩中、ペットボトルのスポーツドリンクを飲みながら、聖治が思い出したように言った。
「卓也のクラスの声って大きいから響くよな。1組にまで聞こえてきたぜ?」
「…あいつらそれで楽しんでるからな」
「もう付き合っちゃえばいいのに」
「そうそう。卓也たちお似合いだし、付き合っちゃえばいいんだよ。別に2人とも付き合ってるやついないんだしさ」
「聖治と幸広までそんなこと言うのかよ。だから、ただの友だちなんだって」
「え~」
聖治は面白くないと不満をあらわにした。
「いや、でもマジで傍から見ててお似合いだけどな」
「そういう問題じゃねぇの」
「そう言う問題だろ?好きなんじゃねぇの?」
「…お前らまでクラスのやつらみたいなこと言うなよな。……今のままでも十分楽しいんだから、いいんだよ。それで」
「…」
「朝も言ったけど、卓也って案外バカなんだね」
「…なんだよそれ」
「だって、ただ素直になればいいだけじゃん」
「…」
「それなのに、変に大人ぶっちゃってさ。今のままで十分なんてバカみたい。何かしなきゃ、何も手に入らないんだよ。そんなこと、俺でもわかる」
「……お前に何がわかるんだよ」
声が低くなる。
長い間過ごしてきた2人には、卓也が本気で怒っていることがわかった。
幸広が卓也の肩に手を置く。
「おい、卓也。…聖治も言いすぎだ」
卓也の雰囲気の違いに気付きながらも、聖治は口を閉じようとはしなかった。
「なんで?俺、間違ったこと言ってないよね?幸だっていつも言ってるじゃん」
「それでも今言うことじゃない。…それにこれは卓也の問題だ」
「卓也がわかってないから言ってるんじゃん。自分のことしか見てない。ただ立ち止まって、嘘ついて。そんなの、バカみたいだ」
「聖治」
「だって本当のことじゃん」
「…いいよな。お前は」
卓也はぽつりと呟く。
「何?」
「…いいよなって言ったんだ。聖治は、望めば誰だって手に入るもんな。…でも、俺は違う」
「卓也…?」
『ピー』
休憩終了を知らせる笛が鳴り響いた。
「ほら、行くぞ」
何事もなかったかのような顔で卓也は2人を見ると、すぐにコーチのもとに駆け寄った。
聖治と幸広は何も言えず、ただ卓也の背中を見つめていた。
冬の夜は長い。
部活が終わるころには空は真っ暗になっていた。着替えを澄まし、部室から出る。
部室のドアの傍には、聖治と幸広が立っていた。
3人の家は同じ方向にあり、部活終わりにはほとんど一緒に下校する。
けれど、先ほどの雰囲気と先に部室を出て行った姿から、今日は違うのだろうと卓也は思っていた。
「さて、帰るか」
卓也の姿を確認すると、幸広が言う。
「…おぅ」
それから3人は他愛もない話をした。今日の出来事、昨日のお笑い番組。それはいつもの風景だった。
だが、ふと気付くと先ほどの嫌な雰囲気が尾を引いている、そんな気がした。
「じゃあ、バイバイ」
一番近い聖治の家に着く。
「また明日な」
「うん」
「…」
「また明日ね、卓也」
「ああ」
空を見上げると、闇は部室を出てきたときに比べ濃くなっている。
手は冷え、吐き出す息が白く染まっていた。
聖治と別れた後、2人で歩く道は、いつもと同じなのに、なぜか重苦しい。
その沈黙を先に壊したのは幸広だった。
「明日は聖治に謝れよ。だぶん、あいつも謝ると思うから」
「…ああ。わかってる」
卓也には自分の声が拗ねた子どもの声に聞こえた。
自分でも理解していた。ただの八当たりだと。
聖治だって何もかも手に入るわけなどない。そんな当たり前のことがわからないわけではない。
ただ、口は勝手に動いていた。
「たぶん、俺に言われなくてもわかってると思うけどさ、聖治の言ってたことは正しいと思うぜ?」
「…」
「嘘つくなよな」
「…」
「ま、先に進むも進まないも卓也次第だけど」
「わかってる。けど…」
「…当たって、もし砕けたらさ、3人でカラオケにでも行こうぜ。バカみたいに泣いても、俺も聖治も笑わないからさ。だから、進んでみろよ。泣いてもいいからさ」
そう言って卓也の頭を小突き、幸広は笑った。
「…聖治は笑うと思うけど」
「……笑う…かもな」
「笑うのかよ!」
「ま、その時はその時で、みんなで爆笑しようぜ」
「…あ~あ。俺、本当にいい友だち持ったな~」
「だろ?」
その言葉を合図に2人で吹き出した。暗い夜道の中、笑い声が響く。
今まで悩んできたことがバカみたく思えた。
泣ける場所がある。それだけで、こんなにも勇気が持てるのだと、卓也は初めて知った。
家に着くと、用意されてあった夕食を食べ、風呂に入った。
あとは寝るだけという状態にし、卓也は左手に携帯電話を握る。電話帳から1人を選び、電話をかけた。
「…何?どうした?」
3回目の呼び出し音の直後に、耳に入ってくる高い声。
「いや。何してるかなって」
「ん~、ぼーっとしてる?」
「なんで疑問形なんだよ」
「だって、何もしてないけど、強いて言うならぼーっとしてるかなって」
「なんだよ、それ」
卓也が小さく笑う。
つられて菜摘も笑った。
「あ、そういえば、卓也たちっていつも一緒に帰るんだってね。今日聖治くんファンの後輩の子から聞いた。なんかすごく羨ましがってたよ」
「同じ部活だし、帰る方向が同じだから自然とそうなるだけだよ」
「でも、その子、『本当に、いいですよね。ずるいですよね』ってずっと言ってたよ」
「ずるいって言われてもな…。しかも、今更」
「そっか。中学から一緒だって言ってたもんね」
「うん」
「やっぱりいいな、そういうの」
「そうか?」
「そうなの」
「……あのさ、天野」
「ん?何?」
「…」
2人の間に沈黙が流れた。
菜摘は音楽を流しているのか、今流行りの曲が卓也の耳に入る。綺麗な別れを表現するバラードゾング。
卓也は小さく深呼吸した。
「…卓也?」
突然の沈黙に、菜摘が呼びかける。
「好きだ」
「……え?」
「好きだ」
2回目の言葉を卓也は噛みしめるように言った。
「…なにそれ」
「1年のとき初めて会って、それから話すようになって、話してて楽しくて、もっと知りたいと思った。…ずっと、好きだった」
「…待ってよ。何それ」
菜摘の声はどこか泣きそうだった。卓也は静かに菜摘の声に耳を貸す。
「先に、……先に友だちだって線を引いたのは、卓也の方じゃない」
「うん」
「うん、じゃない!…人が一生懸命…一生懸命頑張ってるのに」
「うん」
「なんで、今になってそんなこと言うの?今日だって『友だち』って…」
「ごめん。だから、…もう頑張らないで」
「…バカじゃないの」
「バカなんだろうな。聖治にも言われた」
「本当にバカ」
「バカでいいよ。実際バカなんだろうし。でも、もう無理なんだ。『友だち』なんかじゃ、もう無理なんだ」
「…今まで、散々『友だち』って線引いておいて。急になんで…」
「怖かった。気持ちを伝えたら、天野が遠くに行ってしまいそうで。今の幸せを失いそうで怖かった。でも…何も言わなきゃ、何もしなきゃ、前に進めないんだって教えてもらったから」
「…」
「前に進みたいんだ。天野と。ずっとこれからも、一緒にいたいから」
「…」
「…天野、好きだ。だから付き合って」
「……私だって、好きだよ」
「うん」
「今までの努力と涙、返してよ」
「うん」
「…笑うな」
「あはは。ばれた?」
受話器の向こうで菜摘が怒っているのがわかる。けれど、それと同時に笑っていた。
簡単だったのだ。
踏み出してしまえばそれで。
どんな結果になっても、前に進める。それで充分だった。
「友だち」という便利な嘘をついて閻魔の仕事を増やす必要などなかった。
「ねぇ、天野。明日はさ…」
手に白い息を吹きかけ温める。
視線を移せば、車のフロントガラスが凍っており、昨日より寒さが厳しいことが見て取れた。
しかも、止まっているため余計に寒い。卓也は首に巻いているマフラーを上げ、口元を隠した。
少し離れた場所から手を上げる人の姿が見える。小走りに近づいてくるその人物に卓也も同じように手を上げた。
「おはよう、天野」
「おはよう。待たせちゃった?」
「全然」
「…」
「…」
「な、なんか照れるね」
「そうだな」
「…」
「あのさ…照れついでに…」
そう言うと、卓也は菜摘に右手を差し出した。
「…え?」
「手」
「…うわっ。本当に照れる」
そう言いながらも、菜摘は卓也の手の上に自分の手を置いた。
ギュッと握る。
「じゃ、じゃあ…行くか?」
「うん」
「…なんか、変な感じだね」
「何が?」
「昨日と何にも変わらない筈なのに、全然違う。一緒に学校に行って、手を繋いで。なんか、不思議」
繋がれている手をちらりと見、小さく笑った。
「確かに。…でも、よかった」
「…?」
「やっぱりさ、一緒にいるのは同じでも、違うんだな。手を繋げるのとそうでないのとでは。…天野。昨日も言ったけど、ごめんな」
「…うん」
「それからさ、…ちゃんと会って言おうと思ってたんだ。俺さ、天野のこと…」
「あ―――――!!!」
卓也の言葉は突然の声にかき消された。
振り返るとそこには聖治が立っていた。その横にはにやけた顔の幸広もいる。
「卓也と菜摘ちゃん手を繋いでる!!」
聖治の大音声に、通学路を歩いていた生徒たちの視線が卓也と菜摘に集まった。
卓也は呆れたように左手で頭を押さえ、幸広は意地の悪い笑みを浮かべた。
「声が大きい!」
「なんで、なんで?いつの間にそんなことになったの?」
「…うるさい!詳細はあとで話してやるから!……今、いい所だったのに」
「あはは」
「…笑う所じゃないんだけど」
「面白いよ?」
「卓也、よかったな。カラオケに行かずに済んで」
「うるさいって。…お前ら先行けよ」
「はいはい。ほら、聖治、先に行くぞ」
「え~。詳しいこと聞きたい」
「無粋なまねすんなって。あとで、根掘り葉掘り聞き出せばいいんだし」
「…それも、そうだね。んじゃ、また、あとでね」
「さっさと行けよ。……あ、聖治」
思い出したように、少し離れた背中を卓也が呼びとめた。
「ん?」
「…ごめん」
卓也の言葉に聖治は一瞬驚き、すぐに笑った。
「俺もごめん」
そんな2人に幸広は笑みを浮かべ、「じゃあ、またあとでな」と卓也に手を振った。
聖治と幸広の姿が見えなくなると、菜摘は卓也の顔を覗き込むように聞く。
「…ごめんって何が?」
「ん~ちょっと、色々あってね」
「…本当に3人って仲良しなんだね」
「ああ。俺もそう思う」
「あ!そうだ。…さっきの続きは?」
「…この状況で?」
卓也は周りを見渡す。周囲の生徒たちが、自分たちの様子を伺っていることがはっきりとわかった。
「うん」
「…もしかして、まだ怒ってる?」
「そんなことないよ。…ただ、聞きたいだけ」
期待する菜摘の表情。
それを見たら、周りの視線などどうでもよくなった。
繋いだ手に力を込める。
今まで言えなかった分の思いを込め、耳元で囁いた。
「俺は、菜摘が好きだよ」
赤く染まる頬に、卓也は昨日より愛おしさを感じた。
ばあちゃんが教えてくれたように、もしも本当に閻魔さまがいるのなら、これからは嘘をつかないと約束しますから、舌を抜かないでもらえますか?
だって、俺のこの舌は、彼女に「好きだ」と伝えるためにあるのだから。
読んでいただきありがとうございました!!!
感想、評価等いただけたら、本当にうれしいです。
よろしくお願いします!!
正直、他の作品と似てる気もしますが(;一_一)
精進します!!!